寝取られた恋人が戻ってきた、が……いまさらもう遅い 改訂版
青水
第1話
寝取られ。
そんな現象は、漫画や小説といった物語の中でしかないものだと思っていた、つい先日までは……。
◇
その日、バイトが予定よりも早く終わった俺は、特に行きたいところもないので、すぐに我が家に帰ってきた。
さてドアを開けようか、というときに――微かに声が聞こえた。声は隣の部屋じゃなくて、我が家の中からだ。
……声? どうして、声が……?
俺は首を傾げ、不思議に思った。我が家に誰かいるとしても、それは恋人くらいだ。恋人が一人で声を――いや、違うよな……。
一体、どういうことなんだ……?
気のせいだろうか、と思い、ドアに耳をべったりとはり付け、目を閉じて、集中して中の声を聞いてみると――。
あっ、という喘ぎに似た声。
……ん? あ、喘ぎ声?
気のせいか? ……いや、気のせいじゃない。
俺は眉根を寄せて考える。
はて、俺は出かける前に、アダルトなビデオを見ていただろうか? そして、大音量で流れたそれを放置して出かけただろうか?
否、そんなことはない。ありえない。絶対にない。
現実を見なさい。でも、直視できません。
だから、他の可能性を考えてみることにした。
たとえば、我が家にカップルの空き巣が忍び込み、金目のものが大してないことにがっかりして、でも何も取らずに何もせずに撤退するのは嫌だな、と他人の家のベッドで背徳的な性行為をする。
……ありえないな。絶対にありえない。馬鹿馬鹿しい。そんな想像はナンセンス。
俺は音を出さないように、異常なまでにゆっくりと静かに鍵を開けると、麻薬の売人を現行犯逮捕するために突入する警察官になったような気分で、ドアノブを音を立てないように捻り、大きく息を吸い込み覚悟を決め、思い切り勢いよくドアを開けた。
靴を脱いでいるような時間と余裕はない。色褪せたスニーカーを履いたまま、廊下を三歩で、三段跳びをするように跳び抜けて、廊下と部屋を隔てるドアを、やはり勢いよく開ける。そして一言――。
「何やってるんだ!?」
ナニをヤってるかなんて、一目瞭然だったが、形式的に確認するために、そんな声を上げた。ベッドでは夕方だというのに、男女が生まれたままでプロレスを行っていた。男は知らないやつで、女はもちろん知っている。俺の恋人のカオリだ。
突如として乱入してきた俺に驚愕を隠せないカオリは、
「タクマ!? え、どうしてっ!?」
と、大きく声を上げた。混乱もしているようだ。
「あれ? だって、確か今日のバイトは8時までじゃ――」
「店長が『店が空いてるから、今日はもう帰れ』って。それで帰ってきたら、これだよ。おいおい、どうなってやがるんだ、これは?」
「ち、違うの……」
カオリは小刻みに首を振って否定した。
今更、そんなこと言い訳じみたことを言おうとしても、何の意味もない――それどころか、マイナスに働くっていうのに。せめて、素直に認めろよ。
「違うって、何が?」
俺はキレそうになるのを必死に抑えて、平常を保とうと努めながら尋ねた。しかし、その声色はわずかに怒気を帯びていた。
「い、いや……違わないけど……」
だったら、言い訳しようとするな。
「浮気だよな。なあ、浮気だよな?」
「ごめん……」
俺から目を逸らして、俯きながらカオリは謝った。
そこで、チャラそうな間男くんがこちらを見て、青ざめた顔をした。彼は細マッチョからマッチョ要素を抜いたような体型で――つまり、ひょろっひょろで――、肩辺りまで伸びたぼさぼさの髪の毛は明るい茶色だった。中途半端にイケメンで、中途半端にプレイボーイそうだ。
「おい、お前」
俺が指を差して言うと、男は慌てて――そしてビビッて――ベッドから降りた。それから、曲芸のごときスピードで、服を着ていく。
「カオリを連れて、さっさと出てけ」
俺が冷徹に告げると、カオリがその場で土下座した。
「ごめん、タクマ。許して……」
ぽろりぽろり、と顔をあげたカオリの瞳から液体が流れ落ちる。
しかし、その涙に対して、俺は何も思わなかった。――いや、まったく何も思わないわけじゃなかったが、少なくともポジティブな感情を抱くことはできない。
その涙が心から反省してのものとは思えなかったからだ。
「もう二度とこんなことしないから」
「いや、これからは好きなだけ不貞して構わないさ」俺は言った。「ただ、俺はもうお前と付き合うことはできない」
「そ、そんなっ!」
カオリが悲鳴じみた抗議の声を上げる。
「たった一回の過ちで……」
「たった一回?」
俺はわざとらしくはっきり言って、わざとらしくこれ見よがしに、大きくため息をついてみせた。
やれやれ。たった一回って……。
それが、どれだけ大きな『過ち』か、カオリはまったくわかっていないようだ。罪の大きさをわかってない。今のこいつならば、殺人を犯しても、『たった一回の過ちで……』と言いそうだ。
「俺は一回たりとも浮気をしたことはないぞ」
それに、と続ける。
「お前、余罪がいくつかあるだろ」
「うっ……」
俺の指摘を受け、カオリの顔が引きつった。
わかりやすいな、こいつ。俺は思わず苦笑した。
正直、確証なんてまったくなくて、ただの当てずっぽうだったのだが、見事に当たっていたようだ。できれば、『余罪なんてまったくこれっぽっちもないっ!』と強く否定してほしかったのだがなあ……。
「このまま、付き合っていたところで、俺たちはどこにも行けやしないさ」
どこにも行けやしない――結婚というゴール(もしくは、新たなるスタート)にたどり着くことはない。
「それよりも、そっちの兄ちゃんとよろしく付き合えばいいじゃないか」
「う、ん……」
カオリは間男を一瞥した後、すぐに急いで服を着た。
二人の背中をぐいぐいと押して、俺は我が家から追い出した。俺の家は休憩数千円のラブホテルじゃあないんだぞっ!
カオリは――そして間男も――日本語とは思えないような複雑怪奇な言語を駆使して、言い訳のようないちゃもんのような、よくわからないことをぐちぐちと言っていた。当然、そんなものは無視する。
彼らの知能指数はどうなっているのか……? もしかしたら、浮気をすることで、知能指数がいくらか下がるのかもしれない。それか、知能指数が低いからこそ、こんなずさんな浮気をしていたのか……。頭が良ければ、もっと高度でバレにくい浮気をするだろう。
やがて、二人は宇宙人じみた意味不明な言語を発するのをやめて、手を繋いで仲良く(?)どこかへ去っていった。
「やれやれ……」
俺は首を振ると、生暖かい生々しいベッドを睨みつけた。汗とその他諸々でぐっしょりと汚れている。
うわあ……。これ、どうしたものかな……。こんなベッド、使いたくねえよ……。
はあ、と俺は大きくため息をついた。
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