森の中の出来事

織辺 優歌

第1話 白い花の妖精ソフィー

 ソフィーは、森の中に咲く白い大きな花の妖精。

 深く大きな森はいにしえの昔から美しい樹木を育て、苔むす大地に覆われていました。

 陽の光に輝く緑色の葉が揺れると、その木洩れ日の影では、赤や黄色、オレンジにピンクの花々が香りの妖精と遊んで、可憐な花が微笑むように咲いています。

 その中でも特に目を惹かれる白い大きな花の木はこの森の中で一番古く、神秘的な光を放っています。それが、ソフィーの白い大きな花の木です。

 ソフィーはもうどれほど昔からこの森に住んでいるのでしょう、妖精の年齢は本人さえ数えきれるものではありません。

 深い森には訪れる人はごく稀にしかいなかったので、ソフィーはこの美しい森を独占するように、毎日自由に遊んでいたのです。



 ある日ソフィーが森のはずれまで来た時のこと。

村の一番端にある一軒の家は、森のすぐ近くに建っていました。

どこからともなく、ピアノの音色が聴こえたので、ソフィーはその音色に誘われるように、羽を広げて彷徨ううちに、森のはずれにその家をみつけたのです。

 大きな窓からはピアノが見えて、優しい顔立ちの青年がピアノを弾いています。

何て美しい曲だろう。ソフィーは夢中でそのピアノの調べを聴くうちにその青年をもっと知りたいと思うようになりました。優しそうな人だわ。もっとそばでピアノが聴けたらどんなに幸せかしら。

 

 でも花の妖精ソフィーは森の中でだけ生きられる。だから、森の中から出ることは出来ないのです。


 毎日ピアノを聴きに森のはずれまでやってきては、そのピアノの調べにうっとり聴き惚れてしまうのです。

どんなに待ってもピアノの調べも、青年の姿も見られない日は、命が消えてしまうほどに寂しい気持ちになりました。この想いは、いったい何なんだろう。ソフィーの体は震えました。

 ピアノの調べを聴くうちに、ソフィーはまだ逢ったこともない青年に恋をしたのです。


 青年に逢い、話をしたり一緒にこの森を散歩したり、そんなことが出来たらどんなに楽しいだろう。やがて、ソフィーは人間として生きていきたいと思うようになりました。

愛する人に、本当に愛されたら人間の姿で生きて行かれるし、この森を出ることができる。

遠い昔にそんな話を聞いた覚えがあるわ。

その想いは日々強くなっていったのです。





 朝靄が立ちこめるある朝のこと、ソフィーは青年が森を歩いているのを見つけて、息も止まりそうになりました。ソフィーは彼に会えた喜びで思わず彼のもとへ駆け寄ろうとしました。でも青年には妖精の自分の姿は見えないだろうし話も出来ないという悲しい事実に気づいて、しばらく木の陰から青年を見つめていましたが、ソフィーはため息を一つついて、その場を離れようとしました。

どんなに想っていても、叶わぬ想いなんだわ・・・。


「あの?」

後ろから声が聞こえてきました。

「こんにちは・・・。」

ソフィーはその声が自分に話しかけているのか不思議な気持ちで振り返りました。

その青年はまっすぐにソフィーに向かって歩いてきます。

ソフィーは黙って青年の顔を見つめていました。

「僕はこの森には初めて来たのですよ。美しい森ですね。あなたは?」

「ええ、私は毎日歩いているんです。それはもう美しくて、時間によっても季節によってもいろんな姿に変わるから。でも春が一番綺麗。花が一斉に咲く春が一番好き!」

ソフィーは思わず、口に手を当てました。

私、話をしてる。

「そうですか。羨ましいな。こんな森を毎日歩けるなんて・・・。僕の故郷は雪がたくさん降る氷の国なんですよ。だから同じ森でも随分と様子が違うのです。少し前に仕事でこの国へやってきました。僕は音楽の仕事をしています。今は森のはずれの家に住んでいるのですよ。」


 そう・・・。氷の国の森は一体どんなかしら?

 そんなことより、ソフィーは人間と話をしている。青年には自分の姿が見えるのだ。

ソフィーはいつの間にか、自分が人間の女性の姿になっていることに気がついたのです。こんなことがあるなんて。

ソフィーは急に怖ろしくなって、それじゃ・・・と言ってその場を離れました。青年の顔は見ずに。

 しばらくして振り返ったら、青年は木の株に腰掛けて、そよぐ木々の葉を見上げていました。まるで、その青年が森の様子を一変してしまうように、木々や花や鳥と一体になっているのです。ソフィーは人間の姿になったことや話をできたこと、そんな不思議なことで頭がクラクラして、自分の居心地の良い白い花の木に逃げるように戻って行きました。


