第94話 【番外編】六郎帰還1 ~side R~

 やっと帰って来た。


 俺、宇野六郎は深緑に囲まれた懐かしい真木庄を眺めて大きく息をついた。 

 ここを出てから六年がたつ、何もかもが変わっていない。


 真木家に代々仕える宇野家に生まれ、たまたま信倖様と同じ年に生を受けた俺は、幼い頃から乳兄弟として 誰よりもあの方の側近くにいた。


 父から「信倖様の為に死ぬ覚悟を持て」と耳にタコが出来るほど聞かされ続け、幼く純真だった俺はそれを真に受けた。

 少々重すぎる忠誠心を培いつつ成長した俺は、いずれ父の跡を継ぎ、信倖様を支える立派な家老となるべく、武隈家重鎮・高崎殿の所へ預けられる事になった。


 高崎殿は、強者揃いの武隈家臣団の中でもひときわ武芸に秀で、信厳公の信任厚く、同盟の取次等にも活躍する才を持ち合わせた 文武両道の武将だ。俺はその家中で、様々な事を積極的に学んでいった。


 それから六年後。

 主君であった武隈家が滅亡した事により、真木家は富豊家へ臣従。高坂家はあろうことか、武隈を滅ぼす片棒を担いだ徳山家に召し抱えられる事になった。


 こうなっては このままここに残る事は出来ない。

 俺は真木家に帰参する事にした。



***************                *************** 


 六年振りにお会いした信倖様は、ご立派に成長なされていた。

 父君であられる昌倖殿が身罷られて まだ間がないというのに、立派に当主を継ぎ、若いながらも貫禄を身に付けておられる。


「おかえり六郎、待ってたよ。これからは真木家の為に忠義を尽くしてほしい」


 そう微笑みながら仰る姿は、慈愛に満ちながらも堂々としておられる。

 さすが我が主。そう畏まっていると、縁側から軽やかな足音が聞こえてきた。


「兄上、いらっしゃいますか?」


 突然障子が開けられる。

 無作法な、そう思いながら顔を上げると、可憐な少女が 大きな瞳を驚きに見開いて、俺を見返してきた。


 初めて会うはずなのに、初めてという気がしない。

 じっと見返すと、少女は慌てて障子を閉めかけた。


「来客中でしたか、申し訳ありません」

 恐縮する少女に信倖様は「いいよ雪村、入って」と笑って引き留めた。


――雪村? 


 俺はぎょっとして少女を見返した。初めて会った気がしなかったのは『あの弟』に似ていたからか。

 いやしかし。俺は改めて『雪村』と呼ばれた人物を凝視した。


 小鹿のようにすらりとした姿態、榛色の大きな瞳が印象的な 整った顔立ち。

 ひとつに結わえた艶やかな髪が 背に流れている。

『京の御前』と呼ばれた信倖様の母君にも似ていて――美少女と言っていい。


 しかし『雪村』とは信倖様が五つの時にお生まれになった弟御のはずだ。どう贔屓目に見ても『これ』は齢二十歳の男には見えないだろう。

 俺は軽く混乱しつつそう思っているのに、彼女は微かに微笑んで「何年振りだろう、雪村です。久し振り六郎殿」と挨拶してきた。


 これが男!? いやまさか嘘だろう!??


「信倖様、俺は雪村様は弟君だと思っていましたが、違ったのですか?」

 信倖様と彼女を交互に見つつ、俺は真剣に詰め寄った。驚きのあまり問う声が擦れている。


 嘘であってくれ。そうでなければ俺は今、男にときめいた事になる。


 信倖様はあまりに必死な俺に引いたんだろう。

 少し目を見開いた後で、いつも通りの笑顔に戻り「今、雪村はちょっと病を患っていてね。女子になっているから気を付けてあげて」と、俺の理解が追い付かない事を言いだした。


 女子になる病!? そんなのあるの!?? 

