第152話 五年前の経緯2

 剣神には二人の養子がいる。

 剣神にとっては甥にあたる影勝と、相模・東条家から預かった陰虎だ。


 同じ剣神の養子同士とはいえ、影勝は幼少の頃から養子に入っている。

 一方の陰虎は、同盟の人質に近い立場で越後に滞在していた。影勝の妹姫を娶った事で義兄弟の間柄になったが、立場の不安定さ故に『剣神の後継者』への欲も強い。

 そんな主君の意を汲んでか、陰虎の小姓衆は事あるごとに、影勝側の小姓衆と敵対するような行為が多かった。


 陰虎方の小姓たちが、城に迷い込んだ野良犬に「影勝」と名付けて石や棒で苛め、それを知った影勝の小姓たちと大喧嘩になったのは、それよりふた月ほど前だった。


「おい! てめえらふざけるなよ! 相模の食い扶持減らしは『分を弁える』って言葉も知らねえのか!」

「別に『影勝』いうのは、影勝殿だけが使える名前な訳やないやろ? 文句いうんは筋違いや」


 いきり立って吠え掛かる泉水たちに、「おお、こわ」と被害者面で首藤らが冷笑する。

 馬鹿にされたと頭に血が上った泉水らが、手にした木刀を構え直した時。遅れて駆け付けた兼継が、両者の間に割って入った。


「泉水殿。このようなくだらぬ諍いを起こしてはなりません」

「だがな! 影勝様が辱めを受けたんだぞ!! お前は黙っていられるのか!?」


 兼継にまで食って掛かる泉水を往なし、兼継は怪我をした犬に近寄った。

 貧相な柴犬で、骨の浮き出た身体には血がこびりついている。低く唸る犬の血を手拭いで拭き取り、兼継はそれを犬の首に巻き付けた。

 犬の頭を撫でながら首藤、そして取り巻きの小姓衆を見回す。


「陰虎様はこの事をご存じなのか。剣神公の教えを受けた越後の義人が、このような弱い者苛めを是とするのですか。だとしたら心得違いをしているとしか思えませぬな。今一度、剣神公に教えを乞うては如何か」


 弁舌爽やかに、兼継が『犬を苛めた事を、剣神公に報告してこい』と言い放つ。

『犬に『影勝』と名づけて怒らせ、影勝方から先に手を出させる』つもりだった陰虎方の小姓たちは、鼻白んで互いに顔を見合わせた。


「そんなん、剣神公に言うまでもないわ。オレらはこいつを可愛がってただけやし」


 吐き捨てるように言って顔を逸らしたが、首藤らを見つめる周囲の視線は冷たい。

 この越後で『義』は大正義だ。



「今日はここまでやな」


 やがて首藤が大きく息をつき、踵を返した。

 さっさと場を去る首藤の後を追い、陰虎方の小姓衆たちも気まずそうに引き上げていく。大喧嘩に発展しなかった事で、周囲を取り巻いていた侍女や領民もほっと息をついた。



 ***************                *************** 


 剣神の元に『怪我した犬に襲われた』と訴える領民が多数出たのは、それから数日たった頃だった。

 追いかけられた、転んで怪我をした等、被害は軽微であったが、全員が『首に手拭いを巻いた柴犬』だったと言っている。


 ほどなく、先日城下で『影勝と陰虎の小姓衆が喧嘩になりかけた』件も耳に入り、剣神はふたりの養子を御殿に呼んで事情を聞く事にした。

 暴れたのはその時に、事件の発端となった犬のようだ。



「ふたりとも、何故呼ばれたかは解るかい?」


 黙然と頷く影勝と眉を顰めて首を傾げる陰虎を見遣った後で、剣神は二人の背後に控える小姓に視線を移す。

 兼継と首藤は端然と座ったままだ。


「では」

 剣神の言葉を遮るようにして、首藤が口を開いた。

「野犬の件でしたら、既に我々がねぐらを探し始めております。野犬退治の命ならば、是非我々に」


 深々と頭を下げる首藤に、楽しげな剣神の声がかかる。


「野犬退治か。仕事が早いね首藤。では小姓衆全員で事に当たるといい。血の繋がりが無いとはいえ、影勝と陰虎は義兄弟だ。兄弟は協力するものだよ」

「いえそのような。剣神公、野犬は人の気配に敏感です。影勝殿の小姓衆は腕自慢ばかりでございますれば、せっかく我々がねぐらを探し当てたとしても、粗暴な気配に驚いて犬が逃げてしまいます。かえって迷惑。どうぞ我々にお任せ下さい」


 影勝方の小姓衆と、狩った野犬の数を競う羽目にでもなっては、こちらが負けかねない。そこらは言葉巧みに隠し、首藤は再度平伏した。


 ――何も泥臭く戦うばかりが能やない。戦は頭脳ココを使うんや。剣神も『軍神』と言えば聞こえがいいが、天性の勘だけで動く戦馬鹿や。これからの戦は、知恵と謀略が勝敗を分ける。


 平服したままにやりと嗤った首藤の耳に、さて、困った、とでも言いたげな兼継の声が聞こえてきたのは その時だった。



「首藤殿は何か考え違いをなさっているようですな。これは野犬の話ではない。陰虎様方が飼われている犬が城下で暴れた話でしょう。怪我をした領民への謝罪と見舞いが先では?」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る