第12話 メントレネ
ピュオチタンから約12時間。
メントレネまでの道中にある町、スタルストについた。
ここは既にメントレネの国境内に入ってはいるが、かなり端であって目的地である皇都ではない。
まだまだ3日ほど、その皇都まではかかるだろう。
道中で謎の部族らしき存在の襲撃に遭い、あわや命を落とすような状況だったが何とか切り抜けた。
現在は軽い休憩をいれているところである。
偶然同乗することになったノベルさんに適当に食い物を買ってきて貰い、それらを食べている。
言ってしまえば、この街は貿易路の途中にあるため、商人や旅人を対象とした長期保存が可能な移動用携帯食が多く売られているようだ。
それ以外も売られてはいるが、今手にとって食べているのは母国で言う餅のようなものだ。
というかこれは餅なのか?
あまりこっちの方の国では見ていないが…。
最東国から文化が流れてきたのかもしれない。
ノベルさんも握り飯を食べていたしな。
先程の戦闘によって負傷した両腕も全く完治したとは言えない。
流石に両方の骨を貫かれれば、ある程度治るまではまともに動かすことはままならない。
「もっと…強くならないといけないのか…」
暫く食っていなかった分をノベルさんに買ってきてもらったもので満たしたので、少し買い出しのため馬車から降りて動き出した。
スタルストに着いたときに倒れそうになったため、二人に心配されたが少し休憩して回復したから大丈夫という事にしておいた。
今は人通りが十分にある街中を一人で歩きながら、未だに痛む両腕を動かしてみる。
手の軽い開閉は出来るが、下手に動かすと応急処置をした部分の傷口が開きそうだ。
長袖でいることが功を奏した。
おかげで包帯を巻いていることが気付かれづらいため、変な注目を浴びなくて済む。パーカー様様だな。
まぁ、矢が刺さった部分は穴が開いてしまっているが…。
どっかで裁縫道具を買って直すか、買いなおすか…。
「すみません、待たせました?」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
スタルストである程度の買い物をして二人の待つ荷台に乗り込む。
すでに馬引きのおっさんとノベルさんは準備完了といった様子だった。
俺はあと数日分の食料と水分を買いだめしておいた。
飯を食えば回復も早まるだろう。
暫く食べていなかった分、食えるときに食っておかなくちゃな。
…というか、今回の仕事上で生じた金銭は全て、私的なものじゃない限り
「じゃあ行くぞ。お二人さん、忘れもんはないな?」
「あぁ、大丈夫だ」
「また、お願いします」
そうして目的地であるメントレネに向かって再度出発し始めた。
このスタルストという町は、端とはいえメントレネの国境内であるという。
そのためピュオチタンとはまた違った雰囲気を纏っている。
建物の多くはレンガとか石材を材料としたものが多い。
ピュオチタンにもレンガ造りはあるが、多くはない。
どちらかと言えば警邏部隊の詰め所だったり役所などの公的機関施設がレンガ造りであって、一般的な住居は木材と土を組み合わせたものだったりする。
少し郊外に出て農村とかの方まで行くと木材は枠組みであって泥とか藁を素材にしたものが主流だったりする。
そう考えると、これから行くメントレネと言う国は、ピュオチタン以上に豊かな国の可能性があるな。
俺と真式が最東国からピュオチタンに向かう時にもメントレネの国土を通りはしたが、あの時はそれぞれの国にある特色を見ていられるような余裕なんてなかったからな。
正直に言って何も覚えちゃいない。
定住の地としてピュオチタンに根付いてから他国の土地に踏み入れたことはなかった。
今回の仕事は、本業の参考として使えるかもな。
スタルストを出てから丸2日は道中に何もない。
ただガラガラという車輪の音を聞きながら、台車の振動を感じ空を見上げている。
流石に座りっぱなしだと寝づらいから、横になって休憩している。
馬引きのおっさんは矢に骨が貫かれているにもかかわらず、万全ではないにしろ動かすことが出来ることに驚いた。
どうやら通常であれば、手の開閉に使う腱や神経を損傷することによってまともに動かすことは出来なくなるようだ。
しかも場合によっては、たとえ動かすことが出来ても激痛が走ってどのみち動かすのが難しくなるとも言っていた。
…その時、俺は運が良かったとだけ言ったが、昔からこの体は異常なほど丈夫だったと改めて思い返した。
まるでこの一つの体に二人分の再生力と生命力が含まれているように。
それによって捨て身を前提とした戦闘スタイルが確立された。
痛みは感じるが、アドレナリンによるものか、元来の特性か、それを無視して動くことが出来てしまう。
俺には騎士のように剣を扱うことも、武闘家のように体術を学んだこともない。
全てが独学であって、がむしゃらな戦い方しかできないのだ。
この体質が無ければ、既に命を失っているか良くて四肢も視力も失って何とか現世との繋がりを保っているような有様だろう。
『
あの会ったこともない懐かしい女の声が頭に反芻する。
もし…あれが、ただの夢でもなくて意味のあることであるならば…
「役割って…なんなんだよ…」
ふと口から零れるその言葉。
その問いに返ってくる言葉はなく、俺の心とは真逆に空は燦々と晴れていた。
「そういえば、功次さんは最東国出身の人でしたか?」
「そうですけど…それが何か?」
太陽も落ちかけている頃、スタルストで買いだめておいた中から適当に取って口にしていると、ノベルさんがそんなことを聞いてきた。
「最近私の商会の方には、最東国から輸入されたコメが回ってきているんですよ。それのおかげでこの握り飯という携帯食を持ってこれているんですが…。提案なんですが、私の商会からコメを購入しませんか?」
「ほう…」
俺はその提案を聞いて少し固まった。
「その提案はありがたい。正直こっちに来てからというもの、主食となっているのはパン類であって、最東国の主食がコメだったことを思うと、どこか腹に持たないように思っていたところです」
パンとコメを比べた時、腹持ちが良いのはコメの方だ。
それにパンは俺が好きなおかずと合わせずらい。
ここでコメを入手する伝手が出来るの非常にありがたいところだし、真式も懐かしい食い物に喜び、ジュリにも新しい体験をさせてやれるだろう…だが、少し懸念点がある。
「しかし、ピュオチタンと最東国には非常に遠い。それ即ち、輸送費に多大な金銭が生じているのでは?そうなると、買うとしたときにかなりの値段になると思います」
そう…値段の問題だ。
確かにコメを食えるのは、ありがたいことだ。
