金魚と灯籠 65日目
一週間の始まりになると大抵仕事は忙しくて、帰る頃にはとっぷりと日が落ちていることの方が多い。
けれど、今日は大きな業務もなければ配送もなく、来週から入ってくる新入りの人たちを迎える準備で他の課の人たちが慌ただしくしているぐらいだった。
その様子を遠くで見つめながら、今日は有給消化でいない工場長への返事を考えてみる。
鈴音は受けてみても良いと言ってくれていたのだが、やはり不愛想な私が人の上に立つ姿が想像できず、結局定時を過ぎて退社した後も踏ん切りがつかずにいた。
「——三咲が指導役ねぇ。まぁそういうのは、やってみたら分かるものじゃない?」
「そうなのかな」
「ここでくよくよ悩むよりかはマシだと思うけど」
そして、退勤後に少し本屋で時間を潰してから裏通りに入り、奈緒の店にやって来て今に至る。他人事かのようにあっさりと答える彼女に少し首を傾げるけれど、やってみないと分からないというのにも一理はあった。
「……それもそうかもしれないね」
自分に言い聞かせるように呟いてから、グラスの中身を一気に飲み干す。
こうして考えてみたら案外単純な事だったけれど、実際は鈴音と奈緒に相談しないと決められそうにはなかったので、内心相談に乗ってくれた二人には感謝していた。
鈴音には、今度は私から何処かへ誘ってみようかな。
「それはそうと」
ひと段落着いたところで、奈緒は何かを思い出したかのように急に私の方に振り返る。
「鈴音にはいつ告白するの?」
予定を確認するかのような淡々とした口調でそんなことを聞くものだから、さほど酔ってもいないのにしゃっくりのような変な奇声が上がってしまう。
ついでにむせ返ってしまったので、近くにある水を流し込んで落ち着かせる。
「なんで急にそんなこと聞くの」
「なんでって、鈴音の一件も落ち着いたから進展のない関係もいい加減何かあるのかなと思って」
人の恋路をなんの躊躇いもなく覗き込もうとするものだから、思わずムッとしてしまうけれど、進展がないのは紛れもない事実だった。
「それは……その……」
あの一件の前後で、私たちは確実に仲良くはなっていると思う。
けれど、それが奈緒の言う進展した関係かと聞かれると『はい』とは答えられず、未だに友達としての領域を出てはいなかった。
物事の進まない私たちの関係に大きなため息が溢れ、店のマスターは頬杖をついて呆れた顔で見つめてくる。
「まぁ、あんたたちの関係に私がああしろこうしろまでは言えないけど、自分の気持ちはちゃんと伝えないといつか後悔することになるわよ」
彼女はそれだけ言うと、また自分の仕事へと戻っていく。
それは何処か自分のことのように語っているせいなのか、単なるアドバイスにはない妙な説得力を持ち合わせていた。
「…………自分の気持ち、かぁ」
奈緒に言われて、改めて自分の想いを見つめ返してみる。
けれど、こんな感情を今まで持ったことがないから自分の心をきちんと捉えきれていなくて、漠然としたことしか浮かんでいなかった。
そもそも『好き』って、どういうことなんだろう。
同じ女性を、人を好きになっていくのって、どうなっていくことなのだろう。
今まで感じたことのない気持ちは、私では分からないことの方が多すぎて伝えるにしてもただ単純に言うだけでは届かないような気がして、それが余計に物事を難しく考えてしまう。かといって、やってみようの精神では逆に鈴音のこと傷つけるように思えてしまい、一歩踏み出す力もなかった。
言われたからといってそう簡単には進展しそうにない私たちの関係に、また一つ悩みの種が生まれていく。
自分の想いに対する答えが見えない私が、鈴音に気持ちを伝える日はまだ先の話になりそうだった。
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