第201話 正宗再来7


 粘りに粘った挙句、やっと帰る素振りをみせた正宗に、六郎が畏まって包みを差し出した。


「こちらは上野で食されている焼き饅頭です。当家の御台所頭はすこぶる腕が良いので、主は十分に満足しております。どうぞ余計なお気遣いは無用に願います。入れ物の返却も必要ありません。そのままお納め下さい」

「ははは! 主が盆暗で苦労しておるようだな!」


 私が正宗にぼんくらって言われたんだから、家臣として反論して欲しいところだけど、六郎が溜め息をついただけで聞き流してしまったので、私は代わりに御台所頭の料理を褒めることにした。


「うちの御台所頭の料理はとても美味しいんですよ。温かければもっと美味しかったのに」

「ばっ……!」


 ぎょっとした顔の六郎がこっちを振り向き、なるほど、と頷いた正宗が「そうか。では今度は、御台所頭の料理を馳走になりに来よう」と予想外の事を言いだした。


「いえ正宗殿、それはお土産で味わ」って下さい、と続けたかったのに、最後まで話を聞かず土産を奪い取ると、正宗は縁側に龍を呼び寄せて颯爽と去っていった。



 ***************                ***************


「あんたねぇ! 本当にいい加減にして下さいよ!?」


 無骨で大きな手が、怪我した私の指を酒で消毒している。激怒している割に手つきは丁寧だ。

 舌鋒の鋭さでは兼継殿に劣るけど、迫力の点では全然負けてない六郎に叱り飛ばされ、私はしゅんと小さくなった。


「あんな事を言えば、また来るに決まってんでしょうが! 何の為に俺が『謙虚』って言葉をかなぐり捨てて当家の料理を褒めたと思ってんですか!」


 主の私を叱り飛ばしている六郎のどこに『謙虚さ』があるのか解らないけど、そこを指摘したら不味いって事は嫌でも解る。

 解らないのは何故、御台所頭の料理を褒めただけで正宗の『次の約束」に繋がってしまったのかって点だ。


「お土産を渡したからって、ああ来るとは思わなかったんだよ」

「たぶん最初はあんたが縁側で「料理は上手い人が作ったのを食べるのが一番」って言ったのを、「館殿の美味い料理が食いたい」と言ったと強引に解釈して、押しかけてくる気だったと思いますよ。本当にあんたは油断と隙の大安売りで」

「六郎、それどこで聞いてたの」


 確かそれって正宗と、塩にぎりとお味噌汁を食べていた時の話だよね?


「どこでもいいでしょ、そんなの。みんな気にして耳をそばだててましたよ」


 ぷいとそっぽを向いて、六郎がぎゅっと包帯を巻きつけた。ちょっときつい。

 手が緊張したのに気付いたのか、慌てて弛めてくれたけれど、こっちに向き直った顔は怒ったままだ。


「今度はちゃんと、こっちの返事を待ってから来るように言うから」


 なるべく気楽そうに笑いながら、六郎を宥めておく。

 家老代理として家内を差配しているから、遊び感覚での突発の来客が嫌なんだろうな。大名相手だと対応にも気を遣うしね。


「だいたい」

 酒と布を仕舞いながら、六郎がじろりとこっちを睨む。


「あんた、館殿に指を吸われたことを直枝殿に言えるんですか? 油断していると、こういう弱みを握られる事もあるんですから、十分に気をつけて」


 え? 怪我したからだよね? 

 そもそも『野菜の皮むきが下手』な事が、何で兼継殿に対する弱みになるんだろう。それに。


「兼継殿にも、指を舐められた事があるよ?」


 溶けた金平糖を食べた時に。それがどうかしたの?


 ぎょっとした顔でまじまじと私を見返した六郎が、赤くなって青くなって、最終的に溜め息をついてがっくりと肩を落とした。



 ***************                ***************


 翌朝。

「戦で必要になった時の為に、練習台になって頂きます」と言って、包帯を取り換えに邸に立ち寄った六郎が消毒の準備をしていると、邸の外が騒めいた。

 遠くから「困りますう。こんなに朝早くからぁ」と根津子の声も聞こえてくる。


 どたどたと縁側を踏み鳴らす音がして、私と六郎は顔を見合わせた。

 何となく、来客が誰かの予想が一致している気がする。


「いらっしゃる前には事前に連絡を、と何度も申し上げた筈ですよ? 正宗殿」

「いくらなんでもこの時間は、無作法が過ぎませんか? 館殿」


 ぱしんと障子を開けた途端に文句を言われ、正宗が目を白黒させた。

 ……けれど、ポジティブシンキングな正宗はそんな事で怯まない。


「怒るな怒るな! これを知ったら俺を崇め奉りたくなるぞ! 潤肌膏じゅんきこうだ、傷によく効く」

「え? わざわざ朝いちで持ってきて下さったのですか?」


 潤肌膏は紫根や当帰、胡麻油が入った塗り薬だ。中国の「外科正宗げかせいそう」って書籍に記述がある。

 書籍名に「正宗」って名前が入っているけど、これはただの偶然。そしてたぶん正宗は、出典までは知らない。知っていたら万能薬扱いして、もっと自信満々でお勧めしてくる筈だ。


「お気遣い頂いてありがとうございます」


 こっちの怪我を気遣ってくれた訳だから、そこは素直に感謝して頂くことにする。しかしやっぱりこういう事をされると、これ以上、非常識な時間帯の来訪を責められなくなるな。


 いや、それこそこっちが何等かの気遣いを示さなきゃならない番のような……


 しかし、そういう時に限って正宗は「用はそれだけだ」とあっさり踵を返した。

 六郎が戸惑いがちに「館殿、せっかくですから朝餉でも」と消極的ながらも珍しく引き留めると、正宗の方もこれまた珍しく「俺が毎日遊んでいると思うなよ?」と、にやりと笑う。


「今日は勘弁してやるが、近いうちにまた来る! 覚悟しておけ!!」


 わはははと笑いながら、やっぱり正宗は龍に乗って、颯爽と帰って行った。


 笑い声が青天に吸い込まれていく。

 これから登庁なのに、もうひと仕事、終えた気分だ。

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