だが、うちには馬鹿にならん金食い虫が住んでいる以上、食費のやりくりに関しては他よりも注意深くなる。
元より今回の仕事は、うちの家計を憂いて受けたものだ。
確かに報酬は大金ではあるが、少しの余裕が生まれると言うだけに過ぎない。
「値段ですか…そうですな。今この場だと詳細な値は決めかねますが、輸送費を抜きにした仕入れ値と同額でどうでしょうか。ざっと5kg150ソルで」
その提示された値段を聞いた俺は言葉を失った。
輸送費を込みにして750ソルほどになるだろうと思っていたからだ。
まさか輸送費を丸々削ってもらえるとは…。
だが、こんなうまい話があるはずはない。
ノベルさんは良い人だろうが、あくまで商人だ。
自分らの不利益になるようなことはそうそうしない。
何かがある。
「その条件の理由をお聞きしても?俺が考える中だと、その値段での利益が薄いと思うんですよ」
俺が聞いてみるとノベルさんは、少し口角を上げた。
やはり何か狙いがある。
「鋭いですね。確かにこの値段では私たちに直接的な利益は薄い。むしろ赤字と言ってもいいです。しかし、功次さんのような充分に知名度・信用がある人が食べることによって、他国の食材でも安全で美味しいことが広まる。これによって生まれる利益は、ここでの赤字以上になると踏んでいます。言ってしまえば先行投資ですよ」
俺に宣伝役になってほしいという事か。
正直、俺にそこまでの影響力があるとは思えない。
だがノベルさんの商人の目がこの手に出るというのなら乗っかってみよう。
第一、これであれば俺に損はない。
「分かりました。その提案、乗りましょう」
「商談成立ですな」
互いの利益のために協力する。
相手の足元を見てくる商売人をたくさん見てきたからな。
こういう人が世の中に多くいてほしいものだ。
「おい、二人とも。見えてきたぞ」
「ん?」
おっさんから聞こえてきた声に反応して、前方の世界を見る。
そこにはピュオチタンの王都に広がっていたものを超える規模の城壁がそびえ立っていた。
「おぉ…すげーな、こりゃ」
思わず感嘆の声が出る。
見上げれば空以外の物が視界に入ることなんてあったんだな。
昔、最東国からピュオチタンに向かっているときにもこの国の地を踏んだが、かなり端っこの方だったからな。
中心にこんな巨大なもんがあるとはな…。
「何度か来たことはありますが、毎回驚かされますな」
ノベルさんも頷いてそう言っている。
流石に今回が初めてではないのか。
そうして徐々に近づいてくる巨大な城壁の迫力に気圧されながら、メントレネの皇都に足を踏み入れることとなった。
ここに今回の依頼であるイアラロブの支店があるんだな。
「んじゃ、助かったよおっさん」
「おうよ、またどこかで合えたら会おうな」
「ノベルさんも、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらもありがとうございます。こうして貴方とじっくりと話す機会もそうないことですからね」
それぞれに礼を言って、それぞれが自分の仕事のために進み始めた。
「さーてと…」
メントレネの皇都。
スタルストもそうだったが、建築物の殆どが石材からなる街だ。
木や土以上に、石材は商品価値としては高い。
そんなものを中心とする建造物が並んでいるのを見ると、この国はピュオチタンと比べても豊かな国なんだろう。
石材…レンガ造りといっても、色や模様も単調ではなく所々差違が見られる。
基本的な住居はかなりパターンかされているが、店だったり質屋などの役割を持つところは色によって区別できるようにしているようだ。
そして今いるのは皇都の大通り。流石に賑やかだ。
人が行き交い、話し、動き回っている。
この喧騒はピュオチタンの王都以上だ。
あそこもミョルフィアの大通り以上だったが、ここはそれらを上回る。
正直耳には重い負担だな。
知っている話し声はしっかり聞こえるが、他は雑音でしかない。
ここまで来る数日の間はほとんど静かだったことが余計にここの音量を際立たせているんだろうな。
さて、早めに仕事は終わらせて帰りたいところではある。
だが、ここの『イアラロブ』の場所を俺は知らない。
今思えば地図くらいあの
「はぁ~…気が利かないというかなんというか…。相変わらず自分勝手で他人に興味がない。…俺と似ているともいえる」
頭を軽く搔きながらのんびりと歩く。
「っ…」
右腕に少し痛みが走る。
まだ治りきってはない…か。
かなりの深手だったもんな。
2日も経てば充分に回復すると思ったが、完全ではなかった。
正直…俺は弱い。
いや、誰かを守りながらの戦い方は向いていない。
以前の王都移動中にあった山賊か刺客かの襲撃の時も、今回の部族らしき奴らも。
ただ自分の身を顧みない戦い方しかできないからこそ、敵も味方も見ながら戦えるほど余裕はないんだ。
それでも…今の俺には守るべき存在がいる。
ジュリが無事に大人になれるように強くならなくちゃいけないんだ。
痛みが走る腕に無理やり力を入れて、強く拳を握る。
それが今の俺がやるべきことだ。
仕事を終えて家に帰れば、次は統治者関係の厄介ごとが舞い込んでくるだろう。
その中でどれだけ忙しかろうとも、強くなるためには鍛えるしかない。
統治者となればそれなりの人脈も広がるだろう。
それをうまく活用して、鍛えてくれそうな人を探そう。
「ほんっと、つい最近までは時間に余裕があったんだけどなぁ」
空を一人見上げて嘆く。
空は少し淀んだ曇りだ。
きっと周囲を歩く人々は今の俺を見て不思議に感じるだろうな。
いきなり一人で空を見始めたらな。
ここしばらく目まぐるしいほどに事件が、出来事が、仕事が舞い込んでくる。
人生というのは大小異なる山や谷が待ち受けている。
今俺はそこに立っているんだろう。
止まらずに進まなければならない重要な地点。
俺はここで負けていられないな。
ジュリのためにも…。
「マスター、大マスターからの使者が来たようです」
「え?ちょっと待って。なんか早くない?」
「予定よりも3日程早いですね」
「はぁ…りょーかーい。着替えた方がいいかな?」
「どうやら相手は男性のようです。パジャマのままでは流石に…」
「はぁ~、めんどくさ。分かった。ちゃんと着替える。それとちょっとは片づけた方がいいかな?」
「この状況は使者が見てその様子を大マスターに伝えられるとまた何か言われるかもしれませんよ」
「うー。分かった。急いで片付ける」
「焦らなくても大丈夫だと思います。使者はここから少しズレたところに向かっているので」
「マージで、どこだよ…」
適当にウロウロ歩いてちゃ見つからんな。
『イアラロブ』本部じゃないとはいえ建物のデザインはそう変わらなだろうと思っていた。
