惨めな退路
雨が降っていた。
しとしとと降り続き赤い夕焼け空を雨雲の灰色で覆い隠している。
雨水はいくつもの水たまりを作りあまり舗装されていない道をぬかるみさせる。
そんな暗く汚れた山道を一人の少女が歩いていた。
シャーロットである。
「はぁ……はぁ……」
シャーロットは銃弾によって穴を空けられた足を少しずつ動かし前に進んでいる。
この山道までは彼女の得意な瞬間移動で飛んできたのだが、もうする気力もない。
今は痛む足に鞭を打ってとにかく山道を抜けるために前を進むことしか彼女にはできなかった。
「はぁ……はぁ……うっ……!」
シャーロットはぬかるみに足を滑らせ転んでしまう。
元々雨でびしょ濡れだった彼女の体は、更に泥と血でどろどろに汚れてしまう。
「う……あ……はぁ……はぁ……」
それでも彼女は前へ進むために立ち上がろうとする。
だが、一度倒れた彼女は足の痛みからうまく立ち上がることができず、何度も起き上がろうとしては倒れ、起き上がろうとしては倒れを繰り返す。
重い剣が彼女の体に伸し掛かる。
そんな剣をシャーロットは杖代わりにしようと背中から抜き地面に突き立てる。
剣に寄ってなんとか立ち上がるシャーロット。
そして、剣を杖にしたまま一歩ずつ歩き出す。
右。左。右。左。
一歩ずつ歩みを進めていく。
しかしその進みは当然ながら牛歩。
この調子では山越えを一日で済ますことなどできない。
「……あっ」
やがて、剣を杖にした状態でもうまく進むことができずまたも倒れてしまう。
顔を汚すシャーロット。
だが、彼女の顔を本当に濡らしているのは泥でも雨水でもなく、彼女自身の涙であった。
「……あああああああああああああああああっ!」
シャーロットは片手に持っていた剣を前に投げ、かすれきった声で叫ぶ。
「私は……私は……! うっ、あああああああああああああああああああああああああっ!」
彼女を最も苦しめていたのは、足の傷でも、体温を奪う雨でも、険しい山道でもなく、自分がすべてを見捨てて逃げてきたという事実、その一点であった。
多くの命を犠牲にして、おめおめと落ち延びているという屈辱であった。
「ああああああああっ! ああああああああっ! ああああああああっ!」
シャーロットは地面を右手で叩く。何度も。何度も叩く。
やがて拳が擦り切れ血をにじませようと叩くのをやめない。
それほどに、彼女は自分の今の有様が許せなかった。
「なぜ……なぜ私は逃げたの……!? もう国が滅んでしまったから……? 民に情報を持ち帰れと言われたから……? いや違う……私は、負けたんだ……あの魔王に……魔王、宇喜多富皇に負けたんだっ……!」
擦り切れそうなか細い声で吐き出すシャーロット。
もはや腕を地面に叩きつける力すらなくなり、その場に倒れたままになる。
「私は……私は……!」
そんなときだった。
道の向こうから、パカラパカラと馬の蹄の音がしたのだ。
シャーロットは前を向く。
するとそこには、一人の鎧を着た男が馬にまたがっていた。
シャーロットはその男に見覚えがあった。
ソブゴ王国に出した伝令だ。
その伝令が、今になって帰ってきたのだ。
「シャーロット様!? どうなされたのですか!? シャーロット様!?」
「……スピリ教国が……落ちた……私を……王国に……」
シャーロットはそれだけ伝えると、ふっと意識を闇に落とした。
「…………ん」
温かい感触の中、シャーロットは目を覚ました。
どうやら眠っていたらしい。しかも、どうやら簡素なベッドの上で。
今自分がいる場所がどこかと思い辺りを見回すと、一人の男がいるのが椅子に座っているのが見えた。
「あっ、起きましたかシャーロット様!」
その男はあの伝令兵だった。
鎧を脱いでいるため印象が異なり一瞬分かりづらかったが、その茶の短髪は王城でも見かけたことがあった。
「私は……一体……ここは……」
「ここはスピリ教国から最も近いソブゴ王国の領地、ドゥファン領の宿屋ですよ。シャーロット様が傷だらけで倒れていらっしゃったので、ここまで連れてきたんです……」
「そう……迷惑かけたわね……」
シャーロットは礼を言いながら起き上がろうとする。が、体が痛みうまく起き上がれない。
「うっ……!」
「ああっ、まだ安静にしてないと! 医者にも見せましたが、ひどい状態だったらしいですよ!? ……そこまでに、スピリ教国はひどかったんですか」
「……! 教国……ええ……そう、ね……」
シャーロットは自分が逃げ出した事を言い出せずにいた。
それは、この生き残った一人の兵士の前ではせめて立派な勇者様でいたいという気持ちがそうさせたのかもしれないと、シャーロットは思った。
「そんな……教国が落ちるだなんて……せっかく王都からの救援の約定を取り付けたのに、これから俺はどうすれば……」
伝令兵が両手を顔で覆いながら言う。
彼もまた、強いショックを受けているようだった。
「ねぇ……私を、この王国の首都まで連れて行って……」
そんな彼に、シャーロットは突然言った。
「え!? 首都イラムにですか!? そんな体で無茶ですよ……!」
「私は、行かないといけないの……でないと、みんなの死が無駄になる……!」
「……分かりました」
シャーロットの訴えかけに、伝令兵は渋々頷いた。
「でも、馬車でゆっくりと行きますよ。急いではその体じゃ持ちませんから」
「ありがとう……あなた、名前は?」
「え? 名前、ですか?」
シャーロットはその伝令兵の名前を聞いた。自分を助けてくれた男の名を知らぬのはひどいと思ったのかも知れなかったし、亡国の生き残り同士、妙な連帯感が生まれたのかも知れなかった。ともかく、名前を知っておきたいと、彼女は思ったのだ。
「俺は……ハロルドです。ハロルド・フォースター」
「そう……ありがとう。ハロルド」
シャーロットはハロルドに笑いかける。その笑みは、とても儚げで、ハロルドは胸を打たれるものを感じていた。
「ところで……私今気づいたんだけどいつの間にか寝間着じゃない。もしかして……ハロルドが脱がせたの?」
「ええっ!? いっ、いや脱がせたのは医者で、このままだと風邪引くからって、俺は脱がすところ見てないですからっ……! あっ、部屋も一応別で取ってるんで、ただ起きてここだったら混乱するかなって俺いただけんで、それじゃっ!」
ハロルドは慌てふためきながら部屋から出ていった。そんな彼の後ろ姿がなんだか可愛らしく、シャーロットはくすくすと笑う。
「くす……かわいい子。それにしても……」
シャーロットはベッドの上から窓を見る。窓の外はすっかり暗くなっており、未だ降る雨に打ち付けられていた。
「魔王……宇喜多富皇……私はあなたを絶対に許さない……殺す、次に会ったときは必ず殺してやる……殺してやる……殺してやる殺してやる殺してやる……」
シャーロットは先程までとは打って変わって、どす黒い感情が胸の内に芽生えているのを感じていた。
夜は、まだ長い。
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