デイブレイク・トラベラーズ 短編集
紙瀞もよぎ
1話:静かな森(覇皇暦1908年春節1期19日)
「ねーねー」
「言うな」
深く静謐な森の隙間を、男と少女がくぐり抜ける。不気味なほどの静けさと仄暗い木漏れ日に生み出された神聖な雰囲気が二人を覆っていた。
「ねーオッフレ、もしかしてだけど」
「言わないでくれ」
口を閉じるよう相方に泣きを入れると、耳を突くような静寂が訪れた。
元気よく跳ねる相棒の細い肩から目を逸らし、上を睨んでみる。太陽はおろか鳥の姿すら見つけられない。ただ上空で木漏れ日が揺れ動いているだけである。
ふと気づいた。葉が風に揺れ擦れる音が聞こえない。数十モーレルほど離れてはいるが、それでも自分たちの足音にかき消されているわけではないだろう。第一足元はふかふかの腐葉土だ。足音なんて聞こえやしない。
「ねー」
枝と葉で織られた天井に目を滑らせつつどうにかしてこの腐葉土の消音性を狩りに活かせないかと考えているとまたしても声をかけられた。前方やや下に視線を戻すと我が優秀な相方殿はこちらを向いて足を止めていた。
「なんだ?」
「いや、うん。ね?」
単語の間から『誤魔化そうとしても無駄だぞ』という圧を感じる。だいぶ前に捨ててしまった青カビチーズのことを思い出した。あれで正常な状態とは初見では見抜けなくて当然だろう。というか最初にあれを食べようとか言いだしたやつはよほど貧しかったかよほどバカだったかのどちらかに違いない。
「……言われなくちゃ分かんない?」
分かる。というか多分そっちよりも分かっている。
もはやこれまでか、と小さく呟き、男は居住まいを正した。今にも『柿は腹を下すのでいらぬ』とでも言いだしそうな貫禄である。
腕を組み、少女のもはや憐れみすら超えて諦観すら浮かぶ少女の瞳をしっかと見据え、男は堂々とのたまわった。
「すまない、道に迷った」
「どんな態度だろうがオッフレが言った『近道』とやらが存在しなかったのは事実なんだよバーーーカ!」
「非常に申し訳なく思っている」
「謝って済む問題ならとっくに私は神に懺悔してるね!!私の不信心さを呪えこのバーカ!」
─
───
─────
どれだけ激しい舌戦を繰り広げても遭難しているという現状は変わらないので、とりあえず歩きながら口論をすることになった。
「やっぱり僕たちは一蓮托生だからどっちが悪いとかそういうことを言っていてはいけないと思うんだ」
「そのセリフを明らかに悪い方が言ってるのはさすがにやばいと思う」
「だからあくまで僕は直感に導かれただけで――静かに」
何か聞こえた、とジェスチャーで示し、周囲の変化に目を光らせる。自分たちの他にも人間がいたのかそれとも凶暴な獣か。身構えていると背後から肩を叩かれた。
「フューシェ、今はちょっと待ってくれ……」
文句を言いながら振り返ると、同じく半身をこちらに向けた相方が不思議そうな目をしてこちらを見ていた。
いや、正確には先程叩かれた肩の辺りを凝視している。
不穏な空気が漂う中、恐る恐る視線を落とすと――
なんか、白い手が肩に張り付いてた。
「うおっ!?」
思わず声を上げながら慌てて振りほどくと、まるで中身の詰まった手袋のような奇妙な物体はケタケタと笑い声を響かせながら森に溶け込むように消えていった。
なんだ今の、と思った次の瞬間、二人は森の外にいた。正確には、立っている場所は変わらないのに、『森』だけが綺麗さっぱりなくなってしまったようだ。
「ああくそっ!」
ここまでヒントがあれば流石にわかる、というかなぜ今まで気づけなかったのか理解に苦しむ。この現象は――
「自ら存在を明かすまで決して気づかれることは無い……
少女がしみじみと呟く。
そう、『かくれんぼの精霊』の名を持つ小さな悪戯者の仕業だ。こいつらは見つからせない限り見つからないという特性を活かして、これまでにも何千何万では済まない数の人々を幻覚の森の中に引きずり込んではからかっている。
が、モンスターとは言っても積極的に討伐されているわけではない。逃げに徹されると発見が難しいのもあるが、この妖精は本質的に悪質という訳ではなく、認識阻害が原因で死んだ者は一人もいない……とされている。また、時には迷い込ませた人間の手助けをすることもあるとも。
つまりどういうことかというと、彼らは遊んでもらった対価はしっかり支払う。
「なあ相方」
「……なんだい相方」
「あそこに見えるのって今日僕たちが目指してた街だよな」
「……ソウダネ」
男は、精一杯の笑顔で言った。
「ちゃんと近道だったな!」
「うるせー元々存在しなかった物でしょうが心優しい迷いの森妖精さんと寛大な私に泣いて謝れ!!」
「残念だけど水分と塩分がもったいないので……」
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