第22話 逃亡の姫と冬の内職 ~side S~

 御殿ごてんとのさかいにある庭に雪村は居た。


 池で泳ぐこいを見ていたようだが、俺を見つけるといつも通りの穏やかさで声をかけてくる。


「おはようございます姫、よくお休みになれましたか?」

「ええ。起きたら雪村が居ないから心配したわ」

「私は兼継殿の邸にお世話になっております。ここから近いですし、何かあればすぐに駆けつけますよ」


 池に近づこうとして、石の段差だんさにもたついている俺に向けて、さりげなく手を差し出してくる。

 その手を取りつつ、ここであざとくコケる振りでもしようかと一瞬考えたけれど、即座に思いとどまった。


 一見わからないが、そこかしこから視線を感じる。


「おさかな、可愛いわね」

 可愛さを全力で意識した微笑で雪村を見上げたが、雪村は俺ではなく鯉をしっかり見てから「ええ、本当に」とにっこり返してきた。


 くそ、エサよこせみたいな顔で口をぱくぱくさせてるこいつらのどこが可愛いんだ。お世辞に決まってんだろ!

 雪村、お前もそういうとこだぞ? ここは「鯉より姫の方が可愛いです」だろうが!

 ……昨日、あんな事があったばかりなのに 俺は元気です。


 そんな俺には気づく様子もなく、雪村が懐かしそうに目を伏せる。

「子供の頃、影勝様と一緒に一日中、ずっと黙って鯉を見ていたことがあります」


 何やってんだよ殿様。ヒマなのか。

 そう思ったけど、雪村が子供の頃なら影勝かげかつもまだ殿様じゃないのか。

 雪村もいい思い出みたいに語ってるけど、そんな事ないからな?


 鯉に嫉妬しっとしつつ殿様と雪村に突っ込んでいると、雪村が思いついたように口を開いた。

「姫、疲れがとれているようでしたら、城の周りくらいはご案内しますよ。私も五年振りですが、そんなに変わっていないようです」


「あら雪村、姫さまにはまず奥御殿おくごてんの事を覚えていただきたいわ。雪村も越後は久し振りなのですから旧交きゅうこうを温めてきては?」


 朝イチで襲撃しゅうげきしてきた中年侍女がどこからともなく現れ、にこやかに、そして勝手に雪村の誘いをさえぎってきた。

 おい!こんな内容でもあっちから誘ってくることなんてめったに無いんだから余計なことしないで!


 しかし中年侍女に弱いのか「ではまた次の機会に」そう言って、雪村があっさりと引き下がる。

 ああ……何てこった。雪村はチワワの散歩くらいにしか思ってないかも知れないけどさ……


「では今日は私も挨拶回あいさつまわりをすることにします」

 そう言って雪村が帰ると、中年侍女がにっこりと笑って「姫さま、こちらへ」と俺を邸へいざなった。



***************                *************** 


 中年侍女に邸内を案内されながら部屋に戻ると、俺の部屋に何人もの侍女が詰めていた。障子しょうじを開いた途端、一斉いっせいに視線が突き刺さる。

 一瞬にして「ちょっとあんた、生意気なのよ」と校舎裏に呼び出された図が思い浮かんだ。


 そうだ、女の敵は女。あざとい女は女受けが悪い。


 特に乙女ゲームは、女に気に入られる主人公でなければレビューで袋叩きだと妹が言っていた気がする。

 背後で障子がぴしゃりと閉まり、中年侍女が俺の退路を断ち切った。万事休ばんじきゅうすだ。


「姫さま」

「はいぃ!?」

「私たち、姫さまにお聞きしたい事があるのです。春先に兼継かねつぐ様が信濃へ行った時、雪村との再会場面に姫さまが居合いあわわせたと聞きました。そのあたりの事を是非ぜひくわしく!」


 ……何だそりゃ?


 俺は遠い彼方かなたから記憶を掘り起こした。すでに記憶はセピア色、乗ってきた馬の色も判別がつかない。


「兼継殿は馬でいらしてました。黒だったか白だったか……」

「ああん、そうではなく! と申しますか馬などどうでも良いのです。再会した時の雪村の反応は!?」


 雪村の反応? どんな感じだっけ??


