くちびるに歌を持とうぜ!

大田康湖

1.ハイキング

 1983年初夏。陽光原ようこうばら第一中学校1年1組1班の七人はハイキングで富士山麓に来ていた。だが、雲行きはあまりよろしくないようだ。

「ちょっと待ってよ! そんなに早く行ったら離ればなれになっちゃうじゃない。ほら、もう半田はんださん、泣きそうな顔してるじゃない。ねえ、待ってったら!」

班長の磯野いその知絵ちえは、前の方をずんずん歩いて行く三人の男子に呼びかけたが、スピードを緩めるどころか、ますます早くしていく。

 知絵はまた呼びかけた。

「ちょっと、あなた達、今どこを歩いているのかわかっているんでしょうね!」

すると、前の方から副班長の小椋哲弥おぐらてつやの声が帰ってきた。

「分かってるよ! 一度入り込んだらもう出られない、魔の青木が原樹海の遊歩道だろ! 」

「ちょっと、班長の命令が聞けないの! このハイキングは、みんなの団結力が強まるようにって計画したのに、これじゃ何にもならないじゃないの。元はといえば、わたしを選んだのはあなた達なのよ!」

「残念でした! そこにいる女子三人だって賛成だったじゃないか!」

「班員を忘れる班長がいるから、班がまとまらないんだよ!」

今坂則之いまさかのりゆき良原秀夫よしはらひでおが言い返す。

「もう、こんな班の班長なんていやになっちゃうわ」

 知絵がつぶやきながら後ろを振り返ると、半田昭美はんだあきみが顔を真っ赤にして立っているのが見えた。

「どうしたの」

知絵が尋ねると、昭美は耳元に口を近づけるようにしてささやいた。

「あたし、ちょっと……」

「トイレ!」

 いつの間に来たのだろう。三人の男子がすぐ後ろに立っていた。

「トイレなら、ここから100メートルくらい前に道しるべがあったわよ」

今まで黙って知絵の話を聞いていた染屋そめやゆかりが、不意に言った。

「へぇー。それじゃ随分道草を食ってたんじゃないか」

哲弥が皮肉っぽく言う。

「折角来たんだから少しくらいのんびりしていってもいいじゃない、ね」

 ゆかりはそばにいた菅原すがわら奈緖子なおこに同意を求めた。うなずく奈緖子。

「あら、半田さんは?」

知絵が辺りを見回す。ゆかりが答えた。

「わたし達が問答している間にトイレに行っちゃったみたいよ」

「班長にことわりもしないで行くなんて、無責任だと思うわ」

 知絵が半分あきれたように言ったその時。

「いいこと考えた!」

則之が急に手を叩いた。

「何だい何だい」

「早く教えろよ」

哲弥と秀夫がせき立てたので、則之は話し始めた。

「半田が帰ってくる前にあの森に隠れるんだ。そうすりゃ半田の奴、あわてるぜ」

「駄目!」

知絵が当たり前だと言わんばかりに叫んだ。

「ここがどこだか、あなたもう忘れたの」

「忘れちゃいないよ。ただちょっと隠れるだけさ。すぐ出てくるよ」

則之がそう言うと、哲弥が真っ先に声を上げた。

「さあみんな、行こうぜ!」

すると、則之も秀夫も後に続いて森の中に入ってしまった。

 残された女子三人は、あっけにとられて男子三人を見送っていたが、やがて知絵が森の方へと歩き出した。

「仕方がないわ。行って連れ戻してくるしかないようね」

「あ、待って!」

ゆかりと奈緖子もあわてて知絵の後を追い、森の中へと入っていった。

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