31-2

31-2


コルルは、ベッドの上で荒い息をしながら目を覚ました。


「はっ、はっ、はっ、はっ……」


耳の奥が、ドクドクと鳴っている。胸は早鐘を打つようだ。眠りから目覚めたばかりで、状況をよく飲み込めていなかったコルルだったが、しばらくすると頭が冴えてきた。


「夢、か……」


なにか、恐ろしい夢を見ていたらしい。そのせいで目が覚めてしまったのだ。ふっと息を吐く。

部屋の中は静まり返っている。白い天井はまだ群青色に染まっており、窓からは密やかな月明かりが差し込んでいる。


「まだ夜中……」


こんな時間に目が覚めるほど、自分は恐ろしい夢を見ていたのだろうか。コルルは夢の内容を思い出そうとするが、頭には霧がかかったようで、詳しいことは何も分からない。ただ漠然と、酷く恐ろしかったという感情だけが残っている。ナイトガウンを着た背中には、じっとりと汗をかいていた。

コルルはため息をつくと、そっとベッドから抜け出した。


「子どもじゃあるまいし……駄目ね、こんなんじゃ」


窓際に立つと、真夜中だというのに、帝都の町明かりがちらほらと見える。ここは帝都の中でも一等地に近い場所なので、街灯が設置されているのだ。


「しっかりしないと。あたしがこんなんじゃ、この子にも響くわ」


コルルはすり、と大きくなってきたお腹を撫でた。コルルが今いるこの屋敷も、お腹の子のためにと、ライカニール帝が手配してくれたものだ。これもすべて、魔王との決戦のために西に旅立って行った夫が、方々に頼んでくれていたおかげだ。大事な時期に一緒に居られないことを深く悔いつつも、彼は出来得る限りのことをしてくれた。


「クラークも頑張ってるんだから……あたしがこんなんじゃ、いけないわよね」


初めての懐妊に不安もあったが、そのことで彼を恨む気持ちはない。むしろ、愛されているという実感の方が強かった。自分だけじゃない、宿しているこの子のことも。そのことが、コルルは何よりも嬉しかった。


「安心してね。お母さんもお父さんも、あなたがとても大切なんだから」


コルルはもう一度、まだ見ぬ我が子を撫でると、窓の外へと思いを馳せる。彼女が向いている方角は、西。その方角の先では、クラークが戦っているはずだ……

大丈夫、負けるはずがない。そう頭では分かっていても、胸の奥は重い。待たされる身が、こんなに辛いとは思わなかった……重苦しい感情に耐えかね、コルルはいつしか溢していた。


「クラーク……絶対、無事に帰ってきてよ」




「いやあぁぁぁぁぁ!クラーク様、クラークさま!」


「クラーク!くっ、そったれがぁ!」


アドリアが矢継ぎ早に矢を乱れ撃つ。しかしそのどれも、セカンドの黒い鎧を貫くことはできなかった。矢は全て、鎧に触れた瞬間に燃え上がり、灰となってしまう。


「おいおい、そんなにコイツが大事だったのか?しょーがねえな、そらよ。返してやるって」


セカンドがぶぅんと、クラークの体を放り投げる。四肢を投げ出し、人形のように飛んできたクラークを、アドリアとミカエルはぶつかるように受け止めた。


「クラーク!しっかりしろクラーク!ミカエル、回復を、回復をっ!」


「はい……っ!ありったけの魔力を注ぎこみます……!」


歯を食いしばるミカエルの、輝く両手がクラークに重ねられる。だが、その光に照らされる顔はどす黒かった。とても少年のそれには見えず、まるで枯れ木のようにしわがれている。命というものを、全て吸い尽くされてしまったようだ……


「あー、さすが勇者サマだねぇ。なっかなかいい生命力だわ。おかげですっかり回復できちゃったぜ」


舌なめずりしたセカンドは右腕を伸ばすと、傷の具合を確かめるように、腕をくるくるとひっくり返す。フランが付けたはずの傷は、どこにも見当たらない。血も流れていない。


「回復……したっていうの……」


アルルカの声は、枯れ葉が擦れる音よりも小さかった。すると、宙に浮かんでいたウィルが、ふらふらと俺たちの側に落ちてきた。


「全て……消えてしまったんですか?あれほどの傷を、フランさんがああまでして付けた傷が、全て……」


誰も、何も言えなかった。分かり切っていたっていうのもあるが、やっぱり認めたくなかった。俺たちの必死のあがきが、何一つ意味をなさなかったという事。それどころか、状況は初めよりも悪化している。フランは燃やされ、クラークは再び立ち上がれるのかさえ分からない。これならいっそ、最初から逃げていた方がマシだったじゃないか……