それなら大通りを適当に歩いてれば見つかるとか思っていた。
だからオルスも地図を渡さなかったのではとも思っていた。
この感じ…違いそうだ。
ただ単に同じようなデザインであるけど、俺が見逃したか、かなり違う形式の建物なのか。
ミョルフィアの本部だと大通りにあるが、ここはもうちょっとは連れたところにあるのか。
…予想通りだが、オルスが気が利かないボケババァか。
「上手くいかんもんだなぁ」
やっぱり人に聞いてみるか。
あんまり知らん人に話しかけて問題を起こしたくないから避けていたが…。
手段は選んでらんないな。
街行く人よりか、適当な喫茶店とかで聞いてみるか。
国外の人たちはどんな気性をしてるか分かったもんじゃないから慎重に聞こう。
ピュオチタンとメントレネはそれなりの国交があるだけマシか。
これで敵国とかだったら難しい所だった。
という事で少し歩いたところで見つけた喫茶店らしき店に入ってみる。
店内は落ち着いた雰囲気で、ミョルフィアのカフェ・オブ・キングとか言う直球な名前の割にカフェらしくないところとは大違いだ。
人も別に多い訳じゃない。
パッと見でも4,5人だ。
静かなこの空間は先ほどの喧騒とうって変わって、心を落ち着かせてくれる。
適当に注文をして、聞いてみよう。
聞きやすくするためカウンター席に座る。
「紅茶、無糖一つ」
店員…いや、どちらかと言えばマスターか。
この感じだとバーに近いな。
その人に適当に飲みたいものを頼む。
先に金も出しておく。
8ソルか…安いな。
数分して紅茶が出てきた。
ゆっくりと口につける。
喉を通り全身にその熱が広がっていくのを感じながら味わっていた。
普通に旨いな。
「そうだ、一つ聞いてもいいか?」
「なんでしょう?」
カップを置いてマスターに声をかけてみる。
「ちょいとこれから『イアラロブ』に用があるんだけどさ、ここにはどこにあるんだ?」
「『イアラロブ』…ですか。旅の者で?」
「あー、いや、今回は仕事でな。ただここの『イアラロブ』の場所を知らなくてな」
「それでしたら、この店を出て右手の方を進んでください。そして左側にある黒レンガで出来ている建物の横にある脇道を進むと『イアラロブ』の看板があるはずです」
脇道にあるのか…。
しかもここを出て右って来た道を戻るわけか。
ミョルフィアの時と同じで大通りの目立つところにあると思っていた。
この国における『イアラロブ』はあまり大きな存在ではないという事なんだろう。
「ありがとう。茶も旨かったよ。御馳走さん」
礼を言って立ち上がる。
仕事は早めに終わらせるに限る。
「ありがとうございます。…そうだ」
「ん?」
マスターが何か思い出したかのように言った。
なので少し立ち止まる。
「お客さん、あなたはこの国の外から来たという事であってますかな?」
「あぁ」
「でしたら、夜にはお気を付けください」
「夜?治安がかなり悪いのか?」
「それもあります。国外から来たという事はある程度の金銭を持っているでしょう。すると奴らに狙われるかもしれません」
「奴ら?…盗賊か何か出るのか?」
「いえ、奴隷商です」
「…なんだと?」
俺はその言葉に息が詰まる。
いかんせん知ってしまった界隈の話だ。
反応するなという方が無理である。
「この国は一部の建物に地下室が作られています。その中でも一部は奴隷商がオークションに用いる会場であるらしいです。そして基本的に貴族や有力商人、地主などの資産家が参加しているそうですが、時にはあまり事情を知らない旅行客を無理やり参加させてうまい具合に奴隷の値段を釣り上げて金銭を奪うという噂があります」
「…そうか。気を付けておくよ」
礼を言って、喫茶店を後にした。
その時、カウンターに10ソルのチップを置いておく。
マスターは少し驚いた顔をしたが気にしないことにする。
この情報は、紅茶いっぱい以上に重要なものだからこれくらい払っても充分だと俺が思ったからだ。
そして『イアラロブ』に向かうことにした。
…にしても、まさかここに来て『奴隷』という概念に再会するとはな。
ジュリが過去を思い出さないように、可能な限りこの負の文化の話題は出さないようにしていたが…。
話自体は聞いていた…。
このメントレネという国は、ピュオチタン以上に闇が残っていそうだ。
昼はこんなに賑やかだというのに、夜はそんな姿になるとはな。
いや、何処の国も夜間は姿を変える。
賑やかに見えて裏は恐ろしく荒れている。
と思いきや、昼は貧しく夜はお祭りの場所もある。
表面だけではなにも分からないのだ。
国も人も文化も世界もだ。
ま、これで余計に早く帰るべき理由が出来たな。
あまり異文化の場に長居するべきでない。
問題が起きてからじゃ遅いしな。
そんなこんな歩いてきて赤いレンガの建物を見つけた。
確かに横には脇道がある。
いや…目立たねぇな、これ。
初見でこんなところにあるって気付くか。
やっぱり、あんの
若干薄暗いし…夜にならなくてもここはちと危険じゃないか?
まぁ、行くしかないが…。
「もっと良い立地あっただろうに…」
微妙に埃臭いな。
ほんとにこんなところにあるのかよ…。
「………あった」
マジかよ、あるのか。
一瞬疑い始めたが、そんな時に『イアラロブ』と書かれた看板が立て掛けられてた。
建物もミョルフィアの本部と同じで木造だ。
サイズは全然違うが、パッと見半分くらいだ。
あっちの美術館みたいな規模とは違って、ちょいと大きい一軒家みたいなもんだな。
「…入るか」
扉を開けて、中に入る。
「ようこそ、『イアラロブ』へ。御用件は?」
受付に聞かれたので、用件を伝える。
「『イアラロブ』本部のギルドマスター、オルトライス・モデヴェロからの手紙をギルドマスターの妹君に渡すという依頼で来た。取り次いで貰いたい」
「分かりました。少々お待ちください」
言われたとおり、少し待つことにする。
適当に内装を見回ってみる。
全体的に本部と比べて暗いな。
窓はあるが大通りから少し離れているもんだから、他の建物の影がなって光が入ってこない。
だから、光源の量以上に暗く感じるんだろう。
内装も本部と異なり所属員の作品が大々的に飾られているわけでもない。
あれだ、率直に言えばここは…
「地味だな」
そのように独り言を口に出すと
「失礼ね。これがお姉ちゃんが送ってきた使者?人違いじゃないかしら?」
後ろから声をかけられてしまった。
振り返って声の主を視界に入れると、オルスと顔つきは似ているが体躯の小さい女性が腰に手を当て立っていた。
おそらく、この人がオルスの妹なんだろう。
奴が32歳だから20歳後半くらいかと思っていたが…幾つ離れているんだ?
