過去と現在 33日目

 今週はやたらと疲れる一週間だったせいで、部屋に帰ってきてからの記憶がどれも曖昧になってしまい夕飯の献立を考えるのも何だか朧げでしかなかった。

 けれど、金曜の仕事を終えた今なら慌てることもないし、無理に身体を動かして家事をする必要もない。

 日々の忙しさにようやくひと段落がついて、何かをするよりもまずベッドの上で大の字になって寝転がっていた。



 結局、あの夢が意味するものって何なのだろう……。



 見上げる天井を視界に映しながら、今もまだ続くあの悪夢について考えを巡らせていた。


 今までなかったことが急に起きる時は、大抵些細なことがきっかけになっていることが多いというのを、ネットやテレビで聞いたことがある。

 そうはいっても、ここ最近は特に大きな環境の変化や急な訃報なんかもなく順風満帆な生活を送っているのがほとんどだった。



 唯一変わったことがあるとすれば、それは三咲に出会って一緒に通勤したり水族館に行くようになったことぐらいしかなくて——。



 何かが紐づき急に友達の名前が浮かんできたことに、落ちかけていた瞼が勢いよく開かれる。しかし、その関連付けに嫌悪感が全身を駆け巡り、否定する気持ちで頭を強く振り払っていた。



 これじゃあ、まるで三咲と会ったことが原因みたいですごく嫌だ。

 そんなはずはない。

 三咲は何も関係ない。



 自身に暗示でもかけるように何度もその想いを繰り返し念じ、一瞬でも湧いてしまった邪念を追い出すように余計なことは一切考えないようにしていた。

 しかし、疑ってしまった友達への後悔で強く疲弊し、次第に念じる力も弱まってしまう。

 そしていつの間にか、電源を抜かれたテレビのようにぷつりと自分の意識も暗闇の中へとあっという間に消えてしまっていた。



* * *



 すっかり夢の世界へと落ちた私は、また中学時代の別れの光景を見始めてしまう。

 しかし、今回の相手はあの同級生ではなく背は一回り近く私よりも大きようで、私の格好もいつものスーツ姿になっていた。


「ねぇ、どうして?」


 目の前に立つ女性は顔を隠すように傘を傾けて、そう訊ねる。


「どうしてそんなに離れるの? 私が一体何したっていうの?」


 この台詞は中学のあの同級生が最後に放った言葉で、これを機にお互い会わなくなってしまったのをよく覚えている。

 声も当時のまま再生されているのでその主には心当たりがあるのだが、目の前の彼女は中学生というよりは社会人と言った方がしっくりきていた。



 やがて、彼女は土砂降りの雨の中傘を畳もせずに放り出す。


「ねぇ、どうして?」


 当時のあの子の声のまま、責め立てる相手に言葉を失って私も傘を手放す。



 たとえこれが夢だと分かっていても、そんなものは見たくもなかった。

 あの時の言葉を放つのが、三咲だなんて。



* * *



 意識を失っていた私は最悪の夢を目の当たりにして、悲鳴も上げられずに飛び起きる。

 知らぬ間に日付の変わる寸前にまで進んだ時計の針に今は現実であるということに安心する一方で、一番恐れていた夢をみてしまい深く溜息が出てしまっていた。



 あんなこと、あるはずがない。

 今は家族のしがらみもなく自由に人と一緒にいられる上に、三咲はここ最近で一番親しく接してくれている人だから、こんなこと起きるはずがない。



 ——でも、それは本当に?



 弱った隙を突くように、同級生の声が急に聞こえてくる。

 言ってほしくなかったその言葉に身体が本能的に拒絶し、逃げ出すかのように部屋を飛び出ていっていた。



* * *



 夏の夜も深くなると気温も大分落ち着いて、今のままなら日中も十分に過ごしやすくなりそうなほどにひんやりとしていた。

 そんな真っ暗な市街地の中を、あてもなく一人走り続ける。

 けれど、しばらくスポーツと呼べる運動をしていない私には逃げ切るほどの体力はなくて、次第に遅くなる足取りで目についたコンビニのガードレールにもたれかかりしまいにはへたり込んでしまっていた。

 彼女の幻聴はもうしないことがまだ幸いだけれど、上がり続ける息はまだ私を苦しめる。



 その中で、不意に浮かんでくる三咲にすがりついてしまいそうになる。



 でもそんな人はすぐに現れてくれるはずもなくて、ようやく振り絞れた声で名前を呼ぶ。


「三咲……」


 けれど、こんな真夜中にその声に応えてくれる人なんているはずがなかった。

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