女商人むつ

 五郎が無足の身になってから数日。


 菊池「五郎」季長は、他の親類と区別する必要があった。


 そこで未開の地の地名である竹崎を冠して、竹崎「五郎」季長となった。


「ここが竹崎か……」


 菊池一族が支配する菊池川下流その端にある土地、竹崎にやってきた。


 周囲は荒れているとかではない。


 竹崎の名の通り竹が行く手を阻む土地。


「ここは……田畑すらないのか……」


 竹林は光さえ遮って奥がどうなっているのかすらわからない。


 手付かずの土地と言えば聞こえがいいが――人が通れるかどうかほどの竹林はただ不気味な土地という印象でしかない。


 昔はここも開発されていたらしい。


 しかし昔、何度もあった大飢饉と重税から農民が逃げ出し放棄された。


 いつの間にか竹が根を張り、気が付いた時には誰も手が付けられない竹林となった。


 ――その時からこの地は竹崎という。


 五郎は長老がそう言っていたのを思い出す。


 たしかに過去に失敗した土地をもう一度開拓するのは一苦労だ。


 ましてや飢饉で農民がいなくなった。


 隣村に避難したとかいう話ではない。


 無情にも体力のない子から力尽き、生き残りを一カ所に集めたのだ。



 菊池の者はその名の通り菊池川一帯を治めている。


 この川は毎年のように氾濫するので治水にほとんどの人手が回される。


 治水をおろそかにしたら立ち行かなくなる、周囲の開発に失敗したら立ち行かなくなる。


 少ない人手で何とかしなければいけない。


 自ずと菊池川一帯の治水に駆り出される。


 はるか昔はこうではなかった。


 かつて菊池家が最盛期の時は肥後の国の大半を支配下に置いて地固めをしていた。


 それが源平合戦の時に平家側に付いたのが運の尽き。


 その後は承久の乱で後鳥羽上皇につき敗北、幕府の圧力によって大部分の土地を取り上げられる。


 何とか力を取り戻そうとするも飢饉が起きて衰退。


 余裕がないのだ。


 そこへつい先日、都合のいい労働者が現れた。


 五郎という大男だ。


 拙者はここで鍛錬をやめて、農地開発に精を出す。


 それも<帝国>が攻めてくる日まで――五郎はやるせなくなった。


 目の前には太く伸び切った竹の林。


 いくら筋力と体力が有り余っていても竹の伐採に力を入れていたら、合戦の日に準備不足で討死。


「はぁ~~、一体どうしろというのだ……」


 竹を切るにも道具がいる。


 持っているのは腰に携えた刀が一振り。


 これで一刀両断すればいいのだろうか、と考えた。


 耕すには人手もいる。


 それらを揃えるには米か銭がいる。


 無足の身にはどれもない。


 さらに問題なのが土地を耕してもその収益の大部分は叔父の懐に入る。


 五郎が得られるのはわずかなもの。


 この状態を脱するには戦で軍功をあげるしかない。


 しかし武具一式と弓馬がなければ手負いで生還することも難しい。


 やっぱり討死の功。


 妻子がいないのでその勲功は叔父に流れる。


 それでは叔父が喜ぶだけじゃないか! 五郎はまたしても血の気があがる。


 そして腹を立てても意味がないと血の気がさがる。


「はぁ~~世知辛い……」


 深くため息をつく五郎。





 グダグダしても仕方がない。


 とりあえず竹を両断してみようかと考える。


「そこのお侍様、何かお悩みかのぅ?」


 すると不意に五郎を呼びかける声がする。


 辺りを見渡すがあるのは竹林だけだ。


「こっちじゃ、こっちじゃ」


 声のする方は竹林だ。


 そこに誰かがいる。


「誰だ! 名を名乗れ!! ――いや、とりあえず斬る!!」


 と言い抜刀する五郎。


 人の土地に入った不審者はとりあえず斬る。


 物の怪や妖怪の類ならとりあえず斬る。


 悪党山賊ならとりあえず斬る。


 近隣の農民なら斬った後に首を届けて、勝手に土地に入るなと警告ればいい。


 刹那、そう判断した。


「ええぇ!? 待つのじゃ。まって下さいなのじゃ!!」


 すると竹林の合間からぬっと顔が出てくる。


「む!? おなごか?」


 畜生なら構わないが、女子共を切るのは人にあらず。


 五郎は警戒しつつも構えを解く。


「そうなのじゃ。妾は見ての通り行商人なのじゃ。名は『むつ』というのじゃ。ほら背中に小物箱をしょってるじゃろ」


 そう言いながら竹林から女が出てきた。


「なんだ行商人か……ここで何をしている?」


 さすがに商人を斬ったら竹を買ってくれなくなる。


 それはマズイと思った。


 五郎が警戒を解いたので、説明のためか行商人むつは小物箱を地面において中の物を取り出した。


「妾はこうやって山あいの農村で希少な鉱物を手に入れて――」


 そう言ってキラキラと輝く鉱物を見せる。


「近くの漁村では貝やサンゴそれに干物と交換して――」


 そう言って珍しい貝や干物を見せる。


「――銭を稼いでるのじゃ!」


 そう言って宋銭の束を出す。


「そしたら大層立派な竹林があったので次の年にタケノコが得られるかと中を見て回ってたのじゃ――」


「それはつまり人の土地で勝手にもうけようということか?」


 またしても刀を構える五郎。


 無足の身とはいえこれから代理で開発する土地、取り締まりはしなければいけない。


 最初の仕事が女を斬る――というのは少々後味が悪いので脅して追い出すことにする。


「待て! 待つのじゃ!! お侍様の土地から盗むなんて怖ろしいことをしてたら命がいくつあっても足りないのじゃ! タケノコにせよ漁村での商いにせよちゃんとその土地の偉い人に銭を代納してるのじゃ! それに見るのじゃ――こんな目立か弱い女子が盗人なんてやってもすぐ見つかるのじゃ!」