 俺は必死で記憶をたぐり寄せた。いろんな事がありすぎて、本当にずいぶんと昔に起きた出来事みたいだ。


「そうですわね……とても嬉しそうでした。雪村は兼継殿のこと、頼りになって博識はくしきな方だと言っていて、とても尊敬しているようです」


 嬉しそう! 尊敬ですって! きゃああ と黄色い悲鳴が上がる。

 何となく侍女たちの反応と、現世に置いてきたオタクな妹の言動が重なってくる。


 とりあえず受けが良くて気をよくした俺は、反応が微妙だった兼継への恨みを込めて、少し悲しげな風を装いつつがっつりと捏造ねつぞうした。


「兼継殿は雪村には優しげでしたが、わたくしには少し冷たいように感じました。雪村と幼馴染おさななじみのわたくしが気に入らないのでしょうか……」


「……ッ!」


 萌え死んだ侍女たちがばたばたと倒れていく。現世に置いてきたオタクな妹の反応と良く似ている。


 理由はともかく、兼継の反応が悪かったのは本当だ。まるっきり嘘って訳じゃない。


「あの、これは一体……?」

 嫌な予感を押し隠して、俺はこの中の女ボスっぽい中年侍女に小声で問いかけた。

 中年侍女は背筋をぴんと伸ばして、俺に向き直る。


「姫さまも越後の姫としてお過ごしになられるのなら、知っておいて頂きたい事がございます。越後には神龍の加護があり、干魃かんばつや水害とはえんの無い穏やかな土地柄でございますが、冬の長さだけはどうする事も出来ません。それゆえ、兼継様は越後の民に、冬期間の内職を推奨すいしょうしております」

「なので私たちは冬の間、自作の「写本しゃほん」を上方かみかたおろして収入としているのです。そのような「写本」は全国的にひそかな広がりを見せ、今や上方では師走しわすの終わりに大々的な写本市「冬之祭典ふゆのさいてん」が開催され、写本の売買が盛んに行われております」


 ……それ、現世のビッグサイトあたりでやってるもよおしに似てないか……?


「自作の写本……それはどのような……」

「女性に人気があるのは、いつの時代も源氏物語のような美しい恋物語でございます。ただ私たち凡人の想像力には限界があります故、模写体モデルが必要不可欠。幸い越後には人材が豊富でございました」

優秀な腹心ふところがたな見目麗みめうるわしい兼継様や、三国一の美武将と名高い陰虎かげとら様。それを無口で女性を近づけない影勝様にからめるだけでごはん3杯はいけますわ」


 同人誌かよ! ってか自分とこの殿様で書くのかよ!

 そもそも源氏物語とはジャンルが違う恋物語だろそれ……


 呆然とする俺に、萌え死んでいた侍女たちが復活して追い打ちをかけてくる。


「姫さまに申し上げて良いのか迷いますが、雪村も人気がありましたのよ? 人質の身分であの見た目ですから」

「そうそう、子供の頃はそれはもう、女子おなごのような可愛らしさでしたからねぇ。雪村の場合はとりかえばやが多かったですけど」

美味おいしく成長した雪村を連れ帰って下さって、私どもは狂喜乱舞きょうきらんぶですわ」


 人質が何だって?とりかえばやって何!?


 いきなり雪村まで槍玉やりだまに上げられて混乱する俺に、中年侍女が慈愛じあいに満ちた笑顔を向けてくる。


「姫さまは燃料の投下がとてもお上手ですわ。初見しょけんで感じた通りです」

 

 どんな初見だよ。

 乙女ゲームやってるオタクな感じか?


 兼継って自分の政策がこんな事になってるの知ってるの?内緒なら俺ひとりで抱えるには重すぎる秘密だぞ?

 そういえば妹が「花押を君に」はsideBというBL版のファンディスクも出ていると言っていたけど、まさかここの世界でこんな事になっているとは思わなかった。


「何故このようなお話を、新参しんざんのわたくしに……?」


 息もえな心境でそう問うと、侍女衆が全員、良い笑顔を向けてきた。


「姫さまに雪村の写本を作る許可を頂きたいのです。それと姫さまが剣神公の娘なら影勝様の義妹いもうとということになります。姫さまを味方につければ影勝様に関しても、いわば公式の許可を得たという事になりますわ!」


 俺は目の前が暗くなった。


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