大宰府の博多

 江田勢と合流した翌日。


 五郎たちは北へと進み筑前国の大宰府に着いた。


「いいか五郎、ここいら一帯には大宰府が複数ある。だから間違えるなよ」と三郎が言う。


「複数? 一体どういうことだ?」


「うむ、なんでも古い時代には赤坂に大宰府が置かれていて、それがここに移ったらしい。しかも平安の世で一時解体されたのちは自称大宰府が博多の町にあるという状態だ」


「まったくよくわからんな」


「ははは、まったくだ」と三郎も言う。


 大宰府は時代と共に移り変わってきた。


 というのも本来はヤマト政権の出先機関であり、地名ではないというところから始まる。


 最初に出先機関として博多湾に設置された。


 この施設は外国使節団の迎賓の役目も担っていた。


 転機が訪れたのは西暦663年(天智天皇二年)に起きた白村江の戦での大敗にある。


 この敗北を機に大宰府は湾岸より奥深くの山裾のあいだに移された。


 この時から大宰府は地名と行政機関名があやふやになる。


 それから時が流れ平安時代までには大宰府は奥地という勝手の悪さから衰退していく。


 さらに要職についても京の都から外に出ないで赴任することがない、平安貴族といういびつな社会構造によって有名無実化する。


 鎌倉時代になると権威付けをしたい武藤氏という武将が太宰少弐の官位を得る。


 この頃には大宰府の実務は博多に移り、以降は子が官位を世襲して少弐氏が興る。


 つまり行政機関としての大宰府は博多にあり、これを大宰府の博多と呼ぶ。


 五郎たちがいる場所は作戦級兵站基地大宰府であり、これも地名として大宰府と呼ぶ。




 その日、五郎たちは馬を休めるためにも大宰府で一泊することとなった。


 この大宰府は経済面では衰退したとはいえ、軍事面では物資を集積する重要拠点である。


 兵站基地とは大まかに三つの区分に分けて考えることができる。


 戦略基地、作戦基地、そして戦術基地になる。


 九州最大の戦略基地は阿蘇の草原だ。


 この草原の総面積は二百二十平方粁平方キロメートルにもなる。


 この時代でも一平方粁平方キロメートルあたり千トンの牧草を収穫することができるので、二十二万トンの生産量となる。


 阿蘇の草原地帯以外では稲作による米も作られている。


 それはつまり一大生産拠点から作戦基地である大宰府へと常に牧草と米俵が供給されていく。


「それにしてもスゴイ量でオイラ目が回ってきた」


 五郎と籐源太は馬たちの世話のために干し草を運ぶために集積地を歩いている。


「ああ、もはや干し草の山だな。それに向こうには矢が山積みになっている」


「あっちを見てください、楯が大量に置かれてます。うへ、これ全部博多に運ぶんですか?」


「モォ~~」


「見ろ牛たちが運んで物資を大量に運んでるぞ」


 大宰府では荷駄馬ではなく牛を使って運搬をしている。


 これはかつて平安の時代に貴族たちが牛車に乗って移動していた文化の名残だ。


 今では貴族ではなく牧草と米俵を山の様に乗せて川へと持っていく。


「干し草を持っていくのなら駅舎にも入れとこうか。おい! 牛飼いの小僧出番だぞ!!」


「へーい」と少年が牛を引っ張ってきた。


 五郎たちは牛飼という少年と干し草を牛に乗せて駅舎にいく。


 五郎たちはこの兵站基地である大宰府に来るまでは全て実費でエサや宿泊費を支払っていた。


 しかしここに着いた時点で兵役に就いたことになった。


 つまりここにある全ての物資を利用できるということだ。


「おお、五郎か、スゴイ量だな」


「ああ、ついでに駅舎の方を手伝ってくる」


 三井家の三人は馬の世話をしていた。


 馬たちは干し草を分けた後、駅舎へ行く。


 そこには十数頭の馬が休んでいた。


 牛飼は干し草を入れながら言う。


「この駅舎の馬たちは乗り継ぎ用です。隣の駅に着いたら次の馬と交代して休ませるんですよ」


「拙者たちも使えればいいのだが、流石に贅沢すぎるな」


「ええ、この馬たちは鎌倉の大将軍様への伝令用ですからね。たまに偉い人を乗せて来るときもあります」


 この時代の飛脚は江戸時代と違い馬を使用していた。


 これは飛脚という事業を武士か民間どちらが主導するかによる違いだ。


 この時代だけは武士が主導することによって大量の馬を安く活用することができたのだ。



 五郎たちはこの物々しい場所で馬の世話をして、一夜を過ごした。



 ――翌日。



「おーい、五郎殿!」と焼米と籐源太が来た。


「さきほど大宰府の役人からオイラたちは筥崎宮に――」


「拙者ら江田勢は住吉神社にて警固番をすることになったでござる」


「そうか、ではまたしばしの別れだな季長殿」と江田又太郎がいう。


「ええ、それではご武運を又太郎殿」


 馬上で挨拶を交わしたのち江田勢は住吉神社へ向かう。


 五郎たちは道なりに北へと目指す。


 進む途中には比恵川がある。


 その比恵川には川船が所狭しと浮いている。


 この船が膨大な物資を神社へと運んでいるのだ。


 なぜならこの時代の兵站の戦術基地は神社あるいは寺院になる。


 最重要交易拠点である博多を守るために、その周囲にある神社へ物資を運んでいるのだ。


 武士は飯を五合食らう。


 馬は干し草を二十キログラムは食べる。


 それは重装弓騎兵が各神社に千名滞在すると考えた場合。


 一つの神社に対して一日に五千合分の米俵と二十トンの干し草を供給する必要がある。


 そしてこのような戦術基地は水の供給のためにも必ず川のすぐ近くに置かれている。



 五郎たちは戦いの舞台、大宰府の博多へと足を踏み入れる。





――――――――――

大宰府複数説は通説ではありません。というよりほとんど聞きませんね。


本作では権威付けに名を改めるぐらいに支配欲の強い少弐一族が、衰退した大宰府に居座るより博多に居を構えて貿易権益を牛耳っている――だから博多が大宰府と呼ばれている方が説得力がありそうなので創作しました。


同じ地名が隣にあったら変更するだろうと思ったのですが……。

平安貴族たちが平氏や源氏がどんなに増えても頑なに氏を変えなかったという前科があるのでなんかありえそうだなと。

お役所仕事……前例主義……う、頭が……。


それから固有名詞が増えてきたので博多周辺の地図です。


https://33039.mitemin.net/i571361/


大宰府は遠すぎたので省略してますが、神社と川を基準にみると堅い守りと無尽蔵の補給網が見えてきました。

あと左下の300はゴリラの大股300歩であり、およそ300メートルとなります。

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