 涙目ながら訴える女商人。


 そう言われると、たしかに大きな箱を背負って畑や竹泥棒は難しい。


 それに商人は少しでも信用してもらうために相手が得をするように立ちまわる。


 盗人のまね事は困窮してからだろう。


 よく見ると顔立ちもいいし、肌つやもなかなかよい。


 さっきの持ち物から食うに困っているわけではなさそうだ。


 五郎はそう判断した。


「ふぅ、まあいいだろう」


 五郎はとりあえず刀を納めることにした。


「はぁ~、では疑いが晴れたのじゃから、商いの話なのじゃ、お侍様はお困りなのじゃろ?」


 そう言ってするるるっと五郎に近づく商人。


「まだ晴れてはおらぬし、話すことなどない」


「まあまあ、商人というのは相手が欲しい物を売り買いするのが生業じゃ。ほんのすこ~し身の上話をするだけでいいのじゃ。な? な?」


「むむ、まあいいだろう。こんな無足の身に食えるところなどないぞ」


「ふふ、それを決めるのは妾たち商人なのじゃ」


 といって不気味な笑みをこぼす謎の女商人。


 五郎にまとわりつく視線。


 まるでヘビに狙われたカエルのような感覚に陥る。


 信用はできぬ――が、元よりどん底の身。


「別にさして珍しい話ではない――」


 そう言って、空を眺めながら、つらつらと今までの出来事を話す。


 女商人はいつの間にか後ろに回り込んで、口元をゆがませる。




































「うえ~~~~ん。おんおん。っぐっすひっぐっぐしゅ……」


「ええい、さっきから泣きすぎだぞ。むつ!」


「ぐすっだって、ち~~ん、のじゃ……だって……あんまりなのじゃ! ほぼ討死の人生って……うぅ……ぐすっ」


 この女商人名を”むつ”という。


 抜きんでた商才を持っているが、情に流されやすく涙もろい。


 おまけに商人として致命的な第一印象が最悪で、他の商人の間でも『ヘビ女』と呼ばれて煙たがられる。


 親族の助けがないと大きな取引ができないので、普段は小さな農村を中心に回るしかない。


 身の上話を聞いたなら、最初に口元がゆがみ。


 次に涙腺が崩壊して鼻水を垂れ流す始末。


 さすがの五郎も驚くが、顔面ぐしゃぐしゃになりながら最後まで話すように強要する。


 五郎は理解した――この女は残念美人だと。


「まあ、拙者には何もないともうわかっただろ」


「ぐすっ……」


「武具をそろえることもできず、そのうちどこかの合戦場で討死するだけよ」


「ち~~ん。ふぅ……ならば武具がそろえば良いのじゃろ?」


「武具か……そうだな。いや、むしろ弓と馬だ。弓馬こそ武士に最も必要な物だ」


「……ではその二つを用意するのじゃ」


「なに!? できるのか?」と驚く五郎。


「ふむ任せるのじゃ。――ただし少々契約をしてもらうがのぅ」


 そう言ってニヤリと不器用に笑う。


 商人としての信用を得るための笑顔――それがここまで不信感を与えるのはある意味才能だろうと五郎は思った。


「契約というのはなんだ?」


「こちらの起請文に名を書いてもらいます」


「起請文だと!?」


 女商人むつが小箱から取り出した一枚の紙。


 それは神々しさと禍々しさが同居する象徴的な図形が隅から隅まで描かれている紙だった。


 この紙に名を記したら最後、神仏を証人として約束を破らないと固く誓うものだ。


「神仏に誓って契約をしたいのか、一体どんな契約をしたい!」


 この契約はある意味、信仰心の熱い武士にとって絶対である。


「そうじゃな、妾はお主が領地を得るまで支援をする。お主は領地を得たら妾を御用商人として召し抱える。そして決して互いに裏切らないと誓うのじゃ」


 それを聞いて五郎は気づいた。


 そう、目の前にいるのは女商人。


 しかも究極的に第一印象が悪い女。


 どれほど商才があっても成り上がることも店を構えることもできない。


 五郎は何となく察した。


 女商人が一旗揚げるのは不可能に近い。


 しかし、所領を得そうな御家人と最初から取引していたらどうだ。


 それも起請文という神仏に誓った契約。


 このぐらいしないと一生行商人のままだ。


 拙者が成り上がることに成功したら――なれる。


 全ての商人が喉から手が出るほど欲しい地位。


 領主のお抱え商人という立場。


 五郎はしばし考える。


 会って間もない素性の知れぬ女。


 しかし――。


「わかった。神仏に誓って拙者はむつ殿を裏切らないと誓おう」


 そう彼女の目を見て言い切る。


「へ?」


 見つめ合う二人。


「……はっ!? な、ならば名をここに書くのじゃ」


 何時間も説得するつもりだったが、意外にも二つ返事で了承した。 それに少し驚くむつ。


 そう言われて五郎は起請文に名を書く。


 その後にむつも名を書く。


「うむ、それではよろしくなのじゃ、五郎殿」


 そう言って起請文を小物箱にしまう。


「ああ、これからよろしく頼む」


 こうして無足は成り上がるために、商人は後ろ盾を得るために。


 ――協力関係となった。






 ――――――――――

 名前訊く前にヒロインば斬捨てないは女々か?

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