 男にときめいた訳ではなかったが、もっと複雑な事案だった。

 おまけに信倖殿は、にこにこ笑って俺と雪村を見ながら、とんでもない爆弾をぶち込んできやが……こられた。


「おかえり雪村。ちょうど良かったよ。前に話した沼田の件だけどね、雪村は元に戻るまでは城代として沼田城を任せる。そして家老代行で六郎を付けようと思うんだ」


 ……事前に何の断りも相談もなく、仰天するような事をさらりとぶちかます。この人はこういう所がある。にこにこ笑っていれば、多少の無理難題は通せると思っているんだ。家臣となれば尚更だ。

 そしてそれは弟……か妹か判らんが、そういった身内であっても同様らしい。


「兄上、私は領地を治めると言った事は全く不勉強です。六郎殿もこちらに戻って日が浅いでしょう。まずは慣れた者からその方術を教わるべきではないでしょうか」


 ちらりとこちらを窺がった後で雪村……と思しき少女は、困惑気味に申し出た。


 俺も全く同感だったが、言っている事は『俺らでは無理』って事だ。言葉は柔らかくとも、俺の能力を侮られているような気がして面白くない。

 そりゃ父のようには出来ないだろうさ。だがそれを自分で自覚するのと、他人に指摘されるのとでは大違いだ。


 俺はだんだんこの少女に腹が立ってきた。

 思い返せば『あの弟』にも、似た感情を持った事があるような……

 あれは……雪村様が人質として越後に向かわれる前。もっと幼い頃に……


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「雪村さま、おれは信倖さまの乳兄弟ですから、おれのことも「あにうえ」って呼んでいいですよ」


 信倖様にべったりな 甘えん坊の弟君にそう言うと、間髪入れずにそいつは言いやがったのだ。


「? あにうえは、のぶゆきあにうえだけですよ?」と。


 困惑した雪村が、変態にでも会ったかのような顔をして、信倖様の小袖を掴む。

「え? 六郎、雪村に「兄上」って呼ばれたいの?」

 ぷすりと笑う 幼い信倖様の幻影が、網膜の奥でぐるぐる回る。


 突然、思い出すまいと蓋をしたはずの黒歴史が怒涛の如く蘇り、俺は一瞬白目を剥いた。


 うわああああ……ッ!!



(回想終了)


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 ……俺と「沼田に行け」と言われた時の あの困惑した表情。幼い頃にそっくりだ。それを思い出すと ますます苛々が募ってきたが、どんな顔をして雪村を見たらいいのか分からない。


 結局、上手いこと信倖様に言い包められて、俺は『雪村』と沼田に行く事になってしまった。

 親父殿が腰を痛めたのなら、温泉が湧いている上田城下で療養した方が都合がいいだろうし『腕の立つ護衛』として俺が必要だというならまぁ……仕方がない。


 苛々はするが信倖様の頼みとあれば。そう納得しかけた時に事件(?)は起こった。


「六郎殿、お世話をかけると思いますがよろしくお願いします」


 俺に頭を下げた雪村に、信倖様がへらへらと笑いながら「小さい頃に苛められてたからって下手に出なくていいんだよ。今は雪村が主君だからね」と流しておいて欲しい過去を全力でほじくり返してきやが……きたのだ。


 えっ、と言った表情で『雪村』が俺を見たが、俺は目線を逸らしたまま顔を動かす事が出来なくなった。


 何となくそーじゃないかなーと思ってたんですが信倖様!

 せっかく「雪村」は忘れていたんですよ!? 俺が苛めていたこと!

 何で今更それ言っちゃうかなあ!!


 動揺した俺は思わず「その通りです雪村様。主君となるからにはそれなりの威厳を身に付けて頂かないと。それと俺に敬語は不要。「六郎」とお呼びください」と威圧的に返してしまった。


 助けを求めるような視線で信倖様を見る彼女に、やっぱり訳もなく苛々する。


「俺があの日々に耐えたのは、すべて信倖様をお支えする為だったのに……」


 ついそんな憎まれ口を叩いてしまい、表情をなくしてしまった雪村を見ないようにしながら、俺は逃げるように部屋を辞した。



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