第222話 分水嶺2 ~side S~


「ゆきいぃっ!!」


 俺は俺の悲鳴で目を覚ました。手にも背中にも汗をかいている。

 俺は崖から落ちていたんじゃなかったか……? 

 ふと顔を上げると、目の前のパソコン画面には、桜姫が崖から落ちたバッドエンドの画面が表示されている。


「夢、か……」


 ……いや、そんな訳ないだろ! 唐突に俺は自覚した。

 寝ている間、俺は『カオス戦国』の世界に転移している。その証拠にこんなに身体が痛いじゃないか。

 俺は汗で濡れた自分の手を見下ろした。

 雪を支えきれなかった桜姫の小さな手じゃない、男の手がそこにある。


 そうだ、こんなところでもたもたしている場合じゃない、雪はどうなった!? 

 これ以上意識が覚醒したら眠れなくなる。

 

 俺はパソコンもシャットダウンしないまま、速攻で布団を引っ被った。



 ***************                ***************


 緑の香りがする。

 枝で引っ掻いた頬の傷が痛いが、痛みを感じるって事はこっちでも死んでないって事だろう。


 あのバッドエンド、死亡エンドじゃなくて良かった……


「姫、大丈夫ですか?」


 穏やかな雪村の声がすぐそばから聞こえてきて、俺はぼんやりしたまま目を開けた。

 ほむらが一度クッションになってくれたおかげで、崖を転げ落ちた割に大した事にならなかったみたいだ。


 どうやら無事に、こっちの世界に戻れたみたいだな。

 しかし桜姫のひ弱な身体は結構なダメージを受けたようで、まだ意識がぼんやりとしている。


「いてて……雪は大丈夫だった?」

「はい。私は平気ですよ」

「そっか、お互い無事で良か……えっ……?」


 やっと意識がはっきりしてきて。俺はまじまじと目の前の雪村を見返した。

 驚き過ぎて 二の句が継げない。


「桜姫、お久し振りです」


 目の前で微笑んでいたのは、雪村だった。

 ――『男』のほうの。



 ***************                ***************


「ちょっ……あの……えっ……?」


 何て言っていいか解らない。動揺しまくった俺は、訳が解らない言葉を発して雪村を凝視した。

 そんな俺に困った顔で微笑んで、雪村が一番確認したかった事を口にする。


「大丈夫です。姫が心配しているような事にはなっていませんよ。どうやら今の私は、『彼女』が意識を失っている時だけ戻れるようです」


 とりあえず、気絶している間に誰かにヤられたっつー最悪の事態じゃなくて良かった。良かったんだが、雪はどこだ!?

 雪が頭を打って気絶したから雪村(男)に戻った、って事らしいが、それなら雪の意識はどうなっているんだろう。

 雪村の中で気絶中なの!? 

 大混乱中の俺に、やっぱり考えを読んだみたいなタイミングで雪村が教えてくれる。


「『彼女』の意識は今、ここにありません。……おそらく彼女は今後、私と共にある事は出来なくなるでしょう」

「えっ!?」


 このまま男に戻るってこと? そして雪は居なくなるの!? 

 もう何が何やら、どうなっているのか解らない。


 混乱して口もきけない俺を、困ったように見ていた雪村(男)が、ふと宙に視線を彷徨わせた。


「ああ、『彼女』が戻ってきたようです。姫、また暫しのお別れですが、私はいつも姫と彼女を見守っています」


 そう言って微笑むと、雪村は右掌を俺の目の前に翳して、視界を塞いだ。



 ***************                ***************


 とすん と肩に重みが掛かり、俺は慌てて寄りかかって来た身体を支えた。

 さっきよりひとまわり小さくなった『女の』雪村が、くたりと俺に凭れかかる。


 どうなってんだ、全然理解が追い付かない。

 まずはこの女雪村の中身が『雪』かどうかの確認だ。


「おい、雪?」


 ぴたぴたほっぺたを叩くと、小さく呻いて榛色の瞳が開く。


「桜姫……桜井くん? 私、戻って来たの?」

「うん。雪だよな? 元に戻ってるよ、大丈夫か?」


 俺はほっとして、雪の顔を覗き込んだ。よかった戻って来た、雪だ。

 そうだ、確かめなきゃならない事がたくさんある。


「あのさ」

「桜井くん!」


 いきなりぎゅうと抱きつかれ、俺は目を白黒させて雪を抱き返した。

 身体を追い出されたのがそんなに怖かったんだろうか。身体が微かに震えていて、落ち着かせようと俺は背中をゆっくり撫でた。


「大丈夫だよ。どうして急に『男の雪村』に戻れたのか解んないけど、ちゃんと女に戻っているから」

「違うの! 私……」


 ぶんぶんと首を振り、雪が真っ青な顔で、俺を見る。


「桜井くん、私、現世で生きてた……!」



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