筥崎宮
五郎は進んだ先の土塁に違和感を覚えた。
「あれはなんだ……まさか壁か?」
「あの土塁か、あれは水城といって古い時代に唐との決戦に備えた城跡だ」
東西にまっすぐに伸び南北を分断する壁。
東側は山のふもとまで続き、山頂にはかつて山城が構えていた。
西側の丘陵地帯には小水城が行く手を阻む、はずだった。
海の玄関口には
それは古い時代――飛鳥(あすか)の時に建てられた一連の設備の名残だ。
その水城の旧東門を横切る。
五郎は水城を観察した。
これは使えぬ。
底の浅い空堀に今から水を溜めたところで意味がない。
そして土塁は崩れて緩やかな斜面になっている。
その上さらに木々が自生してるので、今からでは補修も難しい。
何度か氾濫があったのか水城を貫く比恵川の付近はもはや土塁として機能していない。
これならば海辺の水際で<帝国>を食い止めるのが賢明だ。
五郎はそう感じだ。
比恵川を下っていくと川船が大量の物資を乗せて下っていく。
そして今度は別の積み荷を載せた船が川を上っていく。
「モ~~」
船は牛に曳かせて川上へと持って行く。
牛と共に川上へ行くということは、逆に牛に荷物を載せて下りもする。
牛飼いたちの一団も五郎たちと一緒に博多を目指す。
その一団の中に昨日会った牛飼いの少年もいた。
「五郎さん、こんにちは」
「朝から大変だな」
「いえ、仕事ですから」
子供にはきつい仕事に見えるが、これで同年代の中では役得があったりする。
それは米俵に手を突っ込んで米をそのまま頬張ることができるのだ。
五郎も他の大人たち同様に見て見ぬふりをする。
そのぐらいの情けなら鎌倉時代にも存在する。
「ここらへんで北へ行けば筥崎宮に着きますよ」
「そうかありがとな」
そう言って五郎たちは牛飼いと別れる。
大宰府の博多が見えた時点で北へと行く。
その先には宇美川があり、筥崎宮は川と博多湾の間に位置する。
さらに北には黒煙が上がっている。
山火事だろうか、と五郎は思った。
「そこの武士団よ少し待つがよい!」
五郎たちが筥崎宮に着くと別の武士に呼び止められた。
「我らは肥後国竹崎の者である。大宰府より筥崎宮の警固の任を受けてきた!」
「おお、肥後の武者たちか心強い! ワシは豊後国守護、大友兵庫頭
「そうでしたか、それでは我らはこの地を守ればよろしいか?」
五郎は少し不安になった。
戦いは博多周辺になるだろう。
しかし湾の奥にある筥崎宮が戦火にまみえるとは到底思えない。
わざわざここまで来て勲功一つ得られない可能性が高くなった。
「豊後の者が今日中にここへ来ることになっている。そち等は今日一日だけここを守ってくれればそれでよい」
「わかりました。筥崎宮の警固にあたります」
五郎は少しほっとした。
「ところであの黒煙は山火事ですか?」
「ほほぅ、気になるか? あの煙の出所はたたら場だ。鍛冶師たちが火を使っているのだよ」
博多湾に注ぐ複数の河川の一つに多々良川がある。
その名の通り、たたら製鉄に必要な砂鉄がとれる川砂を有している川になる。
たたら製鉄所の付近では鍛冶職人たちが刀剣や矢尻そして甲冑などに使われる鉄を打っている。
燃料の木炭から鉄の鋳物まで全ての工程で火を使う。
その火が昼夜問わず燃え続けているのだ。
「なるほど、安心しました」
「五郎、警固の任のためにも一度周囲を見て回らないか」
三郎の提案を聞いて、たしかに地理に疎くてはいけない、と思った。
「うむ、ワシの手勢もいるから、今のうちにそこの鳥居から全体を見渡しておく方がよい」
大友
鳥居は神社の神域と人が住む俗界を分ける一種の門と言われている。
しかし、神職がどう言おうと、外から来る渡来人には荷揚げするための目印でしかない。
貿易を取りまとめる大宰府が何度も移り、形骸化したこの時代では――貿易とは私貿易である。
つまり博多湾周辺にある神社、寺院などが主導する民間貿易が活発におこなわれている。
五郎は海岸に近い鳥居まできた。
この鳥居の先には大規模な船着き場がある。
本来はここから荷揚げされた交易品が鳥居を通り、境内の広場で仕分けられる。
今は干し草に兵糧と兵站物資の集積所と化している。
有事でなければここもにぎやかだったのだろう。
五郎はそう思った。
「見ろ異国の船が浮いてるぞ」
博多湾の西側には宋の外洋船が浮いている。
湾の東側の水深が浅くて奥まで来れないからだ。
だから平船に積み替えて荷下ろしをおこなう。
とうの昔に出航しているはずが、今は<帝国>のせいで動けなくなっている。
「穏やかな海でいいっすね」と籐源太が言う。
穏やかだが潮風があたる。
浜辺には防風林として松が大量に植えてある。
