脅迫状パニック⑰

「LINさん、復帰おめでとうございます!」

おれの再クランクインの時、ドラマの現場ではそんな風に皆が拍手で歓迎してくれる。

こんなに迷惑をかけたおれを歓迎してくれるって……ありがたい事だ。

おれはペコリと頭を下げるとお礼と謝罪を述べる。

「皆さん……今回はご心配とご迷惑を沢山おかけしました。再びご指名いただいたこの役を、精一杯演じますので、よろしくお願いします」

そんな風に、おれのドラマ撮影は始まった。

前回までに撮った分は神谷の出ている部分は除き、そのまま使われることになったから、今日は三話以降の撮影となる。

神谷以外のキャストはほとんど続投だ。

勿論、橘堂春人役の拓海さんも。

『橘堂さん……おれの件で事務所から圧力が掛かっていると聞きました……』

『……君はそんな事、気にしなくていい』

『でも……!』

『瑞樹。そう言うことは、プロデューサーのおれが考える事だ。君は、歌のことだけ考えていろ。……いいな?』

『……橘堂さん……』

『瑞樹……君は必ずおれの手で世に出す。他のやつには、渡さない』

春人の瞳が、愛おしげに瑞樹ーーおれを見る。

瑞樹はその瞳に、切なげな視線を向けた。

『橘堂さん……』

春人の手が、おれの頬に触れる。

その熱を帯びた視線におれはそっと瞳を閉じた。

春人の唇がおれの唇に近づき、触れるか触れないかの所で事務所のドアが開く。

『……なに、してるんですか?』

神谷の役だった八草役の代役の俳優が、静かにそう言う。

『八草……』

『あなたはぼくのプロデューサーに決まったはずです』

『君の事をどうこう言うつもりはない。だけど……瑞樹のプロデュースは何があってもおれがする』

『……葉山瑞樹のプロデュースは高岳さんに決まりましたよ。たった今の会議で』

『……なに?!』

春人役の拓海さんはそう言うと、その唇を噛む。

『そんな事はおれが認めない!』

『認めようと認めなかろうと、上が決めた事です。あなたに拒否権はない』

八草役の俳優はそう言うと、おれの方を向く。

『それに……高岳さんは歌手を売ることにかけてはあなた以上にやり手だ。葉山瑞樹が売れることに何が不満なんです?』

『あの人はーーやり方が……』

『私情ですか?今まで、あの人がプロデュースした歌手に何か言ったことがあります?……例えば

……ぼくとか』

『八草……』

『葉山、君からも何か言いなよ。君のせいで、橘堂さんの立場が危うくなるかもしれないんだよ?』

『……っ』

おれはその言葉に胸が苦しくなり、ギュッと瞳を閉じた。

『瑞樹には関係ない!これはおれが決めたことだ!』

『橘堂さん……でも……』

おれは自分のシャツを掴むと、春人を見上げる。

『いいんだ、瑞樹……そういうことなら、おれにも考えがある……』

『橘堂さん……あなたが仕事に私情を挟むなんて……なぜそこまで……おれの時には、そんな事なかったのに……!!』

『すまない、八草……。これは君のせいじゃない。でも、これだけは譲れない』

「カット!!オーケー!」

カットがかかり、おれはホッとしてモニターへと向かう。

春人の熱のこもった瞳と、瑞樹の切なげな視線が画面に映し出された。

うう……自分ながら二人の行く末がもどかしい。

「いいねえ。恋する感じが最高!」

監督はそう言うと、満足げに頷いた。

確かに、瑞樹でいる間、おれは春人に恋をしている。

けど、一哉が言ったようにカットがかかった後も恋をしているかと言うと、どうやらそうではないようだ。

その辺りは少しホッとしている。

そして、驚くべくは八草役の河崎さんだ。

正直、八草役は神谷がハマり役だと思っていた。

なのに、一瞬にして河崎さんは八草役を自分の物にして、演じ切ってしまった。

しかも、俳優なのに歌も歌っている。

これがまた上手いんだ。

俳優ってほんと凄い……。

おれは画面から目を離すと八草役の河崎さんと目が合う。

河崎さんはおれから目を離すと、拓海さんの方へと走っていった。

ーーそう、憑依役者は実は河崎さんだったのだ……。

河崎さんは基本おれと話をしない。

役作りの為だと最初に聞いていたが、それにしても結構当たりがキツい。

まあ、これも仕事だ……。

「LINさんの今日のカットはこれで終わりです!お疲れ様でした」

「お疲れ様でした」

おれは挨拶をすると、楽屋へ戻る。

楽屋には打ち合わせを終えた敦士がいた。

「凛さん、お疲れ様です」

敦士は立ち上がって出迎えるとにっこり笑う。

「今日は打ち合わせがあったので、凛さんの演技が見られなくて残念でしたけど……他の役者さんからの評判もすごく良いですし、良い調子ですね!」

おれは衣装から私服に着替えると、苦笑いをする。

「……河崎さん以外に、だろ?」

おれの言葉に、敦士も少し苦笑する。

「あの人は有名ですからね……。共演女優とも色々浮名を流してますし……」

え、そうなんだ。

おれは自分が芸能人でありながら、他の芸能人の事情を全然知らない。

優とか翔太なんかは詳しいんだけどなー。

おれは軽くメイクを落とすと、敦士の隣に座る。

「今日のこの後の予定は溜まってたレコーディングだっけ?」

「はい、喉の調子は大丈夫ですか?」

「うん、平気」

おれは「あーあー」と声を出して調子を確かめると、頷く。

そういえばしばらくダンスレッスンもして無いなー。

「皆はダンスレッスンちゃんとしてるよな?」

「そうですね、凛さんがドラマ撮影をしている間にボイストレーニングとダンスレッスンはして貰ってます」

うわちゃー。

このままおれ一人置いていかれたらどうしよう!

