8-1 聖女の憂い
8-1 聖女の憂い
月の神殿からの使いは、翌日の昼前に来た。
「キサカ様がお待ちです。ご一緒に昼食をとりたい、とご所望でございます」
ふむ、昼飯か。仮面を付けたままだと大変そうだな。あのガラスでできた神殿だと、日が差して暑そうだし。それに清潔すぎて、うっかり食べこぼしたらと考えると、喉を通りづらそうだ……いかん、ネガティブが止まらない。気は滅入るが、断る選択肢は存在しないんだ。
(昨日決めたみたいに、ここが踏ん張りどころだ)
俺は気持ちを切り替えて、使いと共に月の神殿へ向かった。
案内されたのは、前と同じ部屋だ。使いに扉を開けられたので、俺たちだけで中に入る。そこは相変わらず殺風景な、だが光に満ちた空間だった。キサカは、前回と全く同じ体勢、つまり枕元にもたれる形で座っていた。
「ようこそ、みなさん。わがままを聞いてくださって、ありがとうございます」
「いえ……」
キサカは歓迎するように微笑むと、手でベッドサイドを示した。そこには小さなテーブルが置かれ、パンとスープの簡単な昼食が用意されていた。
「ごめんなさい。あまり豪華なものは、この神殿では出せないんです。呼びつけておいて、ほんとうに申し訳ないんですけれど……」
「い、いえ。十分です。ありがとうございます……」
どうにも、この聖女様は腰が低いんだよな。でも考えてみれば、この人も勇者、つまり俺と同じ世界からやってきた人間なんだ。もとは一般人って考えれば、当然かもしれない。
俺たちは用意されたテーブルについた。パンが入ったバスケットは確かに小さかったが、仲間たちは食べる必要はないから、これで十分だろう。
キサカの手元には、カットされたリンゴが数切れ乗った皿が、一枚あるだけだった。
「あの、それしか食べないんですか?」
「ええ。小食なものでして」
えぇ……小食と言うか、それはもう絶食に近い気もするが……だが目の前の少女は、年老いた老婆の姿から、一晩で若返って見せたんだ。この程度、不思議でも何でもないんだろう。
「私には遠慮しないで、召し上がってくださいね」
「それじゃ、遠慮なく……」
俺は仮面を少し浮かせて、もそりとパンをかじった。むぅ、何の味もしない。神殿の料理だから、精進料理みたいな感じなんだろうか?
キサカもリンゴを口にすると(数切れしかないのに、さらに小さく一口だけかじった)、こちらへ顔を向ける。
「それを付けたままだと、食べにくそうですね」
「えっ。あの、すんません。ちょっとこれには、外せない事情がありまして……」
「ああ、ごめんなさい!そういうつもりで言ったわけじゃないんです。全然気にしてないので、お好きなようにしてもらって構いませんから。ただ、もしも何かの配慮とかだったら、私のことは気にしないでくださいって言いたかったんです」
「え?えーっと、何て言うか……」
「あの、私、自分で言うのもなんですけど、結構大事にされているみたいで……もしも神殿の方が何か言ったんだとしたら、本当に申し訳ないです……」
「え?そういうわけじゃないんですけど。どちらかと言うとこれは、こっちの国の問題で」
「まあ、そうなんですか?大変なんですね」
心配されてしまった。大変なのは、むしろそっちだと思うんだけど……どうにも調子狂うな。
「あの……失礼じゃなければ、聞きたいんですけど。どうして俺たちを呼んだんですか?」
「え?ああ、私ったら。すみません、世間話をべらべらと」
「いえ、それはいいんですけど。というか、世間話くらいしかできないと思いますけど……俺、別に何かの専門家とかではありませんから」
「え?うふふ、それはおかしな話ですね」
「はい?」
「だって、あなたは勇者じゃないですか。勇者は、この世界の人たちには無い、異質な能力を持っている。それは専門家と呼んでも、差し支えないのではないですか?」
む……そう言われれば、そうなるのだろうか。俺の能力はネクロマンス。確かに、死霊については専門家みたいなもんか。
「じゃあ、聖女様は俺の能力についての話が聞きたいと?」
「いえ、それも違います。私が聞きたいのは……あなたの話、です」
「俺の……?」
「はい。何でもいいんです。こちらの世界に来て、困ったことはありませんか?それとも、質問したいこととか。いちおう、私は先輩ですから、ある程度の事なら答えられると思います」
「はぁ……」
それじゃまさしく、世間話みたいだが……聖女様は、そんな話がしたくて俺を呼んだのか?まあよくわからないけど、とりあえず適当に話を振ってみるか。
「ええと……さっき、先輩って言いましたけど。確認になりますが、あなたは過去に召喚された勇者ということで、間違いないんですね?」
