エピソード1:エデンの煙-2
皮肉なものだ。俺の城のはずなのに店が賑わうほどに自分の居場所がなくなるのだから。そんなわけで毎晩、Kuの閉店時間である朝方まで時間を潰す必要があった。専ら近所を飲み歩いている。良く言えば市場調査だ。
時刻は23時。今夜の調査対象は駅の反対口にある寂れたガールズバー。スナックに似た看板と入口、恐らく居抜きで入ったのだろう。中に入ると左手にカウンター席が4つ、右側にテーブル席が1卓見える。奥にも3席のカウンターがあるが、段ボールやぬいぐるみが不気味に積みあがっており、およそ客を迎える準備は出来ていない。
「いらっしゃい」
酒焼け気味の声で出迎えたのは20代中盤くらいだろうか、キューティクルが壊滅した金髪ロングの女性。白黒ボーダー柄のカットソーが妙に似合っている。初めてだと伝えるとシステムを説明されたが、どうやらこの界隈の相場通りのようだった。ファーストドリンクにレモンサワーを注文し、煙草に火を付けた。
「お兄さん、一人で来たの?」
手際よくレモンサワーと灰皿を持ってきた金髪が尋ねる。
「ああ、実は待ち合わせなんだ」
いつもは大概一人だが、今夜は暇つぶしに付き合ってくれる相手がいるのだ。男くさい後輩でなければよかったのだが、贅沢は言ってられない。
レモンサワーを半分程流し込んだ頃、カランカランと来店を知らせる鐘が鳴った。
「あ、いたいた!早かったっすね」
「俺を待たせるとは、随分偉くなったじゃねえか」
「いやいや、勘弁してくださいよお。これでも急いで来たんですから」
反省の色など微塵もないが相変わらず憎めない笑顔を向けるのは、昔の後輩。高柴 悟。俺が警視庁に居た頃の相棒だった男だ。今はこの町管轄の警察署勤務になり近辺に住んでいる為、Kuにもよく顔を出してくる。
「有瀬さんのところは忙しそうですね」
「なんだ、皮肉か」
「有瀬さんが暇してるって事は、そういう事でしょ」
事実なので何も言い返せない。沙良が優秀過ぎて、俺のすることがないのだから。
「悟は暇だったのか?」
「ええ、僕が暇なのは平和の証ですからね!平和が一番」
「まあ、そうだな」
タイミングを見計らっていた金髪が、高柴にドリンクを聞く。これまた手際よくビールを注いですぐに持ってきた。運ばれてきたビールはえらく美味そうだった。ビールサーバーの清掃を怠っていないのだろう、泡のキメがとても細かい。普段はレモンサワーしか飲まないが、たまにはビールも飲んでみようかと思う程だった。店内の様子とは異なり、酒や店員のレベルは高い。これは見習うところがありそうだ。
さらに「一緒に乾杯しても良いですか?」と間髪入れずにおねだり。見た目以上に仕事が出来るタイプ。「勿論」とだけ答えておく。
「じゃあ、下町の平和に乾杯でもしますか」
「平和平和うるせえよ」
グラスを傾け3人で乾杯する。
優秀な店員を交えて2時間程談笑していると、酒の弱い悟は顔を真っ赤にして話始めた。
「そういえば、最近ちょっと困ってましてね」
「なにかあったのか?」
「ええ、なんでもこの近辺の老人達にスマホが普及しまくってるって話でして」
「良い事じゃないか。ただ何というか……似合わないな」
都心の街の光景ならば違和感もないのだろうが、時が止まっているようなこの下町では異様な様子ともとれる。
「そうなんですよ!いや別に、今や皆が持ってる物なんで特段不思議ではないんですけど……操作もよくわからないのに買ってるもんだから、携帯ショップに老人達が押し寄せてるみたいです」
「ああ、想像はつくな」
「でしょ?そんでね、よくまあ揉めるんですよ、その人達と店員が。態度が悪いとか説明不足だとかなんとか。仕舞いには警察沙汰も」
警察沙汰とは穏やかではない。しかし……
「よくある話だ」
「でもね、ありすぎなんですよ!交番勤務じゃ足りないので、全然担当が違うのに僕らまで駆り出される始末で、本当困ってるんです」
「お前、暇なんじゃなかったのか?」
「ええ、なんせ部下が優秀なので!」
愚痴なんだか自慢なんだかわからない話が続く最中、俺のスマホが鳴った。画面を見るとこちらの優秀な部下、『沙良』の表示。この時間の電話は嫌な予感しかしないが、仕方ないので一度席を外して通話ボタンを押した。
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