第120話 打診と打算と姫の災難1
私は今、兄上と大阪に来ている。
例の観楓会ですよ。面倒な行事には参加せず、好きに過ごせる出張って最高だね。
大阪の上森邸には兼継殿が居た。
「影勝様に挨拶は済ませた。明日発つ予定だ」
そう言う兼継殿はすごく疲れて見えて、私と兄上は顔を見合わせた。
「兼継、今日の夜って空いてる? 久し振りに呑もうよ。美成も誘ってさ」
兼継殿が明日帰るなら、美成殿も予定を合わせるだろう。兄上が殊更に明るい声で気分転換に誘った。
「そうだな……信倖には話しておかねばならない事もあるしな」
独り言みたいな呟きに、私はぎょっとして兼継殿を見返した。割り切ったつもりだったのに、小介の言葉が不意に思い出されて鼓動が早くなる。
兄上に何を言うつもりなんだろう。……兼継殿は全然視線を合わせてくれない。
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上森邸を辞した後、私は城下へ本探しに出掛けた。
今回は長く滞在する予定じゃないからね。美成殿に教えて貰った、品揃えに定評があるという書肆へ向かう。
さすが天下の大阪。いろいろな本が置かれていて、私はその中の数冊を手に取って中を検めた。
なるべく解りやすいものがいいな。紫苑や桔梗みたいな花ならともかく、生薬になる植物は見た目がよく判らない。配分量も大事だけどそこからだよ。
本の頁をぱらぱら捲ると、小難しい漢字がこれでもかと並んだものや、陰陽を解説したものなど、いろいろなタイプの本がある。
何冊目かで、生薬の分量表記と一緒に 桔梗や朝顔のイラストが描かれた、解りやすそうな一冊を見つけた。最初はこんな感じでいいかも知れない。
「これにします」
そう言って本を差し出すと、店主が「こちらは『生薬の種付限定版』も出ておりますが、如何いたしましょう?」と聞いてきた。
この時代にも限定版なんてあるんだな、そう思いながらそっちを購入する事にした。
「限定版」って響きに弱いのは、ひととして仕方がないと思うのです。
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影勝様が着いているって事は桜姫も来ている。
私は「武隈邸を改装しましたので、是非遊びに来て下さい」と『滅亡した武隈の姫』に対して無神経な事を言いつつ桜姫を連れ出した。
そこはいいんだ。ショックなんて受けてない。どうせ中身は桜井くんだし。
でも到着早々、それも夕方遅くなってから連れ出されるとは思ってなかったんだろう。桜井くんは「何だよー。そんなに俺に会いたかったぁ?」とおちゃらけながらも不思議そうだ。
「あのね、聞きたい事があるの」
私は桜井くんの前に座り、居住まいを正した。
桜井くんも「なに?」とお茶をひとくち飲みながら、ちょっと真面目な顔になる。
「小介が「兼継殿は『雪村が別人と入れ替わっている』事に気づいている」って言うんだけど……。越後に居た間、兼継殿にそんな素振りなかった?」
「何で小介が!?」
桜井くんが、飲み込み損ねたお茶に
「少し前に兼継殿が沼田に来た時に、まぁちょっといろいろあって小袖をくれたんだよね。それがその、女物で……。私もそれ、特に気にせず受け取っちゃったの。本当は「私は男だから女物は着ません」って答えなきゃダメだった。小介がそれに気づいて。兼継殿も気付いてる筈だって」
そもそもの失敗はそこだ。そして指摘されるまで気づきもしなかった。
「兼継殿、今日ここに来ているんだけど、兄上に「話がある」って言っていて……何をいうつもりなんだろうって」
相談して楽になりたくて桜井くんを呼んだのに、だんだん息苦しくなってくる。
「それで『別人だって気づいている』か。なるほどな」
項垂れている私に 桜井くんがそっと寄ってきて、背中をぽんぽん叩いてくれる。そして少し楽になった頃、切り替えるみたいな明るい声で聞いてきた。
「何だかごちゃごちゃしてきたな。ちょっと整理しようか。まずさ、何で雪は兼継と信倖に知られたくないんだっけ? 俺、理由聞いてた?」
話が逸れてちょっと面食らったけど、それは言ってない気がする。
桜井くんから視線を逸らしたのは、後ろ暗い理由だからだ。
「……この身体になった夜に、兼継殿が「元に戻す方法を探す」って言ってくれたの。『雪村』が困っているからそう言ってくれたのに、私は雪村じゃない。それを知ったらどう思うだろうって、それが怖い。そもそも『女の私』が雪村の中に入ったからこんな事になったのかも知れない。雪村にも兄上にも、何て言って謝ればいいのか解らない」
言葉にしてみると、随分と自分勝手で浅ましい理由だ。兼継殿の責任感の強さを利用しておいて、大事な事は隠している。
それは単に『私が』兼継殿に嫌われたくないから。
別人だってバレるのが怖いのは、兼継殿に頼ることが出来なくなるのが怖いからだ。
暫く考え込んでいた桜井くんが、どうしようかな って呟いた後で私の顔を覗き込む。
「俺が越後に居た間は、そんな感じはしなかったよ。ただ六郎に関しては心配してた。お前、越後に居た時は「女の身体の自覚を持て」って兼継にさんっざん叱られてたろ? 女物の小袖を普通に受け取ったんなら、兼継的には『合格』だろ。小介はそれ知らないから そういう風に感じたんだよ」
「そう……なのかな?」
そう考えれば、女物の紬の件も辻褄があう。『自覚を持て』って意味なら。
……『策略を疑え』って言われた事に関しては まだ解らないけど。
「あとさ」
あやふやな表情のまま見返す私に、桜井くんが言葉を続ける。
「俺にも正直、兼継が何を考えてるかなんて解んない。ただこれだけは教えとくよ。雪村が女になったのは雪のせいじゃない。ゲームのイベントだ」
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私は今までより、もっとあやふやな顔をしたんだろう。
桜井くんが私を見て苦笑する。
「雪は携帯ゲーム版しかやってないから分かんないか。『花押を君に』のNEOが出た時『初版のデータがあったら特殊イベントが発生する』って噂があってさ」
「それは知ってる。私、フリマアプリで初版を買って、インストールしてる最中に死んだんだもん」
「……親御さんも『娘の遺品が18禁ソフト』ってのは、なかなか残酷な話だな」
「やめて! パソコンごと大破してろって、ここから全力でお祈り中なんだから! 思い出したら死にたくなるー!」
「死んでるじゃん」
桜井くんと話していると脱線していけない。
桜井くんもそう思ったのか、こほんと咳払いをして話を戻した。
「まあとにかく。その初版データがあったら発生する『特殊イベント』で、雪村が女になってたんだよ」
「そうなの!?」
私は仰天して桜井くんを凝視した。公式HPに掲載されていた美少女スチル、『あれ』が雪村なの?
でも、あれならどっちかっていうと、美成殿が女の子になった感じだった。
「うん。だからそれに関しては雪が気に病む必要ないよ。この世界はNEOに準じているみたいだし、ゲームのイベントのひとつだと思ってさ」
そう言って桜井くんは元気に笑った。
そうか、こんな事になったのは 私が雪村に入ったせいじゃないんだ。
そう知れただけで力が抜ける。
やっぱり相談してよかった。私は桜井くんを見返して笑った。
「ありがとう。胸のつかえが取れたよ」
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