第133話 【番外編】安芸追憶 3 ~side A~
翌日、親しくしている奥御殿の侍女が『風鈴草』をこっそりと渡してくれました。雪村の部屋の前に置かれていたそうです。
秋海棠は彼女にお願いして置いて貰ったのですが、『感謝』を意味するその花に、私は「気持ち悪がられなくて良かった」と心底ほっとしました。
越後で『返花が風鈴草』といえば『お友達でいましょう』と同義です。
それはこの『花贈り』で、一番女性から花を贈られている兼継様が全員に『風鈴草』を返花している事からそう言われています。
「雪村はきっと樋内殿のまねをしただけよ? もっとがんがん押さなきゃ。あの子、こういう事にはちょっと疎いから」
友人の侍女は応援してくれたけれど、私はこの花だけで十分です。
もう少し、という思いもありますが、今は首藤殿を躱し切るのが先です。
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「樋内殿と首藤殿が、雪村を巡って揉めたらしいわよ」
「何でも樋内殿が『雪村は自分が先に見初めたのだから引き下がって欲しい』と首藤殿を牽制したとか」
「剣神様は事を収める為に、雪村を甲斐へ戻すそうよ」
その話は一気に城を駆け巡り、奥御殿はその噂で持ちきりになりました。
それから間もなく、本当に雪村が甲斐へ戻されてしまった事もあり、噂は尾鰭がついて酷いありさまでした。
もしかすると首藤殿自身が、なにか酷い噂を流したのかも知れません。
先にそのような事を言い出したのは首藤殿だった筈なのに、気付けばまるで兼継様が元凶のような扱いでした。
「私、樋内殿に花を贈った事があるのよ? 道理で色良い返事がいただけない訳だわ」
「あーあ。せっかくの美男なのに、男色なんて残念ねぇ」
興ざめしたように文句を言う侍女たちの話を聞きながら、私の気持ちは複雑でした。
兼継様がそういった嗜好をお持ちでない事を、私は知っていたからです。
私は剣神様のおつかいで鍛錬場まで行った時、兼継様と雪村がふたりきりで鍛錬している所を見ていますが、そのような甘やかな雰囲気など微塵もありませんでした。
厳しい鍛錬に息を荒げる雪村など、 私は見ているだけでどきどきしましたが、兼継様はあっさりと手拭いを投げ渡しただけでしたし。
それなのに兼継様は何故、あのような事を言ったのでしょう。
「皆様、その様な事はもう言わないで。だって私、雪村に花を贈った事があるのよ? これじゃあ樋内殿が恋敵になってしまうじゃないの」
「強敵よ? 頑張りなさい」
冗談めかした私の苦情に、周囲の皆がおかしそうに笑います。
そう、『強敵』。
私はやっと気が付きました。
首藤殿にしてみれば、世話役の兼継様から雪村を引き離す事が最大の難関です。
それさえ出来てしまえば雪村は人質の身分ですから、陰虎様の近習である首藤殿に強要されれば、逆らう事は難しいのではないでしょうか。
だから兼継様は、あのような形で雪村を庇ったのです。
……ご自分の評判を落としてまで。
あのような事があった後、兼継様に花を贈る女性は居なくなりました。
それでも兼継様は、普段と何ら変わる事なく飄々としていらっしゃいます。
……私は恥ずかしくて堪りませんでした。
私はといえば、気持ち悪がられるのを恐れるあまり、名を明かす勇気すら無かったのですから。
その時に思い知ったのです。
私は 兼継様には絶対に勝てない、と。
所詮は自分のことが一番だった私が、敵うはずがないのです。
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