第98話 【番外編】六郎帰還5 ~side R~
その日の夕刻、城に戻った俺たちを見て、小町や小介を含めた家臣一同が一斉にざわめいた。
ずかずかと近寄ってきた小介が俺の掛襟を掴み「雪村様になんて恰好をさせてるんだ! てめえは男なんだから小袖くらい貸せよ!」と押し殺した声で凄む。
俺は声も無く 小介を見返した。
そうだ、何故俺はそこに気が回らなかったんだろう。最初に見た時は俺だって、身体の線が出過ぎていると思ったじゃないか。
そんな姿のまま城下を歩かせるなど……!
「待って!」
俺と小介の間に割って入った雪村様が「違うんだ小介、私がやめろと言ったんだよ。だって家老が小姓に小袖を貸すなんておかしいじゃないか。そもそも袖を破いてしまった私が悪いんだから」そう言って、俺の掛衿を掴んだ小介の手に触れる。
雪村様がそう言うなら といって小介は手を放したが、俺は小介も雪村様も見返せずに俯いた。
雪村様は、俺が倒れて主君の手を煩わせた事を黙っていた。
単に気が回らなかっただけの俺を庇った。
そこまでさせておいて、俺は本当の事を話せずに
俺は、最低だ。
「ごめん、六郎」
伸ばされた雪村様の手を振り払い、俺は思わずその場から逃げ出した。
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気が付くと 俺は上田に戻ってきていた。
とにかくあそこに居たくなくて、闇雲に馬を走らせた結果がこれだ。
だが今、宇野の邸に帰って事の次第を話したら、親父殿は何て言うだろう。
……不味いな、「 切 腹 」の二文字しか浮かばない。
だが今、俺が切腹して果てたら、雪村様の記憶には『偉そうにするばっかりで 自分の失態は隠す卑怯者の家老代理』としか残らない。
いや、それならまだ……良くはないがいいとして、万が一にも『胸を隠してキャー! と悲鳴を上げた家老代理』と記憶されてしまったら、俺は安らかに成仏出来そうにない。
もう少し恰好いい記憶を雪村様の脳裏に刻むまで、死ぬことは許されないのだ。
宇野家の名誉の為にも そこは勘弁してくれ親父殿。
一日のうちに、主君二人に迷惑を掛けるのも何だが仕方がない。俺はよろよろと真木邸へ馬首を巡らせた。
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真木邸、信倖様の自室にて。
「こんな遅くにどうしたの六郎。何かあったの?」
先触れもなく突然訪れた俺に、信倖様は当然 驚いたようだった。
幼い頃から変わらない 穏やかな顔を見ていると気が緩む。
俺は、半べそになりそうな気持ちを奮い立たせて、がばりと平伏した。
「信倖様、折り入ってお願いがあります。俺に雪村様の近侍は無理です。こちらに戻して下さい!」
床に額を叩きつけたまま、俺は信倖様からの沙汰を待った。
「うん、いいよ」
至極あっさりした答えが返り、俺は床スレスレから信倖様を見上げた。
まさか速攻でこう来るとは思わなかった。二の句が継げずにいる俺に、信倖様は安心させようとしているのか、気楽そうに笑う。
「沼田に行ってる家臣たちからも言われてたんだ。六郎に家老職は、まだ荷が勝ちすぎているってね」
いや、笑いごとじゃない。俺を立ててくれていると思っていたあの古ダヌキどもめ、影では俺をひよっこ扱いした挙句に信倖様にチクっていたのか。
「いやあ良かったよ。六郎にどう伝えようかと迷っていたんだ。宇野の腰も良くなってきたし、交代させよう」
ほっとした顔の信倖様を見据え、俺はがばりと身を起こした。
冗談じゃないぞちくしょう、人に言われて辞めるなど男が廃るじゃないか。
「そういう訳には参りません信倖様。父との交代など無用。一度与えられた職務は
俺は、前言撤回も甚だしい宣言をぶちかまして踏ん反り返った。
「え? ちょ、六郎? じゃあここに何しに」
「月を肴に夜語りなどと思って参りました!」
鼻息荒くそう言うと、信倖様は細く息を吐き「……うん。じゃあ酒を用意させるよ」と侍女を呼んだ。
……ホントすみません、信倖様。
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「だいたい何なんですか!」
呑み干した椀を膳に叩きつけ、俺はふごおと唸った。
日中、暑さで倒れた身体に酒はよくまわり、酔って自制が効かなくなってくると、愚痴はついつい雪村様の事になってしまう。
「あの人は昔からそうだ! 小さい頃だって信倖様にだけ兄のように懐いていた!」
「兄だからね」
「俺には他人のように接していたのに!」
「他人じゃないか」
「今だってそうだ。同じ家老でも、越後の執政にはずいぶんと懐いているじゃないですか!」
「兼継は雪村を苛めないからだろ」
「だって雪村様は、俺には全然本心を言ってくれないんです。小介と遊んでると思ってたのが城下の視察だったなんて俺は聞いてなかったしそういうのは家老の俺に最初に相談すべきで」
「小介ほど親しみを感じてないんじゃないの?」
「じゃあ親しくなればいいんですね!? ……雪村様は知恵も回るし領民にもお優しい。居なくなられては困る。誰かに持っていかれる前に俺にください」
「雪村は男だってば。くれって何だよ」
「あんたもそんな事いってんですか! どこからどうみても女子でしょこの盆暗兄弟が!」
「六郎、酔った上での事だから聞き流すけど、僕は当主だからね?」
もしも素面になった時にこれを覚えていたら、俺は二度目の切腹をしなければならない事態を引き起こしている、気がする。
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翌朝、陽が昇る前の暁七ツ。
「じゃあ雪村をよろしく頼むね。頼りにしてるよ」
寝不足気味の目を細めて、信倖様が軽く手を上げる。
「解りました。お任せ下さい!」
信倖様とは対照的に、酔いつぶれてぐっすりと眠った俺は、そう請け負って元気に乗馬した。
愚痴って、気持ちの整理がついたのかも知れない。
何を話したのかはよく覚えていないけれど。
これからは視察は小介に任せよう、奴は『城代の影武者』なんだから。その代わり俺は内政をしっかりやればいい。それが『家老代理』だ。
「あまり気負わなくていいんだよ。うちは家老が二人いるんだから。何かあったら筆頭家老の矢木沢と相談しなよ。何のために矢木沢をそっちに付けたと思っているの」そう信倖様も仰ったんだからな。
俺は朝焼けのなか 元気に沼田へと戻った。
が、残された信倖様が「六郎ってちょっと面倒くさいでしょ。ごめんね雪村、押し付けて」と呟いた事を 俺は知らない。
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