それが博多湾の湾岸線をどこまでも続いている。
途中で干潟などもあるが、ほぼ全域に松林が植えられている。
だから鳥居のある参道以外は松林で先が見えない。
戦をするには見通しが悪く、敵味方の位置が分からなくなる。
戦いが始まったら海岸を走って行く方がいいだろうか。
五郎はそう感じた。
「あの志賀島という半島によって玄界灘で荒れないのだ」
「父上、ということはそのせいでココに<帝国>が攻めてくるのですね」
「……オイラ、波の激しい浜辺の警固がいいっす」
「ここまで来て何を弱音を吐いてるのだ。勲功を得れば嫁さんぐらいすぐに見つかるぞ」と三郎がいう。
「ほんとっすか!?」
「はは、籐源太もなかなか現金な奴だな」
五郎がそう言うと皆で笑った。
一通り博多湾の地理を確認したら、また馬の世話をする。
「ぶるるっ」
すり寄ってくる馬を撫でてやる。
「よし、いいこだ」
一度合戦になったら水もエサもほとんど与えられない。
だから今のうちに十分に水もエサも与える。
「其の方はどちらから来られた!」
大友
「我々は宇都宮氏の――」
辛うじて宇都宮という名が聴こえた。
それを聞いていた五郎は思った。
「籐源太よ、宇都宮氏と言えば野中翁の御親類ではないか?」
それはつまり五郎も宇都宮氏と親類ということでもある。
「たぶんそうっす。どうします?」
「馬の世話が終わったら挨拶しに行こう」
「わかりました」
だが、宇都宮氏と大友氏はそのまま警固の割り当てについて話し込んでしまった。
「白石からは百騎と歩兵が三百ほど――と聞いている」
そして怒鳴り声が響く。
「そうなると大宰府周辺にたったの千騎だと! これでは歩兵合わせて五千程度ではないか!! どう防衛しろと言うのだ!!」
「ここは歩兵は博多を中心に配置して、騎兵を要所に配置する。敵の集団を見つけてから歩兵を動かすのが定石かと」
「ううむ、それでも数が足らなすぎるな……」
「五郎、今首を突っ込んだら僻地の警固役にされるかもしれんぞ」
そう三郎が言う。
「たしかに、ここは早々に寝て明朝には大宰府の指示を仰ぎに行った方がいいな」
五郎たちは仁義のために来たのではない。
恩賞を得るために武功を上げに来たのだ。
そしてなにより安全な場所の警固に付きたい人は大勢いる。
五郎のような無足人の方が少数だ。
だから五郎たちは警固役を交代したらすぐに寝ることにした。
――翌未明。
日は出ていない。
それでも五郎は胸騒ぎがして目が覚めた。
寝床から出て顔を洗う。
薄っすらと光が出始める。
すると鐘が鳴り響いた。
警報だ。
「どうした!?」
「西の空を見ろ!」
「煙だ! 煙が出ているぞぉ!!」
五郎も見ると暗い夜空に煙が立ち込めてるのが見えた。
陽の光が上空の煙を映し出したのだ。
それも早朝の野焼きや、たたらの煙ではない。
明らかに違う。
なぜなら博多湾の海上から入道雲かのように煙が上がっている。
<帝国>が南宋船に火をつけた。
周囲で口々にそう言う。
「五郎! 何事だ!!」
「ついに来たぞ! すぐに準備だ」
「こうしてはおれん。息子共さっさと起きろ!」
三郎もすぐに察して急いで息子たちを起こす。
五郎も籐源太を起こす。
「籐源太起きるのだ! はよ起きろ!!」
「うーん、昨日も馬の世話でオイラもう少し……むにゃ」
「ええい、<帝国>が来たぞ!!」
「……へ? て、<帝国>!!」
「さっさと支度をするぞ!!」
五郎たちは急いで大鎧を着こむ。
周囲も慌ただしく、戦支度を始める。
「日の総大将少弐殿から伝令! 筥崎宮にいる肥後の者は、急ぎ息の浜に集合せよ!! 勝手な行動はせず息の浜に集合せよ!!」
それは五郎たちへの出陣要請である。
五郎たちは外へ飛び出して、馬に乗る。
「そろったか? ではゆくぞ!」
「おお!!」郎党が応える。
五騎が駆ける。
――1274年11月19日(文永十一年十月二十日)
その日、博多湾に三百隻を上回る軍船、それに乗る四万もの<帝国>軍が襲撃してきた。
迎撃に当たるのは五郎たち五騎以外には騎兵が千騎と四千名の手勢、あとはまだ見ぬ僅かな友軍。
敵は強大、味方は少数。
すでに戦いは始まっている。
――――――――――
やっと文永の役の始まりです。長かった。
ちなみに蒙古襲来絵詞はここがスタート地点になります。
https://33039.mitemin.net/i571570/
蒙古襲来絵詞 絵一
右から順に大友勢、宇都宮勢、そして先頭が竹崎勢。
前振りをこれでもかとやって、何とか史実のスタート地点に来れました。
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