そう思えるほどにそこで堂々と立っている女性は幼く見えた。
ジュリと俺の間位か?
「これは、失礼。本部マスターの使者としてきたNo.96、世垓功次です」
「No.96世垓功次…。あんたがお姉ちゃんのお気に入りね?」
お気に入りって…まぁ、そうらしいが。
「不躾な質問ですが、貴方が本部マスターの妹君ですか?」
「えぇ、そうよ。アロガンテ・モデヴェロよ。よろしく」
握手の形で手が差し出される。
相手がオルスであれば、無視するところだ。
だが今回は仕事の一貫だ。
なので握り返そうとする。
すると手が引っ込められる。
何故?
「ここで握り返すのは、お姉ちゃんのお気に入りじゃないわね」
…なんだと?
「お姉ちゃんの見る目も落ちぶれたものね。ちょっとは期待したけれど、結局人は上に媚びる者ばっかで…」
「黙って聞いてりゃ好き放題言いやがって」
「あら?」
「あくまで仕事の体をなしていたが、流石あのババァの妹だ。面奴くせぇ」
あまり好まれることではないが、相手方がそれを望みとあらばいつも通りで行こう。
するとアロガンテの口角が上がるのを見た。
「形式張った挨拶はいい。俺の仕事はアイツからの手紙をあんたに渡すことだ。ご機嫌取りじゃない」
「それでいいのよ」
そうして別室…ギルドマスター室につれてこられた。
茶などが出るはずもなく、アロガンテと対面するように座っている。
「本件だけ進めよう。これがアイツからの手紙だ」
俺はオルスから頼まれた封筒を手渡す。
「ご苦労様。ちょっと待ってて頂戴」
アロガンテは手紙を受け取ると、また立ち上がってどこかに行ってしまった。
ここはギルドマスター室。
すなわちアロガンテの私室ともいえる。
あのオルスの妹とは思えないほど綺麗に片付けられている。
そして姉妹揃って面倒そうな性格をしているような感じもするし、仮にも創作を生業の主とするギルドの長として俺とは比にならないほどの本が並べられている。
ここら辺は血なのだろう。
ただあのオルスと決定的に違うのは…
「…何見ているんですか?」
「あぁ、いや。別に何もない」
「そうですか」
このメイドだ。
見た目で言ったら20後半くらいか?
オルスは自室に入れることを許可するのは、決められた者のみ。
こういう仕えの者などは一切必要とせず全て自分の手でこなすようなやつだったが…この妹は違うようだ。
人を寄せ付けず信用しない姉と何か異なるこの妹。
トップギルドの長というのも色々あるようだな。
「あまり他人の部屋を見るものではないですよ」
「悪いな。俺のイメージとアロガンテの実際が思っていた以上に違っていてな」
「どんな予想をしていたんですか?」
「あのババァの妹だから、もっとずぼらだったり自分勝手だと思っていたが…そうでもなさそうなんだな」
「大マスター…オルトライス様をどのように思っているんですか?」
「呼んだくせに、部屋には入るや否や本を投げてくる理不尽ババァ」
「なんという、偏見でしょう。オルトライス様はこの世界に巣くう悪しき権力から庶民が抗える言論を広めた素晴らしき方。貴方の言うような暴力的な者ではありません」
「いや、偏見じゃないからな」
「このような反抗的な者がオルトライス様のお気に入りだとはとても考えられませんね」
「俺だって気に入られてるとは思っちゃいない。だがあの用心深いオルスが依頼した相手は俺だった。その俺がこのように言うには、一定の信用があると思わないか?」
「どうでしょうか。私たちは貴方を知りませんし、オルトライス様の前では尻尾を降っているだけとも考えられますが」
「オルスはあんたが思っている以上にろくでもない奴だ。変なフィルターをかければ、見える世界も見えなくなってくる」
「そうですか。ですが私は私の信じるオルトライス様を見ます」
「はぁ~…そうかい」
なんやかんや、この面倒くさいメイドと押し問答をしていると、アロガンテが戻ってきた。
「待たせたわね。この手紙をお姉ちゃんに渡して」
「承った。じゃあ、これでここの仕事は終わりだな」
手紙を受け取り立ち上がる。
喫茶店のマスターも言う通りこの国には、裏の顔がある。
あまり長居すれば、面倒ごとに巻き込まれるだろう。
「ちょっと待ちなさい」
「ん?なんだよ?」
アロガンテに後ろから服を掴まれる。
「少し、聞きたいこともあるのよ。時間、無いわけないじゃないでしょ?」
「…まぁ、時間はあるが」
「なら座りなさい」
なんだこいつ、すごい上から目線だな。
オルスの妹だから俺より歳は上だろうが…傲慢なところも血か。
言われた通り、もう一度座ることにした。
「さて、せっかく引き留めたんだ。何か意味のある話が出来るんだよな?それか何か聞きたいことでもあるんだろう?」
「悪い話はしない。まず、あなたはあと少しはこの国にいるのよね?」
「いや、最初はせっかくの遠出だからそのつもりでいたが、気が変わった」
「すぐにでも帰るつもりなの?」
「あぁ。ここで引き止められなければ、適当に知り合いへの土産を買って帰るつもりだった」
「皮肉ね。別にいいけど。で、どうしてそう考えたのかしら?」
「あんたの姉さんが不親切なことに地図を渡さなかったから適当な喫茶店に入ったんだ。そこで聞いたのはこの国の裏だ」
俺の言葉を聞いたアロガンテは一瞬考えた顔をして、すぐに何か気付いた顔に変わった。
「…あー。なるほどね」
「どこの国にも何かしら問題はある。ピュオチタンにだってあるだろう。だが…」
「気持ちは分かる。その子もそこで買い取った子だもの」
「何?」
先程まで俺と押し問答をしていたメイドは、アロガンテの横で静かに立ち続ける。
まさかこいつも…
「元奴隷の身か…」
「そう。もう10年も前になるかしら。お姉ちゃんと『イアラロブ』の規模を拡大するためにメントレネに来たとき、旅行客と勘違いされてある場所に招かれた」
「奴隷オークションの会場か」
「当時の時点でピュオチタンだけでなく他国にも影響を持っていたギルドのマスターだったお姉ちゃんは、そんじょそこらの貴族とは比にならないほどの資金を持っていた。あの時のオークションで売られた奴隷は12人。その全てをお姉ちゃんは買い取った。彼女もその時の一人」
「12っ…多いな。よくそれだけ買い取れたものだ」
「そのせいで暫くギルドの運営は火の車だったけどね。ちなみにここの受付もその時の子。本部の受付嬢とか各部門の役員は皆買い取った子達で構成されているのよ」
「マジかよ…」
あのババァ、そんなことがあったのか。
あの何度も見てきた受付嬢とか『イアラロブ』の中枢組は元奴隷。
俺もそこそこ『イアラロブ』の内情については知っているつもりだったが、まだまだ知らないことがあるんだな。
そしてこのメイドが、あのガサツババァであるオルスに対して相当の崇拝を感じたのはこれが理由か。
…ジュリは俺のことをそんな風に思ってないよな?
