第161話 逆鱗と強制バッドエンド ~side K~


 ――雪村は来るだろうか。

 兼継は落ち着かない気分で筆を止め、視線を宙に彷徨わせた。



 ***************                *************** 


 老女のもとに安芸からの文が届き、「雪村に、五年前の経緯について説明するように」と忠告されて数日。

 予想外に早く、雪村が越後に来てしまった。


「話しておきたい事がある故、越後に来た際には寄って欲しい」


 そのような文は、確かに出した。

 だが桜姫の迎えはふた月毎だ。まだ間がある。それまでに伝えるべき内容を念入りに推敲しなければ。

 そのつもりで居たというのに、早すぎではないか。


 こちらが伝わって欲しいと願う事柄には全く理解を示さない癖に、伝えたくない事を伝えなければならない時には、随分と食いつきが良いのだな。

 恨み言のひとつも言いたくなるが、そもそも呼んだのは自分だ。




「雪村。お前に話しておかねばならぬ事がある。五年前、お前が甲斐に戻った経緯だ」


 覚悟を決めて邸へと誘うと、雪村は神妙な面持ちで、それについては桜姫から聞いた、と頭を下げた。

 意外な事に桜姫は「泉水から聞いた」という内容を、そのまま雪村に伝えたらしい。


「……いや、お前が謝る事など何もない」


 第一関門を突破した気分で、兼継はほっと息をついた。ありのまま伝わったのなら誤解もされまい。

 そう思った矢先に、雪村は思ってもいなかった事を口にした。


「ずっと不思議だったのですが、これでやっと腑に落ちました。前に兄上に、私が元の身体に戻らなかったら直枝家に迎える、とまで言って下さったそうですが、あれも今回の件に起因していたのですね。私が五年前の見た目に戻ってしまったから。首藤殿に見つかっては事だと」

「……? 何を言っている?」

「でももう私は、兼継殿の庇護が必要な子供ではありません。自分の身に降りかかる火の粉は自分で払います。どうぞ私の事はお構いなく」


 きっと顔を上げた後、そっと目を逸らした雪村を、兼継は呆気にとられて見返した。

 この娘は、いったい何を言い出すのだろう。


 五年前の経緯を伝える事に躊躇いがあったのは、兼継が『元々雪村を好いていた』と誤解されたくなかったからだ。


 雪村の中の娘と雪村は『別人格』。


 それを認識した上で花押を刻み、このような事になった責任を取ると、妻になって欲しいと伝えた。

 真木家当主の信倖に 直枝家に迎えたい と筋を通して申し込んだ。

 しかしあの兄弟、揃いも揃ってそれに応える素振りが全く無い。


『雪村は男だから』

 信倖に関しては、その認識故の事だと諦めていたが、雪村……というか中の娘にはいい加減、こちらの気持ちに気付いて欲しい。


 そう思っていたのに、五年前の衆道騒ぎを己の口から釈明せねばならぬ事態に陥り、あまつさえ、当の娘はその事を「首藤から庇う為」だと全力で誤解してきた。


 首藤から庇う為だけに、男に縁組の申し込みなどするものか。この唐変木が!

 どこまで私を男色扱いすれば気が済むのだ!

 おまけに、選りに選って「自分に構うな」とまで言い出した。


 ……だんだん 腹が立ってくる。

 何故こうもこちらの想いが伝わらない!? いい加減にしてくれ!!



「己の力を過信するな、と前に言った筈だが。忘れたか?」


 怯えさせまいと我慢に我慢を重ねてきたが、我慢の限界だ。今回ばかりは怒りの方が勝った。

 腹が立ちすぎて手加減が出来ない。

 後退る雪村の肩を掴んで塀に追い詰め、兼継はきっと睨みつけた。


 孫子の兵法曰く、およそ地に絶澗ぜっかん天井てんせい天牢てんろう天羅てんら天陥てんかん天隙てんげきあらば、必ずすみやかにこれを去りて近づくことなかれ。われはこれに遠ざかり、敵はこれに近づかせ、とある。

 また囲師いしには必ずき、窮寇きゅうこうには追ることなかれ、とも。


 これは敵を仕留めたいなら袋小路に追い込むこと。

 決死の反撃を避けるなら一方向に逃げ場を作れ、といった意味合いだ。


 ……逃げ場など、作ってやるつもりは無いが。



 慌てたように雪村が言い訳し出した。細い肩が微かに震えているのが、両の掌から伝わってくる。

 怖がらせ過ぎたかと怯む気持ちもあるが、ここで講和の策に乗っては元の木阿弥だ。



 手放したくないと望んでいる娘に「自分に構うな」などと言われては 心が凍る。

 二度とそのような戯けた事を言い出さぬ様、思い知らせておくべきだろう。


 何故、そのように残酷な事が平気で言えるのか。

 答えは簡単だ。

 この娘が己を『自分は雪村だ』と騙っているからに他ならぬ。


 いいか、良く聞け。私は『雪村』を好いている訳では無い。


 お前だ、娘。



 意を決して兼継は静かに言い放った。


「いつまでも私を謀れると思うな。お前は雪村ではない」



 ***************                *************** 


 一晩が過ぎて。

 多少の落ち着きを取り戻した兼継は、怒りにまかせて雪村を追い詰めた事を、後悔し始めていた。


 手放したくなくて突きつけた真実のせいで、手放す事になるかも知れない。


 あの娘は、都合が悪くなるとすぐ逃げる。ならばこのまま、兼継から離れようとするかも知れない。

 それも当たり前か。

 本人にとっては何に代えても隠し通したいであろう秘密を、怒りに任せていきなり突きつけたのだから。


 それを思うと兼継の気は塞いだ。

 時期尚早だったかも知れぬ。せめてあの同じ世界から来たという男……桜井の意見を聞いた上で、然るべき時に、驚かせぬよう伝えるべきだったか。


 もしもこのまま、雪村が離れてしまったら。


 登庁しても仕事になるまいと休む事にしたが、心が千々に乱れて何も手に付かない。

 書くべき事が浮かばぬまま、兼継は硯に筆を置いた。


 もしそうなってしまったら、それは己の失策だ。

 これ以上、追い詰める事も怖がらせる事もしたくはない。大人しく、引き下がろう。

 想いが叶わぬ事など今更だ。


 そしてこうなった以上、『元の身体に戻る方法』を兼継に求める事も無いだろう。


 ならばこのままか。もしくはいずれ、どこかに嫁入りした折りにでも、戻る機会があるやも知れぬ。

 それは最早、兼継のあずかり知るところではない。



 落ちかかった髪を掻き上げ、兼継は吐息をついた。

 指を組んだ手を、祈るように額に押し当てる。



 雪村が、兼継を恐れて避けるか、腹を括って話を付けに来るか。



 ――おそらくは、今日が岐路だ。



 ***************                ***************


 侍女に案内され、恐る恐る部屋に入ってきた雪村を、兼継は心からの安堵を苦笑に変えて迎え入れた。


「思ったより遅かったな。朝駆けしてくるものと思っていたぞ」




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