「ええ。あなたと同じ世界、日本から呼び出されました」
ニホン……もはや、懐かしい響きに感じてしまう。そうか、この人も日本人か。クラークといい俺といい、やたらと日本から召喚されるやつが多いな。
「俺たち、同じ出身だったんですね」
「ええ。ですから……だから、堅苦しい言葉遣いは、もうやめにしない?私たち、同じ出身のよしみで。ね?」
「そうすか?……じゃあ、お言葉に甘えて」
「ええ。うふふ、周りからは聖女だなんて呼ばれているけれど。私ほんとは、そんなにいい子じゃないのよ。言葉遣いだって、ちゃんと敬語が使えている自信もないもの」
「ははは。そりゃ、俺も一緒だ。言葉なんて、伝わりゃ十分だって思っちゃうよ」
「うふふ、ほんとにね」
俺がにやりと笑うと、キサカもころころと笑った。ふむ、なんだかぐっと親近感を感じるようになったな。
キサカは改めて自己紹介をする。
「私の本名は、
「あ、そういやまだ名乗ってもいなかったな。えー……」
どうしよう、名乗ってもいいかな。うーむ、相手は勇者で、しかもかなり物腰やわらかだ。こちらの事情も、話せばわかってくれるだろう。うん、ならいいな。
「失礼。俺は西寺桜下だ。それと、旅の仲間たち。多いから省略するけど」
「桜下くんね。よろしくお願いします。それとお仲間さんたちも、どうぞよろしく」
みんなは軽く会釈だけした。さっきから向こうの世界についての話題が飛び交うので、みんなは戸惑っているように見える。だよなぁ、違う世界の話なんかされたら、俺だって困惑する。
「それで、話を戻すと……えーっと、ヒメさんって呼んだ方がいいか?それとも、キサカさん?」
「キサカ、で構わないわ。もうずいぶん長くその名で呼ばれてるから、そっちのほうが慣れてしまって」
「へぇ、そんなに。キサカさんって、こっちに来てどれくらい経つんだ?」
「そうね、もうかれこれ、四十年は経つかしら」
「よ、四十年!?」
じゃあ、キサカはこう見えて六十歳に近いのか……?脳みそが混乱するが、キサカは老人の姿から若返る能力を持っているんだ。不可能じゃないんだろう。
「すっげぇ、大ベテランなんだな……キサカも勇者ってことは、能力を持ってるんだよな。それが、この前のやつなのか?確か、光の魔力って……」
「ええ、その通りよ。私の力は、人の怪我を治したり、呪いを解いたり、そんな感じの能力なの」
「へー。回復系か。ゲームならヒーラーって感じだな」
「げーむ……?ひーらー……?」
え?おっと、そうか。キサカは若く見えるけど、実際は四十年前の時代から召喚されているんだった。その当時は、まだゲームもろくに出回ってなかったんだろう。
「ごめん、なんでもないんだ。とにかく、すごい能力だな。あんたなら解けない呪いも、治せない病気もないんだろ?」
「うぅーんと……あんまり偉そうなことは言いたくないんだけど、ええ。実際、治せなかった人はいないわ」
「うわ!すげー。そりゃ、聖女様だなんて呼ばれるわけだ。俺とは大違いだな」
「桜下くんの能力は、どんななの?」
「え?あー……」
俺は言い淀むと、仲間たちの方を向いて目配せした。みんなが小さくうなずいたのを確認して、俺はキサカに向き直る。
「俺は、死霊術師なんだ」
「死霊……?えっ。じゃあ、まさか……」
キサカは目を丸くして、みんなを穴が開くほど見つめている。俺は慌てて手を振った。
「あの、誤解しないでくれ。みんないい奴らだし、間違っても人を襲うようなことはしない。絶対だ」
「え、ええ……あなたが術者で、その方たちが眷属、という事なの?」
「いいや。こいつらは、仲間だ。俺と一緒に旅をしてくれる友達だよ」
俺の友達という言葉に、キサカはオッドアイの目をぱちくりさせ、やがてふわりとほほ笑んだ。
「ふふ。ともだち、か。わかったわ。それを聞いて、安心しました」
「悪いな。ちょっと言い出しづらくて。ほら、死霊術って聞くと、あんまりいいイメージないだろ。この仮面も、そういう理由さ」
「そう……苦労してるのね」
「そうでもないよ。いつもはもっと気楽だし。なんだけど、今回は人命が掛かってたからな」
「私が治した、あの兵士さんね」
「そういうこと。だからこんな格好なわけだな。で、もう一つ頼みなんだけど、俺の名前はあんまり大っぴらにしないでくれないか?色々あってさ、正体を隠さなきゃなんだ」
キサカは憐れむような視線を俺に向けると、しっかりとうなずいてくれた。
「わかったわ。ここであったことは、誰にも話しません。だから安心して。聞きにくい事でも、なんでも相談に乗るからね」
ありがたいな。にしても、ずいぶんこっちの事を心配してくれるな。同郷のよしみ故だろうか?
