エピソード2:汚れぬ花-8

 梅島が降りてきた階段を上がり、事務スペースとして使っていたであろう部屋のドアを開ける。中には椅子に括り付けられ、口にガムテープを貼られた女性が一人。

 ロープを解きテープを剥がすと、安堵と疑惑が入り交じった表情で口を開いた。


 「あ、ありがとうございます。あの、アナタは……?」


 「有瀬という者です。あなたが坂戸薫さんかな?」

 彼女は不思議そうに頷く。まあ無理もない。見知らぬ男に突然助けられたら、普通はこんなもんだ。


 「よかった。いろいろあって蓮君を預かっていましてね。彼の頼みで、薫さんを探していたんです」


 「蓮が……」


 「とにかく、一旦ここを離れましょう。知り合いの警察に連絡を取るので、少しお待ちを」


 事の詳細や経緯はこれからだが、どう見ても事件性があるので悟に連絡を入れる。下で伸びている梅島を縛りつけ、悟が来るまでの間、俺の車で待機することにした。


 蓮が現れてからの一連の流れを説明する。しかし坂戸の反応は薄い。窮地は脱したはずだが、依然表情は暗いまま、何かを考えこんでいる様子だった。他にまだ不穏分子でも残っているのだろうか。


 「事情はわかりませんが、あなたがトラブルに巻き込まれている事はわかりました。そして蓮を巻き込みたくなかった事も。梅島に何らかの理由で脅されていたのでしょう?」


 坂戸は返答しない。


 「梅島は間もなく逮捕される。しかし、アナタの敵は他にもいますね?」


 驚いた顔でこちらを見ている。ようやく反応を示した。


 「なぜ、そう思うんですか?」


 「先ほどから浮かない表情のアナタを見れば、それくらいはわかります。それに、梅島は恐らく誰かの指示で動いている。だが、その誰かがわからないんですね?」


 「……はい」


 「過去、警察に相談は?」


 「いえ、していません。警察には話すなと……」


 「なるほど。では、私に相談してください。『元』警察なら問題ないでしょう?」





 「梅島がやってきたのは、半年ほど前の事でした。彼、中学時代の同級生なんです」


 「それまで交流はなかったと?」


 「はい。当時も同じクラスだっただけで、特に仲が深かったわけでもなかったです。それに、中学卒業後は当時の交友関係と一切縁を切って状況してきたので、他の同級生とも連絡は取っていませんでした」


 「梅島の目的は、アナタの過去についてですね?」


 「そうです。過去の事を職場や子供にバラされたくなかったら、金を寄越せと」


 恐ろしく稚拙で単純な脅しだが、彼女にとっては運悪く効果的だったのだろう。


 「それで、金を渡したんですか」


 「一度きりだと言っていたので……それを信じた私がバカだった」


 脅迫の類は一度で終わるワケが無い。脅す側にしてみれば、これ以上簡単に金が手に入る手段はないのだから。相手が脅迫する材料が無くならない限り、味を占めた梅島は何度でもやってくるだろう。


 「そして、次第に要求がエスカレートした」


 「はい。金額だけでなく、身体も要求され始めました。断ると、蓮に手を出すとまで……」


 「それで、蓮を巻き込まないように、自分を犠牲にする手段に出たんですね」

 大方の予想通り。よくある話だった。しかし当人にしてみれば、逃げ道も手段もわからず追い詰められてしまったはずだ。俺にしてみれば、防衛手段も対応策も存在する。しかし誰もがその情報を持っているわけではない。ほんの少し、知っているか知らないか。この違いから生まれる被害を完全に消し去る事は難しい。


 「蓮には、真っ当に、ごく普通の家庭で育って欲しかった。片親ではあるけれど、私が過ごした幼少期よりももっともっと良い環境で育てたかったんです。少なくとも、借金に追われる事や家庭の金銭状況でやりたい事を諦めるなんて想いをさせたくなかった。お金は、文字通り私が身体を張って稼ぎました。でも、その手段を知ってしまったら、明るみになってしまったら、必ず苦しい想いをさせてしまう。だから、絶対に隠しておくつもりでした」


 そう言って、坂戸は泣き崩れてしまった。彼女は蓮の将来を守る為に、一人で抱えて生きてきたのだ。全てを自分で背負って、守り続ける覚悟だったのだ。それを、人の弱みに付け込み甘い汁を吸う輩に壊されそうになっていた。


 「アナタの想いはわかりました。ですが、このままでは恐らく終わらない。梅島の裏にいる人間を抑えましょう」


 「でも、どうやって?確かに、梅島には他に仲間が居るようでした。誰かと連絡を取っていましたし。ただ私には心当たりがありません」


 「大丈夫。もう目星はついています」

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