第232話 小夏姫見参8


「あ……」


 思わず縁側を飛び降りて駆け寄った私に、兄上がにっこり笑ってぽんと肩を叩く。


「ただいま雪村。急に留守居を頼んで悪かったね」

「どぉん♥」


 小夏姫が、いきなり背後から兄上に飛びついて、私は慌ててよろけた兄上を支えた。

 突然、体当たりを食らった形の兄上が、振り向いて強張った声を出す。


「いきなり何をするのですか、小夏姫?」

「そこにぃ背中があったからぁ」


 舌っ足らずな甘え声で、小夏姫が可愛らしく見上げている。

 家臣たちを篭絡した必殺技のひとつだ。

 そして「離れて下さい信倖さまぁ。そいつは雪村の偽物なんですよぉ??」と兄上の二の腕にぺたぺたと触れている。


 うわあまずい! 家臣たちが軒並み討ち死にした『ワタシカワイイデショ』の波状攻撃だ! 


「兄上、あの」

「無礼者」


 兄上が袖を振り払い、静かに小夏姫を睨みつける。

「何を以て、私の弟を偽物と仰るのか」


 硬い声音に一瞬驚いた顔をした小夏姫が、みるみるうちに被害者顔になった。


「ひっどぉい信倖さまぁ! どぉしてそんなコトするのぉ!? いくらこいつに騙されているからって、女の子にそぉいうコトしていいと思ってるんですかぁ!? ひどいひどい! だいたい弟っていうのはぁ~男なんですぅ~。女になる病気なんてあるわけ無いじゃん! みんなだってそう言ってる。そうよねみんな!?」


 同意を求めて騒ぎ立てる小夏姫に、兄上がふと吐息をついた。


「ご納得いただけないようだね。まぁこの機会だ、家臣たちにも『君が雪村である』証拠を示しておこう。雪村、右掌の花押を皆に見せてあげて」




 ***************                ***************


「……」

「…………」


 右掌に浮かんだ雪村の花押を見て、家臣たちは一斉に納得し、小夏姫は目を剥いて言葉を失った。


 おそらくこの『転移者』は新規のプレイヤーで、『カオス戦国』初版データがあると発生する『長年のご愛顧感謝イベント』を知らなかったんだろう。

 だから雪村が女になる、なんて思わなかった。


 口をぱくぱくさせている小夏姫を見据えたまま、兄上が固い声を出す。


「徳山殿や本間殿には無断で、ここにいらしたようですね。お二方とも随分と驚いておられた。嫁入り前の姫君が、このように恥じらいの無い振る舞いをしては、今後の縁談にも差し障りがあるでしょう。この件は内密にしますから、今すぐにお引き取り下さい」

「お待ち下さい、兄上!」


 私は兄上の袖を引いて引き留めた。固い表情のまま、兄上が振り返る。


「兄上、小夏姫には化け狸が取り憑いております。本来の小夏姫は、このような方ではありません!」

「えっ……!?」

「どうか兄上、姫に取り憑いた怨霊を祓って下さい。これは兄上にしか出来ません」


 刀を渡して見上げる私をじっと見返した兄上が、こくりと頷いて小夏姫に向き直る。


「はあっ!? な……なに言ってんのよ。バカじゃないの……っ!?」

「覚悟」


 すらりと刀を引き抜いた兄上が、小夏姫に切っ先を向けた。

 数歩、後退った小夏姫が、ぎゃああと悲鳴をあげて逃げていく。


 刹那


 刃の向きを替え、兄上がその背に刀を振り下ろした。




 ***************                ***************


 どれくらい経ったか。


 小さく呻いて、小夏姫が目を開けた。

 兄上に支えられている事に気付くと慌てて身を起こそうとして、痛みに顔を顰める。


「真木殿、申し訳ありませんでした。私は……」

「良かった、化け狸は去ったようですね。小夏姫。手加減はしたつもりですが女性に峰打ちなど、こちらこそ申し訳ありませんでした」


 正気を取り戻した小夏姫は、さっきまでと口調も雰囲気も全然違う。


 兄上も、周囲で心配そうに覗き込んでいた家臣や侍女たちも、小夏姫が『化け狸に取り憑かれていた』と信じたみたいだ。



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