第223話 分水嶺3


「……へっ!?」

「まだ生きていたの、私。気が付いたら病院のベッドで寝ていて。でもベッドで寝ている私を、もう一人の私が見下ろしている感じだから、夢だと思った」


 ぽかんとしている桜井くんに、私は必死で説明した。

 心電図や血圧が表示がされた機械に繋がれた私を、私はぼんやりと眺めていた。 頭に包帯が巻かれている以外は、怪我らしい怪我は見当たらない。

 頭に何かぶつかったって記憶があるからこんな夢を見ているのかな、と思いながら、私は今の自分を見下ろした。


 薄萌黄の小袖と青碧せいへきの袴、さっき崖から落ちた時と同じ装いだ。


 ベッドサイドには綺麗に飾られた花があり、可愛いピンクの薔薇がふわりと香っていた。触れると花びらが数枚、掌にぽろりと落ちる。


 薔薇はあっちの世界では“しょうび”と呼ばれていて、越後の夏之領域に咲いている。久し振りに見たいな。満開だと綺麗で噎せ返るようにいい香りなんだよね。


 その時、かち と音がして、花を抱えた女の人が入って来た。

 その人と私の視線が、ベッドを挟んでかち合う。


 ぽかんとした顔でベッドの私と見比べた その人――友人のあかねは口を開いた。


「……どうして雪がふたり居るの?」



 ***************                ***************


 あかねによると、コーヒーショップで事故に巻き込まれた私は、そのまま緊急搬送されたそうだ。

 そして頭を打っているらしく、意識が戻らないまま入院しているとの事だった。


「それであんたは何を呑気に幽体離脱なんてしてんの? みんな心配しているんですけど??」


 肝が据わっているんだか何だかよく解らないあかねは、幽霊(?)の私に説教を始めた。

 でもこれ、不可抗力ですよね? そして不可抗力で異世界転移したって事なのか。

“転生”じゃなかった……


 まあどっちでもいいか。

 私はぷすりと笑ってあかねに自慢した。


「お嬢さん、異世界転移ってコトバはご存じ? 実は私、『カオス戦国』の世界に異世界転移しているのですよ」


 逆に言えば『カオス戦国』プレイヤーのあかねにしか、これは自慢できない。


 あかねの 目の色が変わった。



 ***************                ***************


「……それで、どうやってこっちに戻ってこれたんだ?」


 まだ夢だと疑っているらしい桜井くんが、不審顔で聞いてくる。

 そりゃそうだよね。こんな荒唐無稽な話……って、異世界転移の方が荒唐無稽じゃない?


 どうやって、と言われても解らない。急に引っ張られた感じがして、気が付いたら戻っていたから。

 ただ、これを言ったら信じて貰えるんじゃないかな。


「これ、むこうの世界の薔薇の花びら。目が覚めたら握っていたの。それでその友人が言うには、カオス戦国には『桜姫が崖から落ちるバッドエンド』があるって。雪村にあげるお守りに入れようと『幸運の花』を探していて足を滑らせるんだって。……似てない? 状況が」

「あるよ。そういうバッドエンド!」


 桜井くんも、はっとした顔をして同意する。


 ゲームの桜姫は、戦を控えた雪村の為に『内緒で』お守りを作ろうと、ひとりで山に出掛ける。そこで足を滑らせるんだけど、こっちの世界の桜姫は『雪村と一緒に』幸福寿草を探しに来た。


 イベント内容を少しだけ変えた。

 だからバッドエンドを回避して、ぎりぎりで助かったのかも知れない。


 危なかった……危なかったんだけれど。


「桜井くん。私が現世に戻っていた間に、雪村が戻っていたって言ったよね? 本当に「今までみたいに、一緒に居られなくなる」って言ってたの?」

「うん。そんな感じの事を言ってた」


 女の身体の間は雪村は戻らないかも、とは思っていた。

 でも男に戻ったら、また『雪村』と一緒に居られると思っていた。


 もう前みたいには戻れないの? 

 そう思うと、何だかもやもやとした気持ちで息が苦しくなってくる。


 私、いつの間にかこの世界が好きになっている。

 離れたくない。でもどうしたらいいんだろう。


 大阪夏の陣をやり過ごしたら男に戻って、前みたいに雪村の中に居させて貰おうと思っていた。

 越後には、今までみたいにたまに顔を出せればいい。

 兼継殿には会えるだけで満足だと思っていたのに。


 ……もう 会えない。


「雪、今はちょっと混乱してるだろ? 俺もいろいろあって混乱してる。そういう時は悪く考えがちだよ。もう少し落ち着いてから考えようぜ」


 桜井くんが袖口で目尻を拭ってくれて。

 それで私は自分が泣いていた事に気が付いた。

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