「大丈夫ですよ。ドラマが終わったら凛さんにも遅れた分しっかりレッスンしてもらいますから」

う、それはそれで辛い……。

「後、凛さん。これは朗報です」

「うん?」

「コンサートツアーが決まりましたよ」

「おお!」

それはテンションが上がるな!

やっぱりファンと直接逢えるコンサートツアーは、おれたちアーティストにとって格別なイベントだ。

「勿論ドームや武道館、埼玉スーパーアリーナ、横浜アリーナなど、キャパの大きい会場ばかりですよ」

そう言って敦士は笑う。

「レコーディングのモチベーションが上がりましたか?」

「めちゃくちゃ上がった!頑張らなきゃな!」

おれは久々に気持ちの良いニュースを聴いて、胸が晴れた気がした。

「さあ、では少し休んだらレコーディングに行きましょうか」




「あ、凛!ツアーの話聞いた?」

スタジオに着くと、優が嬉しそうに話しかけてくる。

やっぱり皆嬉しいんだな。

「聞いた!燃えてきた!」

おれがそう言うと、優は優しげに笑う。

「……なんか、久々に凛のいい笑顔見て安心した」

優の言葉に、おれは少しだけじんわりと胸が熱くなった。

皆、おれのことを心配してくれてる。

本当にありがたい……。

「皆に迷惑かけた分は、ライブのパフォーマンスで返す!」

「あは!その意気その意気!」

いつのまにか後ろに来ていた翔太も笑う。

「さあ、ライブの前にお前は溜まってるレコーディングだ、凛」

「そうだな。メインヴォーカルのレコーディングが終わらなきゃ、アルバムは出来ない」

一哉と清十郎の言葉に、おれは苦笑する。

いやはや、耳が痛い……。

「あ、それでなんだけど……ここのメロディなんだけど、AメロとBメロで少し変えない?具体的には……」

そう言って優がハモリ部分の変更を提案する。

ーーああ、この感じ。

皆で一つのことを作り上げていく事に集中する感じ……本当に嬉しい。

おれは、この仲間といる事が本当に好きなんだ。

AshurAのメンバーに敦士。

誰が欠けても成立しない。

「ねえ、ちゃんと聞いてる?」

「聞いてるよ。ただちょっと……この平和な状況が嬉しくて……」

「……」

おれの言葉に、メンバー全員が黙る。

「……まっっっったく。おまえは本当に可愛いやつだな」

そう言って、一哉がおれの頭をくしゃくしゃにする。

「本当。凛はかわいいねー」

同じように翔太も髪をくしゃくしゃにした。

な、なんだよ!

幸せを噛み締めて何が悪いんだ。

おれは頬を膨らませると、二人に抗議する。

「いいじゃん。幸せ感じたって」

「勿論いいさ。存分に感じろ」

おれは何故か更にメンバーに揉みくちゃにされると、背中を叩かれる。

「ほら、レコーディングだ。AshurAのメインヴォーカル!」

おれは背中を押されてボックス内に入ると、スウと深呼吸をする。

前奏が流れ出し、おれは口を開いた。

『君との距離がもどかしい。

あと一歩、君に手が届かない。

手を伸ばしてもぼくの手を空を掴むだけ。

それなら一歩前へ踏み出せばいいのに

ぼくにはその勇気がない。

触れたいのに触れられない。

勇気のないぼくを詰ってくれ。

distance 一歩の距離が

distance 一万光年よりも遠くて

distance 足の動かし方を忘れてしまった

distance ぼくに勇気をください』

「オッケー。いい感じだね」

「んー……サビの所がもう少し感情込めたいかな。リテイクいいですか?」

おれは自らリテイクを申し出ると、再びマイクの前に立つ。

「おお、やる気十分だね。じゃ、もうワンテイクいこうか」

キューがかかり、前奏が始まる。

おれはもう一度静かに深呼吸をすると、心のうちの全てを込めて歌った。

「はい、オッケー!……LIN君どう?」

「うん、良いんじゃないかな」

おれはボックスから出ると、音源をチェックする。

うん、やっぱりさっきよりよく歌えてる。

おれは、こうして再び歌える幸せを噛み締めていた。

一時期は、もう歌なんて歌えないんじゃないかと思った。

けど、今皆のお陰でこうして再びこの場所に立てている。

まだ、正直一人で眠る夜は怖い。

だけど、少しずつ日常が戻ってきている。

おれはメンバーの顔を見つめた。

ああ、やっぱりおれはこのメンバーが好きだ。

けれどーー。

もし、おれがこの中の一人を特別に思う事があったら……。

ーーだめだ。

考えても仕方がない。

人を好きになるのに、理由なんてない。

もし、おれが誰かを好きになる事があったら、それはもう止められないんだ。

今はまだ、誰かを選ぶことなんて考えられない。

それでも、おれは皆に誠実にいよう。

誰を選んでも、誰も選ばなくても。

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