「仮にも所属している『イアラロブ』について理解が深まったのは良い時間になった。んで、引き留めた理由は昔話をするためだけじゃないだろう?」
「そうね。それだけが理由ではない。あなたが、お姉ちゃんのお気に入りという前提で聞きたいのだけど…」
「お気に入りかは知らんが、なんだ?」
「…お姉ちゃんは元気にしてる?」
なんだ、そんな普通の質問は。
俺はそう思うが、アロガンテの真剣な目からこいつにとっては真面目な質問なんだろう。
「あぁ、少なからず俺の目からすればアイツは元気だ。人の顔面目掛けて本を投げ飛ばしてくるくらいにはな」
「そう…なら、大丈夫。ありがとう」
何かホッとした表情に変わったアロガンテに礼を言われる。
何か礼を言われるようなことしたか?
「んじゃ、これで用も終わったろ?この国に長居していると何か起こるという、嫌な予感がするんだ。帰らせて貰うぞ」
もう一度立ち上がろうとすると
「待って」
また止められてしまった。
「なんだ、まだなんかあるのか?」
「渡す物があるの」
「?」
オルスへの手紙以外にも渡されるものがあるのか。
だったらさっきまとめて渡せばいいものを…。
アロガンテはまた違う部屋に行ってすぐに戻ってきた。
その手には布袋があった。
「これ、ここまでで使った路銀の『イアラロブ』からの支給分」
「あー、ここで一旦貰えるんだな」
「そりゃそうよ。ここまでで有り金全部使って帰れなくなられても困るもの。帰りで消費した分はお姉ちゃんに請求して頂戴。多分戻ったら改めてお姉ちゃんから伝えられると思うけど、支給されて余った分もあなたのものにしていいから」
マジか。
あのババァのことだから、「余った分は一門足らず返しな」くらい言うだろうと思ったが…。
「…分かった。ありがたく貰っておこう」
袋を受けとると想像以上に重かった。
…いくら入ってるんだ?
ちょっと袋を開けてみる。
その中には大量の現金と2枚の紙が入っていた。
…なんだこれ?
1枚はここから近くの宿で使えるチケットだ。
食事つきの一人部屋で最大五泊まで…。
ここは国の中枢都市だ。
そんなところの宿ともなればかなりの額がするはずだが、それが五泊分も予約を取っているともなると、想像したくない金額だ。
仮にも大規模ギルドだ。
それなりの福利厚生があるという事にしておこう。
そしてもう1枚は…
「小切手か…って、な!?」
そこには、130万ソルという今回の依頼報酬の20万ソル以上の額が書かれていた。
「確認が早すぎるわよ。プレゼントとかすぐ開けるタイプ?」
「いやいやいや、ちょっと待ってくれ。なんでこんなものが!?」
「隠し報酬よ。好きに使いなさい」
「いや、だからって」
「お姉ちゃんの手紙に書いてあったの。もう手に取ったのだから、返金は無し。詳細は帰ってからお姉ちゃんに聞いて頂戴」
問答無用という事か。
強引な…。
正直こんな大金持たされると何か狙いがあるんじゃないかと疑ってしまう。
ましてやあのオルスだ。
何かしらもっとやばい事案があるに違いない。
だが、アロガンテは何も言うつもりはないというわけだ。
「はぁ~…分かった。帰ったら奴を問い詰めるさ」
俺はようやくここから出るため、扉に手をかける。
「見送ってくわ」
アロガンテもついてきた。
別にいいのに…。
マスター室から出て廊下を歩いているとふと気になったことを聞くことにした。
「そういえば、『イアラロブ』は巨大ギルドなのに、メントレネだとこんな隅に追われたみたいな場所にあるんだ?正直大通りにあると思ってたが」
「ピュオチタン以上にこの国は複雑なの。割と言論統制が張られる部分も多いから本部ほどの影響力をメントレネで振るうのは骨が折れるわ」
「面倒な国だな」
「それに…この国は言ってしまえば闇が多い分、豊かでもある。良くも悪くも世界的に見れば経済規模はトップクラスだもの。芸術以上に重要なのは金というのがこの国の国民性なのよ」
「よく、そんな国に進出しようと思ったな」
「まぁ、どちらかというと情報取集のための拠点という意味合いが強いわね。ギルド全体で見ればここは赤字経営ね」
「オルスにとって情報は金よりも重要…か」
「それが、私のお姉ちゃんよ。どんな情報も使いようによっては、国家転覆すらできるんだから」
「いやー、恐ろしいこった」
そんなこんな話をしていると、受付までついた。
「それじゃあ、その手紙をよろしく」
「任せろ」
挨拶もほどほどに俺は『イアラロブ』を去った。
「さーてと、こっからどうしたものかな」
一人で適当に歩きながら考える。
時刻は夕飯前。
今から帰るのはキツいな。
一泊はすることになる。
せっかく貰ったこのチケットで少し休むか。
チケットに書かれた住所の方へと向かうことにした。
その道中にある小物店で、軽いお土産を買っていく。
真式にゃ何も買ってかんでいいか。
ジュリには…これでもいいか?