「なんでもかぁ。あ、じゃあさ。聞きたいんだけど、あんたのアレ。この前の、転生?ってやつについて、聞いてもいいかな」
「え?いいけれど……大したものじゃないのよ」
「えぇ?だって、若返りの術なんだろ。すごい能力じゃないか。それがあれば、実質不老不死みたいなもんだろ」
不老不死。夢みたいな話だ。しかし、キサカの顔色は曇っている。
「……本当に、そんなにいいものじゃないの。確かに私の力……光の魔法は、他の魔法ではできないことができるけれど。だからといって、万能なわけじゃないのよ」
万能じゃない?確か、光の魔法は奇跡に例えられるらしいが……その時、俺の背後から、控えめなライラの声が聞こえてきた。
「……光のまほーは、まだ全然研究が進んでいないから。詳しい事はちっともわかってないんだよ」
俺とキサカが、ライラの方を向く。ライラはフランの後ろに隠れながらも、瞳をキラキラと輝かせていた。人見知ってはいるけれど、好奇心を抑えきれないようだ。
「けど、若返りなんてことができるまほー、聞いたことない。まほーは、時の流れには干渉できないんだ。まほーはマナを動かして発動する、流動的概念だけど、時間はマナを含まない、絶対的概念だから。それこそ、奇跡でも起きないかぎり……」
な、なるほど……?とりあえず、最後の部分だけは理解できた。キサカは薄く微笑む。
「あなたは、魔法のことをとてもよく知っているのね。お名前はなんていうの?」
「……ライラ」
「ライラちゃん。かわいい名前ね。ライラちゃんは、私の魔法のことを奇跡って言ったわね。けど、さっきも言ったみたいに、私の能力は万能じゃないわ。奇跡って言うのは、なんの制限もなく、それこそ何でもできることを言うんじゃないかしら」
「……違うの?」
「ええ。分かりやすい例えで言えば……ライラちゃんは、魔法が使えるの?」
「え。うん、使えるよ。ライラは大まほーつかいだから」
「そう、すごいのね。なら、強い魔法も使えるのかしら?」
「うん。もちろんだよ」
調子に乗ったライラは、偉そうにふんぞり返った。キサカは微笑みながら続ける。
「すごいわ。きっとあなたなら、魔物の大群だってやっつけられるのでしょうけれど……私の力では、小さなねずみ一匹だって、倒すことはできないの」
え?ああ、回復魔法だからってことか?
「私にできることは、傷を治すとか、そんなことばかり。戦うことは何一つできやしないわ。それこそ、誰かに守ってもらわないと、たった一匹の魔物にすら殺されてしまうくらい。こんな融通の利かない力を、奇跡だなんて呼べないでしょう?」
「え……?」
話しがおかしな方向に流れてきて、ライラは困惑しているようだ。代わりに俺が口を開く。
「キサカさんは、回復系の魔法しか使えないのか?」
「そう。より正確にいえば、光の魔法自体が、攻撃に全く転用できないの。光の魔法は全部で七つあるらしいけれど、そのどれも、戦いでは役にたたないわ」
「そう……なのか。けど、それでもすごい力じゃないか。怪我をすぐ治せるなら、戦いで役に立たないってこともないだろ?」
それでもキサカは、ゆるゆると首を横に振るばかりだ。
「治せると言っても、同時に何人もとか、次々に治療するとか、そういうことはできないの。それに、私自身もどんくさいから、最前線に出ることもできない。安全な後ろで、ただ守ってもらうばかり……本当に、役立たずで、卑怯な能力だわ。ごめんなさい。こんな私を、責めないでもらえるかしら」
俺は何も言えなくなってしまった。困ったな、そんなに卑下することもないだろうに。なんて言えばいいんだよ?俺が言葉に詰まっていたその時、また別の声が、するどく聞こえてきた。
「それ、嘘でしょ」
口を開いたのは、フランだった。嘘?
「えっと……あなたは……?」
「フランセス。それより、今の話。怪我を治せる魔法が、戦いで役に立たないはずがない。そうでしょ」
そう言ってフランは、エラゼムの方を向いた。エラゼムは少し慌てたが、それでも歴戦の騎士らしくしっかりと答える。
「そうですな。戦場において、治癒や補給といった後方支援はどれだけあっても困りません。後方という土台が無ければ、前線を積み上げることもままなりませぬから。戦いにおいて最も重要なことは、鍛え抜かれた軍隊よりも、切れることのない補給線です」
フランはうなずくと、視線をキサカに戻す。
「たとえあなた自身が非力でも、その力を使えば何人も助けることができるんだ。役に立てないはずがない。それなのに、ただ守られてたってことは、あなたにやる気がなかったからだとしか思えないんだけど」
う、うわ。フランの赤い視線が、キサカを射抜くように睨む。
「わたしたちを……この人を、あなたの慰めの道具にしないで」
つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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