あなたと私 75日目①
昼と夜の寒暖差が少しずつ開くようになり朝はまだ暑さが抑えられるようになっていた。
けれど、日中はまだ三十度を超えることが多く、暦の上では秋になってもこのうだるような陽射しは今日も容赦なく降り注いでいた。
そんな炎天下の中、一人街中を歩き続けながら仕事に勤しんでいると、急にスマホが鳴り出すので隅で立ち止まって確認してみる。
相手は課長からで、戻ってくる際に足りなくなった事務用品を買ってきてほしいとのことらしい。
大した用事ではなかったのでそれに二つ返事で承諾してから再び歩幅を広げ、次のお客さまのところに歩みを進めていく。
その途中で、一組の男女が楽しそうに話をしながらこちらに近付いてくる。
遠くから眺めているだけでも談笑している様は周囲に仲の良さをみせていて、その雰囲気はさながら恋人同士のようだった。
やがて彼女たちとの距離が近づき、すれ違いながら遠ざかる二つの背中を振り返りながら見つめる。本人たちは私の視線に気づくことすらなく、ずっと自分たちの世界に入ったまま奥へ消えて行こうとしていた。
「……仲良さそうだったな、あの二人」
ぼんやりとそう口にしながら、その後ろ姿が入れ替わるように私と想い人のものに一瞬だけ映し出されてしまう。
けれど、その人からの返事は未だに来ていなくて。
待ち続ける間『在るかもしれない』形に夢を見て、こうして実在する関係に自分たちを重ね合わせながら気を紛らわせていた。
ここ数日、三咲は新人指導の準備などで早めに出社することが多く、帰りもその日の振り返りで育成状況の進捗を書類にして提出しないといけないらしいので帰る時間も必然的に遅くなってしまい、姿を見る機会は以前よりも少なくなっていた。
勤めている会社がそもそも違うからこんなことはよくあることで、以前からも二人のタイミングが合わないことなんていくらでもあった。
それでも、こんなにも寂しさを覚えるのは初めてで、改めて自分の気持ちの大きさには驚かされてばかりだった。
この想いに、三咲は何て答えるのだろう。
気持ちを伝えてからずっと脳裏によぎるその問いに、私は知る術を持ち合わせてはいないしそもそも触れようだなんて考えてもいない。
これは彼女が答えることだから、今はその時がくるのをじっと待つことしかできない。
——理性ではそう分かってはいても、心の何処かで望んだ未来も見たくもない結末も両方思い描いてしまい、これからの私たちの行き先に不安を抱く日々が続いていた。
……出来ることなら、これからも。
小さな希望に願いをかけるように、選びたい未来を胸の内に大事に仕舞っておく。
それは時間と共に少しずつか細くなり、次第に諦めに変わろうとしてしまう。
それでも捨て去ることが出来なくて、ただ待つばかりの時間が私にもどかしさだけを与えていた。
* * *
会社にかけられた時計は止まることを知らず、外回りから戻ってきた後もずっと時を刻み続け、気づいた頃には既に夜の九時を過ぎていた。
オフィスに戻るまで仕事は順調だったが、帰れば別の社員が契約書類でミスをしていたらしく、その対応に同じ区域の私も巻き込まれることになってしまった。
間違えたのは本人のせいだとしても、何度かお世話になっている人なので無下にするわけにもいかず、こうしてその修正作業に課長と一緒に付き合うことになり、今に至っている。
「森野さん、もう上がってもらっていいわよ。急な仕事に付きあわせてしまってごめんなさい」
ちょうど修正作業も粗方終わり、後は最終確認をするという段階になったところで課長から声をかけられる。
その横では、その社員が感謝と謝罪の意味を込めて深く頭を下げていた。
「……じゃあ、お言葉に甘えてお先に失礼します」
本当は最後の作業もしておきたかったけれど、課長の心配そうな眼差しが胸に突き刺さり、有無を言わせないぐらいの圧を放っている。
それに抗うことは流石にできないので、後のことは二人に任せて先に会社を後にした。
久々に遅くまで仕事になってしまったので、平日なのもあって外を歩いている人をそう見かけることはなく、たまにすれ違っても皆周囲には見向きもせずに駆け足で帰路についている。
どこまでも静かな街の様子は奥からどんどん闇に飲まれていきそうで、不安な気持ちもあってそれが私の行き先を暗示しているようにもみえてしまっていた。
そんな中、何か違いを求めて一人周りを見回してみる。
しかし、視界に入るのは既にシャッターの降りた商店街の数々と、大通りを行き来するタクシーや代行運転の車が微かにばかりで、普段と変わらない暗い帰り道しか示されていなかった。
——その中で、横断歩道の先に同じく信号待ちをしている人がいる。
その人は、何度か見たことのある作業着に短い髪をしていて、待ち時間に眺めているスマホには私がつけているのと非常によく似たメンダコのストラップがぶら下がっていて、その全てに既視感があった。
そして、青に変わって進むにつれてそれは見間違いでも似た人物でもなく、何度も聞いた声で私を呼んでくれた。
「鈴音」
渡る横断歩道の先には、三咲が立っていってくれた。
「……どうして?」
呼びかけに答えるよりも先に出てきた疑問に、彼女は笑って返事をする。
「鈴音に会いたくなって、ここで待っていたら通りかかるかなと思って」
確かにここは私と三咲が別れる道から近い場所だから、よく通勤でも使ってはいる。
それを察して待っていてくれたことが——こんな遅い時間でも私に会いに来てくれたのが今は無性に嬉しくて、目頭が熱くなりそうだった。
「……あのさ、この後って少し時間ある? 少し、話がしたくて」
その台詞と真剣な表情に、告白のことを伝えにきたのだろうと感づく。
この瞬間が来るのを待ち望んではいたけれど、答えを聞くのはやっぱり怖くて小さく身体が震えてしまう。
でも、三咲は私以上に緊張していて、今でも前に組んだ手を代用してそれを抑えながら目の前に立ってくれている。
どんな時も真面目に接してくれる彼女に応えるためにも、私は小さく頷いた。
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