3章 1-1 金策

1-1 金策


王女ロアは、必死にくしゃみを我慢していた。

侍女たちがおしろいの粉を死ぬほど浴びせかけてくるので、ロアは窒息寸前だ。一瞬、そんなに粉を塗らないといけないほど、自分の顔はひどいのかと背筋が冷えたが、この城の連中は血色が悪く見えるほど顔を白くするのを好むのだ。したがってこれは侍女たちのいわば好みであり、自分の顔はそんなに悪くはないはずであって……


「お疲れ様です、王女様。終わりましたよ」


ロアはハッと、ぐるぐると考えに浸っていた意識を呼び戻した。いつの間にか化粧が終わっていたらしい。ということは、朝から拘束されていたこのおめかしという儀式が、ようやく終わったということだ。ロアは椅子から立ち上がると、背筋を思いきり伸ばした。ボキボキッとおぞましい音がする。


「ふ、はぁ!やれやれ、毎回ご苦労だな。これではお前たちも大変であろう?」


「いえいえ。王女様はお顔立ちがきれいだから、こちらもやりがいがありますわ」


「そうそう!これくらい張り切らないと、お仕事に見合いませんもの」


侍女たちは疲れたそぶりも見せずに意気込んでいる。


(お前たちが疲れるのだから、私も同じくらい疲れるんだ。次から少し省略したらどうだ、という皮肉のつもりだったのだが……)


この侍女たちにはちっとも効きそうにない。ロアはお手上げだ、とため息をついた。だが、くたびれてばかりもいられない。むしろ自分はここからが本番だ。

身支度を終えたロアは、被服室を後にする。部屋の扉を開けて外に出ると、廊下に一人の男が立っていた。

男はひょろりとカールした口ひげを生やした、四十代ほどの中年男性だ。ピシッとした身なりと、年の割にはがっしりした体つきは、身なりの高さをうかがわせる。男はロアを見ると、うやうやしく頭を下げた。


「これは、女王陛下。いつもお美しくあられながら、本日は一段とお美しい」


「ハルペリン卿!」


ロアの心臓がどくりと高鳴った。まさか、もう着いていたとは。


「お、お早い到着だな、ハルペリン卿。まだ約束の時間には余裕があると思ったが」


「非礼をお許しください。今日に限って、馬車馬が風のごとき速さで駆けたのであります。きっと馬どもも陛下にお早くお目にかかりたいと考えてのことだったのでしょう」


「あ、ああ。ハルペリン家の馬はこの国でも指折りの名馬ばかりだと耳にする。さすが、武勲で名を挙げた名家だけあるな」


「おほめに預かり光栄です」


ハルペリン卿は欠けた月のように目を細めると、再び深々頭を下げた。


(しらじらしい真似を)


ロアはにこやかな笑みを浮かべながら、心の中では悪態をついた。


(わざと早目に着いたな。少し驚かせば小便でも漏らすと思ったか)


舐められている。ロアは目の前の男を見定めて、唾を吐きかけてやりたくなった。


「ところで、女王陛下。先ほど城門を通るとき、騎兵隊が整列しているのが見えましたが。出兵の予定がおありなのですか?」


(見られていたか……)


致し方ない。この男が来る前に準備を済ませられればと思っていたのだが、想定の範囲内だ。ロアは何食わぬ顔で返す。


「南部の視察に向かうのだ。すこしもめ事が多いとかでな」


「南部……“三の国”との国境付近ですな。たしか、流民が集ったスラムもあるとか」


「ああ。そこの状況把握もかねてだ。なにか障ることでも?」


「いいえ。陛下のお考えになることに口出しするなど、滅相もないことです」


ハルペリン卿はにこやかに笑った。この場での笑みはかえって不気味に見える、とロアは思った。


(この男に弱みを見せてたまるものか)


会話の流れを取り戻すために、ロアはんん、と咳払いをした。


「まあ、こんなところで立ち話もなんだ。少し早いが、“茶会”を始めるとしよう。準備は整っているはずだ」


「かしこまりました。では、まいりましょうか」


ハルペリン卿はにこりと笑う。ロアも笑みを浮かべた。一見にこやかな二人の様子を目撃した侍女は、のちに“二人の後ろに虎と蛇が見えた”と仲間内に語ったという……



つづく

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読了ありがとうございました。

続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。


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