なんとなく青い花が描かれたグラスを手に取る。
この花…カキツバタか?
最東国で見たことがある。
こっちの方にも生えているのか?
見たことないが。
…この赤い財布、真式に買っていくか。
早く金返せという圧を込めて。
ていうか、奴が財布を持っているイメージないな。
もしかして持っていない?
「ほぉ~…こりゃ、スゲーな」
煌びやかな宿だ。
確かに離れたところから何か目立つ建物があるとは思っていたが、宿だったのか。
こんな貴族御用達みたいな宿は少々気が引けるが、よくよく考えればピュオチタン国王にお呼ばれしたときに泊まった宿もこんな感じだったか。
それよりも派手だが。
「はぁ~…つっかれた」
大きなベッドに一人で寝転がる。
仕事とはいえ、こんな離れたところで一人はそう経験したことはない。
かなりの緊張状態が続いていたみたいだ。
かなりの眠気が襲ってくる。
「………いや、ここで寝たら夜寝れなくなるかもな」
一度倒した体を起こし、ポケットをあさる。
「…こりゃ、なんだろうか」
先程受付で受け取った紙。
金色で派手な紙だ。
部屋番号とかそういったものではない。
領収書でもない。
紙には、『深夜劇招待券』と書かれている。
場所はここのB3会場。時刻は11:30から。
夜中に劇がやるのか…。
夜は眠くなるが、一目見ていくか?
そう考えた時に一つの疑念が浮かぶ。
…ちょっと待てよ。
『この国は一部の建物に地下室が作られています。その中でも一部は奴隷商がオークションに用いる会場であるらしいです。そして基本的に貴族や有力商人、地主などの資産家が参加しているそうですが、時にはあまり事情を知らない旅行客を無理やり参加させてうまい具合に奴隷の値段を釣り上げて金銭を奪うという噂があります』
喫茶店のマスターが言っていたことが脳裏をよぎる。
…まさか…な?
いや、オルスたちが選んだ宿だ。
そんなことあり得るだろうか?
あの情報=命といった考えなのに知らないはずがない。
知っていてこの宿を選んだ…そう考えられる。
そしてそのように考えればオルスは…奴隷制反対派である俺が自発的に動くだろうと読んでいる。
…もしかして、この130万ソルもそれが狙いか?
ただの中間報酬としてこんな大金を渡すはずがない。
相場は知らんが相当の金額になることは目に見えている。
だからこそ、この金額。
買って…いや、救ってこいと言う暗黙の指示。
「…ババァの手の平で転がされるのは癪に障るな」
だが、本当に奴隷オークションがあるとして…行くか?
これ以上、面倒事に巻き込まれたくないから早く帰ろうと思っていたんだ。
わざわざ、そんな面倒事に首突っ込む必要はない。
第一、オルスからの仕事はアロガンテに手紙を渡すということだけだ。
仮に奴隷オークションがあったとして、行けという命令はないからな。
ただでさえ色々あって、疲労続きなんだ。
大人しく寝て早朝に帰るべきだな。
………………………………………………………
「ようこそ、501室、世垓功次様ですね。こちらへどうぞ」
俺は…B3会場に来ていた。
もしかしたら本当に劇をするだけかもしれないしな。
それだったら、ただ普通の経験として終わらせることでいい。
劇なんか普通に見りゃ高いんだ。
その時は得をしたと思っておけばいい。
「5階室の列はこちらです。ご自由にお選び下さい」
案内された列にはまだ数人しか来ていなかった。
席としては40人分はあるだろう。
その数人は最前列から座っていた。
「おすすめの席とかありますか?」
「そうですね。おすすめは、やはり前列ですね。舞台のモノがよく見られますので」
「…ん、分かった。ありがとう」
予想通りではあったが、前の方がいいわけだ。
礼を言って、座りに行こうとすると…
「世垓功次様、金招待券なのでこちらを」
そして渡されたのは、9と書かれた番号札だった。
「これは?」
「これは個人識別番号です。あまり他者には見られないようにお願いします」
「…?あぁ、分かりました?」
その言葉にどこか引っかかるものを感じながら、頷いた。
前の方が良いということで、前から3列目に座る。
1・2列目は座られているからな。
その1・2列に座っている人は、明らかに金持ちなんだろうといった雰囲気を出していた。
貴金属を纏った女、装飾の多い服を着た小太りの男。
青い礼服っぽいものを着た子供など。
パッと見で分かりやすい。
なんで金持ちはこういうアピールをしたがるんだろうか…。
自己顕示欲か?
さて…始まるまであと5分ほどある。
この間に、少し考えをまとめていよう。
で…もしもがあれば、この用意された130万ソルを使おう。
正直相場が分からんが、意図的に用意されたなら、これで足りるということなんだろう。
土壇場で動けなくならないように、心の準備くらいはしとくか。
劇が開始される5分の間で、かなりの人がぞろぞろと来た。
想像以上に多いな。
劇の舞台上が8m程だとしたら観客席側は横20mほど。
その規模が埋まる程とは…。
そして皆が皆金持ち臭を出している。
むしろいつも通りの地味な黒パーカーでいる俺が浮きまくっている。
先に座っていた俺の側を通る奴らが変な視線を送ったり、数人は舌打ちすらしてきたな。
…ガラが悪いこった。
カネを持つと心が貧しくなるんかな?
劇はつつがなく進んでいった。
よくある英雄譚だ。無難に面白い。
劇の最中も周囲に目を向け、何か怪しい点があるか確認していたが怪しいところがなかった。
…やはり、杞憂か?
いや、最後まで警戒は解かない方がいい。
この劇が終わってから、始まるかもしれないからな。
そのように考えながら、劇を楽しんでいると1時間30分経過し、劇は終了した。
…本当にこれで終わりか?
そのように気を取られていると、先程案内してくれた人が舞台に立った。
まるで司会者だな。
「これより第二劇に入ります。金色の招待券をお持ちの方はこのままお残りください。赤色の招待券をお持ちの方は部屋へお戻りください」
案内がされると、半分程度の人が立ち上がり去っていく。
その手には赤色の招待券が持たれていた。
そして去っていく人の様子を見ていると、総じて残った人と比べれば金持ち感が薄かった。
確かに庶民からすれば、豊かそうに見える。
だが身分を予測すると、経営者や規模の小さな地主といったように、貴族や大商人といった変に煌びやかな存在ではない。
残されたのは、この列の最前にいるような人達だ。
…というか、前列にいる人はほとんど残っているな。
偶然か必然か、怪しいところだな。
最終的に残ったのは全体の3分の1程。
さて…ここから、どうなる?
