第202話 兼継恋愛イベント「恋を問う」勃発1


 桜姫をお迎えに行く日が近づいてきて、荷造りをしていた私は、棚に置いてあった一冊の本を手に取った。

 兼継殿から借りていた書籍だ。


 幸い、よだれを落としていなかった六韜の文韜は、兄上によると『戦を始める準備や政治問題』の記述がメインで 戦術が書かれた巻じゃないらしい。


「借りるなら『虎韜』がいいよ」

 兄上にはそう言われたけれど、桜井くんは兼継殿を上手く攻略できたみたいだし 兵法の勉強はもういいかな。


 とりあえず これは返そう。


 ああそうだ。鯉の件もどうしよう? 越後に居る間に桜井くん、影勝様にちゃんと伝えてくれたかなぁ。



 ***************                ***************


「桜井くん。これ、兼継殿に返しておいてくれる?」


 そう言って本を差し出すと、桜井くんはとても怪訝そうな顔をした。


「は? 何で俺が??」

「だって兼継ルートに進むんでしょ? ここはもう、他の女は二人で会っちゃダメなやつだよ」

「……ええっ……!?」


 桜井くんが心底びっくりしている。あれ? 男の人だから解らないのかな?


「主人公の恋路を邪魔する女なんて、破滅ルートでざまぁの対象です。そういうモノですよ?」


 ドヤ顔で説明したけど『カオス戦国』には、そういう立ち位置の女性キャラは登場してなかったな。まあいいや。


 しかし、そんなに的外れな事は言ってないはずなんだけど。


「破滅ルートでざまぁ…… そういうモノ……」


 おうむ返しに呟く桜井くんの視線が、何だか生暖かい。



 ***************                ***************


 結局「雪は『雪村』なんだから、気にしなくていいよ」と笑われて、ついでに「借りた本は、ちゃんと礼を言って返そうぜ」と諭された。


 そりゃそうだ。


 そういえば桜井くんは、どうやって『恋を問う』の兵法問答をクリアしたんだろう。『六韜』も『呉子』も中途半端にしか読めなかったから、あまり教えられなかったけれど。


 そんな事をぼんやりと考えながら、現在の私はお邸の前で 兼継殿の帰りを待っている最中だ。

 さっき御殿に行ったら、兼継殿は珍しくお休みだった。

 そして私は明日帰る予定なので、返すチャンスは今日しか無い。



 冷たい風がごうと巻き、私は思わず首をすくめた。

 春なのに風が冷たい。

 桜の時期は終わったから、これは 花冷えとは言わないのかな。



 ~~~

 どのくらい待ったか分らないけど、陽が傾いて空が薄紺になりかかる頃。やっと道の向こうに兼継殿の姿が見えた。

 いつもきびきびしているのに足取りが重くて、何だか疲れているように見える。


「兼継殿!」


 駆け寄って見上げると、少し顔色も悪いみたいだ。寒くて風邪でもひいたのかな? 熱を計ろうと手を伸ばしかけたら、額に届く前に手を捕らわれた。

 そして掴んだあとで、びっくりした顔になる。


「冷たいな。邸内で待てば良かろうに」

「いえ、こうしていた方が 早く兼継殿を見つけられますし」


 明日帰るから、あまり時間がないんですよ。姫の荷造りの手伝いもまだなんです。……とまでは言わなかったけど、そわそわした雰囲気は察したみたいだ。


「そうか。待たせてすまなかった」


 ちょっと笑って、兼継殿が歩き出す。


 ここで書籍を返して帰ろうと思っていたのに。

 兼継殿が 手を離してくれない。



 ***************                ***************


 身体が冷えているから、と 温かい桜茶をいただき、兼継殿が席を外している隙にちょっとだけ書籍を漁ってみた。

 六韜の『虎韜』を見てみたい。これって現世でいう『虎の巻』の語源なんだって。


 もそもそ漁っていると、兼継殿が戻って来た。そして「気になるなら持って行け。返すのはいつでもかまわないから」と言った後で、ふと気が付いた顔になる。


「六韜は読んだか。お前はどのように感じた?」

「そうですね……太公望って封神演義の登場人物という印象があったのですが、実際に居たのですね」


 六韜の著者って太公望なんだよ。太公望って『釣り好きの仙人』って印象がない? あれ? 実在の人間だったの? って感じだよ。

 釣りをしてる場面シーンは、六韜の『文韜』にもあったけれど。


「姜子牙の事か。私は封神演義のような 幻想性の強い作品はあまり読まないのだが、お前は読んだことがあるのか?」


 兼継殿が、ふと笑って返してくる。

 いいえ、封神演義なんて 六韜以上に読んだ事はありません。

 でもそれなら、どこでそんな印象を持ったのかの説明が出来なくて、私は曖昧に笑って誤魔化した。


「太公望は呂尚りょしょう、封神演義では姜子牙とも呼ばれる、周の文王・武王に仕えた軍師だ。太公望が文王に仕えた経緯は史記にも記されている。史記は大陸の正史のひとつだ。崑崙の道士であったかはともかく、実在はしただろう」


 私が解ってなさそうだと察したらしい兼継殿が、丁寧に解説してくれる。なるほど。

 でも孫子なら、孫子ならまだイケるんですけど……っ!


「だがお前が好んで読むのは孫子だろう。信厳公は『風林火山』を旗印にしていたが、お前は何か好む文言があるのか?」


 まずい。全然イケる話題じゃなかった。

 ええと……要するに四字熟語とか諺になりそうな兵法ってこと? いや、そこまで読み込んでないっつーか……うう……


「孫子ではありませんが……」

「ほう?」

「兵法三十六計の『三十六計逃げるに如かず』という文言が好きです」

「兵法三十六計に、そのような文言は無い」

「!!?」


 うそでしょ!? あんなに有名なのに!!?

 兼継殿が、耐えきれなくなりましたって感じで笑いだす。


「そんなに驚くな。兵法三十六計ではなく『南斉書』に「壇公の三十六策、走ぐるは是れ上計なり」とある。それを言いたいのだろう」


 うわあ……ダメダメだよ私。っていうか、何で私まで兵法の問題だされているんだ。そして桜井くん、よくこんな問答をクリアできたなあ!!


 肩を震わせて笑っている兼継殿を眺めながら、打ちひしがれた気分でがっくりしていると、やっと笑いが治まった兼継殿がちょっとだけ姿勢を変える。


「問答ついでだ。お前に聞いてみたい事がある」

「何でしょう?」


 がっくりしたままの私をちらりと見て、兼継殿が何でもない事みたいに聞いてきた。


「お前は鯉について、どう思う」


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