 翌朝もソフィーは森の中で青年に出逢いました。

 「こんにちは。気持ちの良い朝ですね。この森は本当に美しい。」

青年がソフィーにそう話しかけました。ソフィーは自分が人間の女性として青年に見えていることを確信しました。昨日の事はやはり私の思い違いではなかったのだわ。

ソフィーはふたたび青年と話しができたことがどんなに嬉しかったことか。

 ふたりはゆっくりと森の中を歩きました。季節もちょうど春になろうとしている時で、瑞々しい若葉や可憐な花を眺めながら、樹木の歌を聞くように歩いたのです。

 最初はポツリポツリと話しをしていましたが、やがてふたりは感情の迸るのを止める事ができないように、夢中で話をしました。ソフィーは毎日ピアノを聴きに家のそばまで行ったこと、だから遠くからだけど実はあなたを知っていてどんなにか逢って話をして、もっともっとピアノの演奏を聴きたいと思ったのかを。いつもピアノの演奏にうっとりしてどんなに幸せな気持ちになっていたかということも・・・。

 


 やがてふたりは運命に導かれるように、瞬く間にお互いを愛するようになったのです。

 

 青年の名前はアルゲイ。

 ソフィーとアルゲイは時間も忘れて森の中を歩き、やがてアルゲイは立ち止まり、大きく手を広げてソフィーに微笑みました。ソフィーはアルゲイの胸に飛び込みふたりは強く抱き合いました。

「こんなに不思議なことがあるのね、私はもうあなたをこんなに愛してしまったわ。」

「僕もだよ、ソフィー。愛しているよ。」


 ソフィーはアルゲイの作曲した曲を聴きたいと言いました。

「昨夜、徹夜で創った曲だよ。聴いておくれ。」


 

 録音機を取り出し、ボタンを押すと、ゆったりとしたテンポの優しくて繊細なメロディーが流れ出しました。

「曲名は、森の音だよ。」



 音が広がるにつれ、森の木々の葉が、艶めき、色を変えるような美しいメロディー。

まるで、童話の中に入り込んでしまいそうな曲だわ・・・。

 カサカサと枯葉を踏みながら歩く初冬の様子では、単調なピアノの音から始まり、やがて枯葉が秋の光に舞う黄金色の森の様子を表すように豊かで高音の気高い枯れた音が鳴り響く。

 細かいアルペジオがピアノの高音から低音までオーケストラのように鳴り、暖かなメロディーが柔らかな陽射し、風、森の香りを思わせる。森の命を謳うように地面に敷き詰められた色とりどりの花々が、魔法の国への道しるべのように揺れる音色。録音機から流れる音はピアノの音だったが、それはまるでオーケストラが演奏しているような感覚を覚えた。弦楽器の他、管楽器のオーボエやクラリネット、フルートなどが高らかに歌い、お互いの楽器に答えているような親しみやすい牧歌的なフレーズが続き、夏の場面では、キラキラと輝く大地や真っ青な空、命を謳歌するようなダイナミックなメロデイー。アルゲイ作曲の「森の音」はソフィーの心と緑溢れる森を優しく包み込んだのです。



 ソフィーは熱いものが瞳から流れてきました。涙はソフィーにとっては、初めてのことです。

「美しい曲だわ・・本当に・・・。」

ソフィーはアルゲイを見つめて言いました。

アルゲイは少し照れくさそうに、

「どうして氷の国に住む僕が、森の音という曲を創れたのか・・・それは、ソフィー、君を愛するようになったから、それにこの森は美しいから。その両方かな。」




 澄み切った藍色の空に大きなお月様。今宵は満月。

白い花びらは月の光を浴びて輝いています。

 ソフィーは、花びらの中に埋もれて、元の体に戻ります。

ソフィーは花の妖精。愛する人にめぐり逢った時だけ、人間の姿になれる。


 突然、月の光が遮られて、ソフィーの目の前に、いつの頃から生きているのか、この森に住んでいるのか想像するのも難しい年老いた魔法使いが現れました。花の妖精ソフィーも初めてこの魔法使いに会ったのです。魔法使いの名前は、キーラン。

 「人間の女性になりたいと思っているようだが、本当にそんなことが望みなのか?」

魔法使いキーランは囁きます。

 「花の妖精のままで生きていけば、悲しく辛い思いもなく、人と争うこともなく、幸せに生きていかれるのに・・・。」


 

 キーランは愛や恋は辛く悲しいものなのに、どうしてだか人間は恋をしたがる、などの話をくどくどと喋り続けました。そして、音楽の話に及ぶと、魔法使いが言うには、音楽は陽と陰、美と醜の両方の顔を持っているから、音楽の女神ミューズとも友達なんだと。

「まぁ、むこうは怖ろしく年老いた魔法使いが友達だなんて思っちゃいないだろうけどね・・・。」


「ミューズの中の歌の女神がお前のところへ来てくれるようだよ。女神は何かを伝えたいそうだ。ソフィー、自由に生きられる妖精であることを本当にやめたいのか?だれでも最初はこの恋は本物だと想って心は踊り溢れんばかりの気持ちで満たされるけれど、恋も人生もそんなに甘いものじゃないんだからね!人間になりたというなら、その時はもう一度、わたしに声をかけたらいい、願いを叶えてあげよう。」


 そして、不気味な薄笑いを浮かべると、「ソフィー、、決断する前に、少しだけその条件を教えてあげよう。」


 魔法使いキーランはソフィーにそっと耳打ちしました。

一体、何を囁いたのか・・・ソフィーは一瞬首をかしげました。

「途中までしか教えてくれないのね?」

キーランはにやりと笑って消えました。

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