「皆さん招待券を掲げてください。最終確認です」
すると周りは招待券を頭より上に掲げ、相手に見えるようにした。
俺も合わせて招待券を掲げる。
「………確認しました。では、これより第二劇を開始します」
すると、舞台袖から1人の女性が現れる。
「…っ」
その女性は、あの時…ジュリと初めて会った際に着ていたボロ布と同じような格好をしていた。
身体のラインがほぼほぼ分かる、服としては成り立っていない。
そして、その目は最初のジュリと同じだ。
絶望によって光を失っている。
前を見ているが、その視線は恐怖を把握するためと取れる。
…こいつは…杞憂じゃない!
「昨今、警備の目が厳しくなり我々が品を調達することも困難を極めております。しかしその状況下でも、今回このような上物を仕入れました」
これは、奴隷オークションだ…。
やはり、あったのか。
あのババァが知らないはずがない。
俺にあの女性を救え、そういうことだな?
静かに両手の拳を強く握る。
覚悟を決めろ。
ここは、そういう世界だ。
「初物ではありませんが、肉付きは良し。状態の面から、まずは15万ソルから」
『18万』
『25万』
大金が恐ろしい速度で積み上がっていく。
俺の手持ちは、『イアラロブ』からの130万と自費の7300ソル。
これで張り合えるのか?
いや、やるしかない。やらねばならない。
「30万」
とりあえず様子見だ。
『36万』
『44万』
『49万』
「50万」
『59万』
クッソ…どんな吊り上げ方してんだ。
このままじゃ、あっという間に所持金上限まで来るぞ。
『70万』
『77万』
「80万」
『90万』
『94万』
『100万』
ほんっと、この人の命をどうとも思っていないようなゴミ共め。
金持ちだから倫理が死ぬのか、倫理が死んでいるから金持ちなのか。
「110万」
『112万』
『113万』
『115万』
…ん?
俺が110万まで吊り上げると周囲の上げ幅が穏やかになった。
まさかそろそろ限界か?
しかし、奴らの表情には変わりがない。
あくまで、同様を見せる気はなしか。
『120万』
「123万」
俺が上げると、一度声が止まった。
お…?
「123万、123万が出ました。まだ出ますか?」
『『『『…』』』』
よっし。他はだんまりだ。
ここで終わってくれれば…
『125万』
まだ上げてくるか。
声の方を見ると、その主は、パッと見で分かるアカン奴だ。
あの、俺が来る前からいた装飾の多い服を着た小太りの男だ。
なんで貴族とかって、ヤバイ奴は太ったり、目付きが悪くなりがちなんだ。
人の本質は人相に出るが、いくらなんでも出すぎだ。
見た目のみで判断することはあまり褒められた訳じゃないが、あれに彼女が渡ってはならない。
そう感じる。
「125万、125万が出ました。まだ出ますか」
「127万」
『…チッ』
奴、舌打ちしたな。
そろそろ限界か?
『…128万』
ちょっと上げてきたな。
俺はここで決めるしかない。
頼むぞ、オルス!
「130万」
これで俺は限界に近い。
後は、はした金しか…。
「130万、130万が出ました。まだ出ますか?」
『…』
あいつはだんまり…ということは…
「これ以上出ないようですので、130万、130万で打ち止めとさせていただきます」
「ふぅ…」
何とかなったな。
一時はどうなるかと思ったが、これが
だからこの金額が用意された、そう考えられる。
「では、9番の方、こちらへ」
舞台の方へ向かう。
なんか周囲の目が鋭いが、気にせず進む。
このまま何事もなく進んでくれ。
「では」
「あぁ」
俺は貰った小切手を渡す。
何かじっくりと確認したかと思えば、頷き奴隷の背を押した。
それと同時に女性がこちらへ来る。
遠目ではわからなかったが、俺より背がデカイ…。
てか、こんな体の人に服とは言えないような布を着させるなよ。
…はぁ~。
「これ着な」
あまり他人に見させないように、パーカーを着させる。
まぁ、自分から動けないのは分かっている。
軽くフードを頭にかぶせて、羽織るようにする。
「んじゃ」
いち早く、この場を立ち去ることにする。
こんな腐った場所に長居したくはない。
彼女の手を握り、足を前に出そうとしたときに何か声が上がった。
「待て!」
「ん?」
それは、最後まで俺と張り合っていた小太りの貴族だった。
「そんな小汚いガキが、そのような大金を持っているわけなかろう!」
立ち上がって指を指しこちらを睨む。
「もう一度確認したまえ!偽造に違いない!」
言われた通り司会者は、もう一度小切手を確認する。
「………おや、どうやら?偽物のようですな」
「…は?」
いや、え、は?
俺はその言葉に動揺した。
あれが、偽物だと?
そんな馬鹿な。
いくらなんでも笑えない冗談だぞ。
待てよ。これは…
「ちょいと待ってくれ。そんな訳がない。冗談はよせ」
「お言葉ですが、このような事をされては私どもも商売になりません。それを、こちらへお返し頂きたい」
「…だったら、その小切手も返してもらうぞ」
「それは出来ません。一目で私が気付かなったものです。紹介で共有し、このような事例の防止に利用させていただくので」
貴族らの方に目を向けると、皆軽く口角が上がっている。
そして司会者は口は変わらんが目が笑っている。
やはり…これは…嵌められたぞ…。
かくなる上は…
「逃げるぞ!」
彼女を抱え走り出す。
ここは地下3階。
とりあえず外に出さえすればいい。
ジュリほどじゃないが軽い、このくらいなら速度を落とさずに走り抜けられる。
「捕まえろ!」
………………………………………………………
これは…マズいわね
功次の精神に負担がかかりすぎている
私が出ないと…
で、出れない!?
どうして…!?
このままじゃ、功次が…!
