第96話 【番外編】六郎帰還3 ~side R~

 小介が沼田行きに推されたのは『男だった頃の雪村に 一番背格好が似ている』から。

 いつも一緒に出掛けるのは『雪村の影武者として城代の振りをしている』から。


 それを聞き出せたのは、何度目かに同行した視察の道中だった。



「ごめん、てっきり兄上から聞いていると思って」


 雪村様は申し訳なさそうに謝ってきたが、本来それは雪村様から伝えるべきものであって、信倖様のせいにするのは間違っている。

 そう言いたかったが 小町の言葉が頭を過ぎり、結局むすりと押し黙って聞き流した。



「おや小介、今日はお殿様と一緒じゃないのかい?」

「城代様は持病の癪で寝てるんです。今日はご家老様と視察です」


 城下を歩くと 道行く人々が気さくに話しかけてきて、雪村様もにこにこ笑って返している。

 ここで俺は雪村様が「小介という小姓の振り」をしている事も知った。


 仮にも当主の弟なのに自尊心は無いのですか。

 そう喉まで出かかった嫌味を、俺は寸でのところで飲み込んだ。……小町の言葉は、喉に刺さった魚の骨みたいにいつまでも引っ掛かって……酷く気に障る。



「ずいぶん領民と馴染んでいるんですね。これくらい熱心に政務にも励んで頂きたいものだ」


 しまった。そう言うつもりは無かったのに、いつの間にか口を開けば憎まれ口になっている。

 俺は内心慌てたが、雪村様は気にした風もなく さらりと受け流した。


「うん。六郎もたまに城下に来たらいいよ。直接見ないと分からない事もあるから」


 俺より五つも年下なのに 俺の方が子供っぽいな。

 赤くなっていそうな顔を隠すべく、俺は雪村様から顔を逸らした。



 ***************                ***************


「今日も俺が行く」


 いつも通り、小町が小介を呼びに行く前に捕まえようと政庁前で待っていると、たまたま小介と出くわしてしまった。いや、小介の方は『たまたま』では無かったんだろう。

「六郎」

軽く手を上げて近づいてきて「今日は暑いから夕刻からにしな。そろそろ溜まってくる頃だぞ」と視察を俺に押し付ける気満々の台詞を吐いてきた。


 自分が行くつもりでいても、押し付けられたと思うと面白くない。


「何を言ってんだ。元はと言えば、お前が雪村様としていた事だろうが!」

「じゃあ俺が行くか?」


 猛然と食って掛かったが、そう言われると言い返せなくて、俺はそっぽを向いて黙り込んだ。

 黙っている俺に小介は そんなに城下が気に入ったかねぇ、と呟きながら、肩衣をちょいとつついて顔を顰める。


「せめてこれは脱げよ。見てるだけで暑苦しい」

「ほっとけよ」


 暑いのは百も承知だ。しかしこれが無いと家老っぽくない気がするし、何より指摘された事が面白くない。

 手を振り払い、俺は小町を探して邸の方へと足を向けた。



 ***************                ***************


「六郎、暑くないの?」


 濃紺の小袖に肩衣という暑苦しい俺とは対照的に、薄手の小袖が涼やかな雪村様が、気遣わしげに声をかけてくる。

 確かに暑いが俺は「立場というものがあるでしょう」と痩せ我慢をした。

 今にして思うと本当に馬鹿々々しいが、その時は本気でそう思っていたのだから仕方がない。


「でも小介は、城代の振りをしている時も小袖一枚だよ」


 ……くそ、小介の奴。そんな出で立ちで城下を回っているなら先に言えよ。

 しかしそう言われて「そうですか。では」とは脱げない。だって恰好わるい……。

 俺は「雪村様は今まで城下を巡って、何を感じられましたか?」と関係ない質問をすることで、風も無く、じりじりと照りつける過酷な陽気から意識を逸らした。



 ***************                ***************


「……その普請が自分たちの為にならないと『信頼』ではなく『不満』が出る」


 ふと意識が途切れかけ、俺ははっと目を見開いた。隣では雪村様が真剣な表情で、城下の視察で感じた問題点を語っている。


 降水量が少ないから水利の開削か、俺はぼんやりとした頭で考えた。

 案外いい所に目を付けているな。確かに高台が多いここでは水利の開削が急務だろう。しかし暑い、暑すぎる。水利……水利……水……


 ふわりと足元が揺れ、意識が暗転した。



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