「桜下……」


きゅっと、袖を握られた。振り向けば、ライラがすがるように、弱弱しく袖を掴んでいる。せめてさいごまで、手を繋いでいたい。涙に濡れたライラの顔は、そう思わせる悲痛なものだった。


「桜下さん……」


ウィルは透明な涙を流している。何も言わなかったが、言わずとも分かる。それを口にしないのは、彼女のやさしさ故だろうか。


「くっ……そったれ」


アルルカは悪態をついて、ギリギリと歯を鳴らす。彼女だけはまっすぐ前を睨んでいたが、杖を掴む腕はだらりと垂れ下がっている。それが、精いっぱいなんだ。


「ダー、リン……」


まだ立ち上がることができないロウランは、それでも這うようにして、俺たちの側ににじり寄ってきた。


(もう……打つ手が、ない)


俺のソウルレゾナンスも、フランが自らを犠牲に得た力すらも、セカンドには届かなかった。俺たちの中にも、クラークたちやペトラも、連合軍のなかにさえ、戦える者は残っていない。あらゆる手を試したが、奴には通用しなかった。もう切れるカードは、一枚も残されていない。


(つまり俺たちは……負けたのか)


俺はゆっくりと、目を閉じる。負けた。フランも、ペトラも、身動きが取れない。そして、クラークも……クラークはこの後、尊に再会できるのだろうか。もしそうなら、俺も合流できたらいいけれど。そしたらまた三人、あの頃みたいに戻れるじゃないか。

視界を闇に閉じると、心までもが飲み込まれていくようだ。俺はずぶずぶと、暖かいぬかるみのような絶望に沈んでいく。ここは、心地がいい。もう何もしなくてもいい。頑張らなくていい。すべてを諦めて、すべてを捨て去ればいい。そうさ、俺たちは懸命に頑張ったじゃないか。だからもう、足を止めたっていいじゃないか……


(……本当に、そうか)


本当に、そうなのか?

これまで俺は、何度も何度も、もうダメだっていう場面に遭遇してきた。別に俺は、気が強い方でも、ましてや屈強な意志を持っているわけでもない。くじけそうになったことだって、一度や二度じゃない。そんな俺が、ここまで来られたのは。


(みんなが、いてくれたからだ)


俺は目を開けた。現実から目を背けちゃダメだ。居心地のいい絶望よりも、痛みに満ちた希望を選ぶ。それが、俺が最後にすべきことじゃないのか。

俺は周りを見渡す。俺を支えてくれたみんなが、くじけそうになっている。諦めそうになっている。


「だったら、やることは一つだよな……」


「え……?桜下、さん?」


ウィルが困惑したまなざしを向ける。俺はそれに構わず、腰元の剣を抜くと、よろよろと一歩踏み出した。だが途端にふらつき、転びそうになってしまう。アルルカが慌てて支えてくれなかったら、ばったりと倒れていただろう。


「な、なにやってんのよ。じっとしてなさいって!」


「いいや。悪いがそれは、できねーな……」


「どうして!何をしたって、もう……!」


「それでも、だ。俺は、まだ……」


アルルカは悲痛な目で俺を見つめると、子どもに言い聞かせるように、優しい声で言う。


「あんただって、分かってるでしょ?認めたくないのは、あたしだって同じ……でも、もういいじゃない。最後まで、苦しみ抜くことないわよ……」


「ダメなんだ、アルルカ。俺だけは、諦めちゃダメなんだよ」


「どうしてよ……あんたが、勇者だからって言いたいの」


「違うよ。そんなんじゃない。俺はもう、勇者をやめたんだぜ」


俺はじっとアルルカを見つめた後に、背後の仲間たちに振り返る。ライラ、ウィル、ロウラン。ここにはいないが、フラン。そして……エラゼム。


「俺は、みんなの主だから」


アルルカは、ぽかんと口を開けていた。だって、それ以外に理由はない。俺は、みんなの主になると決めた。みんなの魂に、責任を持つと決めた。その俺が、みんなより先に諦めちゃいけないだろ。

俺は弱い。俺は馬鹿だ。だから……最期の最期まで、笑ってやるんだ。


「待っててくれ。ちょっくら、行ってくるからよ」


俺はアルルカの背中を軽く叩くと、自分の足で歩き出した。アルルカは何かを言おうとしたようだったが、言葉にはならなかった。おぼつかない足取りで、セカンドへと歩いて行く。



つづく

====================


読了ありがとうございました。

続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。


====================


Twitterでは、次話の投稿のお知らせや、

作中に登場するキャラ、モンスターなどのイラストを公開しています。

よければ見てみてください。


↓ ↓ ↓


https://twitter.com/ragoradonma

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る