第134話 【番外編】安芸追憶 4 ~side A~

 時は流れ、それからいろいろな事が起こりました。


 剣神様の死。そして御館の乱。


 上森がふたつに分かれて戦になる。そうなる直前に、越後の龍は影勝様を主と認め、影勝様が正統な後継者と定められました。

 また相模では大殿様の遺言状が公開され、次期当主として陰虎様も相模へ戻る事になります。


 そして私は、陰虎様と共に相模に戻る父から『武隈の間者』を引き継ぎ、越後に残る事にしました。


『武隈の間者』をしていれば、武隈家臣の真木家である雪村と繋がっていられる。

 時が流れても、やはり私は雪村を忘れる事は出来ませんでした。



 ***************                ***************


 大阪での花見の為、影勝様が上洛した時の事です。留守居の兼継様の元に『早馬』が飛ばされてきました。

 これは緊急の連絡を意味します。兼継様は文を握りしめたまま城へと向かいました。


 当時の私は御殿ではなく、兼継様のお邸で侍女を勤めていました。

 ぼんやりと闇に浮かび上がる春日山城を邸から眺めていると、ふと「これは誰かを迎え入れる為にしている事ではないかしら」という気がしたのです。


 心が騒いで いてもたってもいられなくなり、私はこっそりと春日山城へと向かいました。



 城門が開かれて篝火が焚かれ、城は物々しい雰囲気に包まれていましたが、何が起きたのかは解りません。

 周囲の侍女に尋ねると、やはり「誰かいらっしゃるみたいよ?」と応えが返ります。


 どれほどの時が流れたでしょう。

 遠くの山に小さな篝火がぽつんと灯り、それは木々の間を縫ってものすごい速さで近づいてきます。走っている人間の速さではありません。


 やがて城門から飛び込んできたのは、炎を纏った白い虎でした。

 その背から降りた若い男の人は、腕に少女を抱きかかえたまま案内を乞い、急ぎ足で奥御殿へと向かいます。


 ひとつに結った長い髪、榛色の凛とした瞳。

 それは女の子みたいだったあの頃よりもずっと背が伸びて、すっかり大人の男の人になった雪村でした。


 しかし私は雪村に再会出来た事よりも、心を塞ぐようなもやもやとした気持ちの方が勝り、素直に喜ぶことが出来ません。

 あの少女は誰なのでしょう。雪村は随分と あの娘を大切にしている雰囲気でした。



 やがて私は、あの少女が剣神様の娘・桜姫で雪村とは幼馴染だと。

 雪村は亡くなられた信厳公より姫の守護を託され、その見返りに炎虎を下賜されたのだと知る事になります。


 その時点でもう、敵う要素がまったくありません。


 ましてや桜姫は、男勝りでいらした剣神様とは似ても似つかない儚げな美少女で、宝物を守るように寄り添っている雪村を見るのは、もう辛いを通り越した絶望でした。

 桜姫の居場所を探す武隈の乱波(忍び)に「越後に匿われている」と知らせたのも、間者としての使命感からではありません。きっと桜姫など居なくなってしまえばいい、と心の奥底で願っていたからです。


 そんな私に神様が罰を当てたのでしょうか。皮肉にも私は『桜姫の影武者』として、雪村とともに上田城へと赴く事になりました。


 神様の罰はそれだけではありません。雪村は、私を覚えていなかったのです。


 一度や二度会っただけの女など覚えていなくて当たり前、そう思っても悲しくない訳がありません。しかし一度絶望してしまえばそれ以上は絶望し様がないのだと、私は改めて知りました。


 それでも桜姫にするように、私に対しても親切に接してくれる雪村を、私は嫌いになる事が出来ません。

 それどころか私は、無邪気で屈託ない桜姫も嫌いにはなれませんでした。


 どうしたら良いのでしょう。


 絶望したまま誰も憎む事が出来ず、好きな人を裏切る間者をしている。

 私の最後はやはり 神様の罰が当たって死ぬのでしょう。


 せめて雪村の記憶に残りたい。覚えていて欲しい。命と引き換えでもいいから。


 辛くて辛くてそれでもどうにも出来なくて。

 いつしか私は、自分の死に場所を求めていた気がします。



 ***************                ***************


 私は最初から策に嵌まっていたのです。

 全てが露見して、私が武隈の間者だと雪村に知られて。


「私の役目は桜姫の影武者が間者であった場合、貴女を 殺すことです」


 そう宣告された時も、死ぬのが怖いとも助けて欲しいとも思いませんでした。

 どうせ死ぬのなら雪村の手に掛かりたい。これでやっと私は 彼の記憶に残る事が出来るわ。それがたとえ裏切りの間者としてでも。


 最後だから、勇気を振り絞って触れた雪村の手。

 そこから発せられていたのは 炎のような確かな殺気。

 それなのに、それを抑える冷涼な霊気が 雪村の殺気を相殺しました。


 不思議な感覚でした。まるでふたつの霊気が、同じ身体の中で鬩ぎ合って(せめぎあって)いるかのような。

 刀に掛けられた雪村の右手に手を置いたまま、私は雪村を茫然と見上げていました。



 どれほどの刻が過ぎたのでしょう、いえ刹那の間だったのかも知れません。やがて私の手に彼の左手が重ねられ、雪村は静かに微笑みました。


「今度は忘れません。しかし思い出にもしたくない。だから安芸殿、今度は真木の間者になってくれませんか?」


 その言葉を、私は信じられない思いで聞きました。

 私を「殺せ」と言ったのは兼継様です。

 雪村が兼継様の言に逆らう事などありえません。


 ありえない事が起きたのです。


 そしてもうひとつ。

 私を忘れている雪村に、私は「花贈りで、私にくれた返花を思い出して」と呪いをかけていました。


 秋が来るたびに、秋海棠を見るたびに雪村は、返花に何を返したかを思い出そうとするでしょう。

 それなら私は、秋が来たら彼に思い出して貰えます。


 そんな浅ましい想いに、雪村は『風鈴草』を再び返してくれました。


 風鈴草の花言葉は『感謝』。


 私を絶望から救ってくれたこと、命を救ってくれたこと。


「私の願いを聞いてくれた事に『感謝』を」


 雪村はそう言いましたが、その花言葉は、私から雪村へ返さなければならないものです。


 私はこの時に一度死にました。そしてもう一度生まれ変わったつもりになります。

 私はもう、記憶の中で生きる事を望みません。

 死ぬ時は雪村の為に 前を向いて討ち死にです。


 そう決めました。


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