………………………………………………………
「邪魔だぁっ!」
立ちふさがる大男たちを蹴り飛ばす。
こんな奴ら一体どこに隠れていやがったんだ。
走りの速度と体重をかけているにもかかわらず、重い。
ここまで来たんだ。この人は救い出す。
「くっそ、離せ!」
目の前の奴らに手こずると、背後から男に押され地面に抑えられる。
「まずっ」
女性が持っていかれる。
「ふざけるな!その人を離せ!」
これだけ体重をかけられたら動けない。
このままじゃ…助けられない。
「お前ら、それでも人間か!」
俺は叫ぶ。この下衆共に。
だが、俺の目の前には司会者や他の客が来る。
「人間さ。今日の商品は実にいい。ここ数年見た物の中では特に」
「誰がお前たちを人間と認めるんだ!人間を人間として見られないお前らは人間じゃない!」
「何を言ってる?物は物だろう?」
「人は物じゃない!彼女は人間だ!何故このような事をするんだ!」
「良き物は、我々のような選ばれたものが手にするべきだ。貴様のようなゴミ漁りに励むガキが持つべきではないんだよ。美しき物が、貴様のような劣等遺伝子に渡ることを防いでいるだけだ。何がおかしい?」
「いったいどこの誰が、人の自由を奪うことが許されるんだ!お前達のような奴隷を良しとする奴らは決して許さん!」
「我らのような優れた人間が、劣った物の相手をしてやってるんだ。これほどない善行だろう?」
どれだけ言っても、こいつらは狂っている。
…いや、分かっている。
こいつらは、あのデルタルトと同じ人種だ。
何を言おうとも、自分が正しいと信じてやまない。
どれだけ否定しようとも、こちらを否定する。
この問答に意味はない。
「あぁ、興が削がれた。これ以上この素晴らしき空気が汚れては困る」
「おい、待て!」
奴らが背を向け、彼女の方へ向かい始める。
全力で拘束から逃れようと暴れようとするが、体が動かない。
「っ!?な、なにを!?」
何か首に刺される。
そしてすぐに体から力が抜けていく。
意識が…
「な…に…を…」
「なーに、ただの致死毒だ」
「く…そ…」
心臓の…鼓動が…と…まる…。
また…あの時…みたいに助けられない。
ジュリがさらわれた時。
また…あの時…みたいに守れない。
王都移動中の襲撃時。
自分を守れても、人を守れなければ意味はない。
助ける。守る。
せめて…せめて…俺の手が届く場所だけでも…。
そのためには、敵を…殺す!
………………………………………………………
止まって!功次!
………………………………………………………
「シャア嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼っ!!!」
会場には獣の咆哮が響いた。
「なんだ!?」
客は皆驚愕した。
ゴミを取り押さえていたはずの、鍛えぬかれた会場警備員5人が血塗られ倒れていた。
悲鳴ひとつ上げることなく。
その理由は、そこに立つ獣が持っていた。
5つの首が切断され、ぶら下がっている。
次の標的は、お前達だというように首が投げ捨てられる。
その恐怖に怯え、皆硬直する。
獣は怒りに満ちた表情で客を睨む。
瞬きも呼吸も許さぬ圧。
客の女は後ずさる。
その瞬間、獣は女に飛びかかり喉元を噛み千切る。
黄色のドレスを真紅が染める。
声すら出せず女は息絶える。
5mはあっただろう距離が一瞬にして詰められた事実に、より人間らの恐怖を増大させた。
次の標的は腰を抜かし動けぬ子供であった。
距離を詰め鳩尾へ腕を刺す。
まだ若い胴体を貫く腕は、赤黒く塗られた。
その様子を見ていた司会者は決死の覚悟でその隙に逃走を始めた。
それに気付いた獣は子供から腕を抜き、脚を掴み投げ飛ばす。
向かう先は逃げる司会者の背。
衝撃。子供とはいえ約35kgのモノは大きなダメージを与える。
思わず倒れる。
出口まで残り2mという距離だった。
獣は近づき、司会者の眼を覗く。
「た、助けてくれ…」
辛うじて懇願する。
獣は司会者の胸ポケットに手をいれる。
そこから取り出したのは、130万の小切手であった。
「わ、悪い、悪かった…。そ、それは返す、返すさ」
獣は小切手を自らのズボンのポケットへといれる。
「だから…命だk…」
「フンッ!」
獣は言葉を聞くことなくその頭部を踏み潰す。
何度も何度も踏み潰す。
もはや顔の原型は留めず肉塊へと成り果てるまで。
「グゥゥゥッ…」
獣はゆっくりと残りの客の方へと向く。
出口は獣が抑え、最早逃げられぬという状況。
「デャァァァッ!」
圧倒的な殺意を向けられた客らは完全に怖気ずく。
身体から出せる液体という液体を流し、その華美に施された衣装は汚れていく。
獣は先程以上の殺意を持ち、迫る。
小太りの貴族めがけて急接近する。
その上に飛び乗り、抵抗できないようにする。
「は、離れろ!貴様のようなゴミが触れて良い存在ではないぞ!」
必死に言葉で抵抗するが、獣は足を振り上げる。
その足は容赦なく貴族の股間を踏み潰す。
「アァァァァァッッ!?」
経験してこなかった激痛に貴族は悶え、絶叫を上げる。
続けてその蓄えを持つ腹に腕を突き刺し貫通させ、命を奪う。
そこからも獣の暴走は続いた。
腕を千切られる者。
脚を捥がれる者。
陰部を破壊される者。
喉を裂かれる者。
その死屍累々の中で獣と化した功次は咆哮する。
「シャア嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼っ!!!」
会場に残ったのは咆哮する功次と奴隷の二人であった。
………………………………………………………
止められなかった…
功次に精神的限界と肉体的限界が同時に降りかかった時に、人間としての尊厳・理性を捨てて生き残ることだけに振り切った状態
それはまさに『
功次…
この状態は
人間を捨てた功次に狙われれば、生物としての尊厳を失う
…あの、オルスは功次がここまで追い込まれることが分かっていたんじゃないの?
………………………………………………………
功次の目は、次に向かった。
その視線の先には、先程の奴隷がいた。
目は虚ろで真っ赤に染まった功次を見ていた。
「…どうした?ジュリちゃん」
「…いえ、何か…」
お風呂から出てきた真式さんが、私の顔を見てそう聞いてきた。
「何か、胸騒ぎがして…。功次さんに何かあったのかと…」
私の言葉を聞いた真式さんは、どこか思いつめた表情をした。
「…それ、俺も少し感じたんだ。何か嫌な予感がしてな」
「そうですか…。功次さん、無事だといいんですが…」
「まぁ、なんだ。なんやかんや、アイツも修羅場をくぐってきたんだ。どうにかするさ。…それに、最悪の場合羽夏が守ってくれるはずだ」
真式さんはそう言ってくれるが、それでも不安が拭えなかった。
…どうか功次さん、無事に帰ってきてください。
羽夏さん…お願いします。
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