カニバリズム・ステーキハウス

青水

カニバリズム・ステーキハウス

 森の中に一軒のログハウスが建っている。そこは、もともとある起業家の別荘だったらしいが、その人物が事業に失敗して多額の借金を抱え、それを返済するために売りに出されたらしい。購入したのは、別の起業家だと言われているが、詳細は不明である。


 その別荘は現在、別荘としてではなく、レストランとして使用されている。ステーキ専門店としてひそかに人気のあるその店は完全予約制で、予約は半年先まで埋まっているとか。一人につき一回しか食べられない至極のステーキ。食べた者は、そのあまりのおかしさに発狂してしまうとか、失踪してしまうとか、涙を垂れ流すとか……様々な噂が流れている。


 ある日、サトウは友人のスズキからそのステーキハウスの存在を聞いた。


「なあ、予約してみないか?」

「といっても、一日に客は一人だけなんだろ?」

「ああ」スズキは頷いた。「だから、俺の次の日にサトウ、お前が予約しろよ」


 サトウもスズキもステーキ好きである。学生時代から二人で数多のステーキを食べてきた。当たりもあれば外れもある。ステーキ好きとしては、一回しか食べられない至極のステーキがとても気になる。


 サトウは少し悩んだ。そのステーキハウスに赴くためには、かなりの時間がかかる。それに、値段が非常に高い。しかし、最近ボーナスが入ったので、懐は暖かい。普段から倹約しているので、たまには贅沢も悪くはない。


「よし、行ってみるか」


 ◇


 明日が予約した日にちだ。

 今日、ステーキハウスに行ったスズキは、既にステーキを食べ終えているはずだ。気になったので、感想を聞いてみることにした。メールを送ってみるが、返信はない。電話をかけてみるが、スズキは出なかった。


 嫌な予感がした。

 しかし、半年以上も待ったのだから、いまさらキャンセルするわけにはいかない。それに、前日のキャンセルはマナー違反である。

 きっと、あまりのおいしさに電話に出る余裕がないんだ。食後の深い余韻に浸っているのだろう――。


 そう考えて、サトウはベッドに入った。

 うまいステーキを食べるためには、それ相応の健康状態で臨まなければならない。睡眠不足や過度の空腹などは、味覚を鈍化させる。サトウのステーキ哲学である。一回しか食べられないステーキ。ならば、最高のコンディションで挑まなければならない。

 サトウは脳内で羊を数えながら、むりやり眠りについた。


 ◇


 当日。

 朝早くに起床したサトウは、軽い朝食をとると、電車を乗り継いでステーキハウスの最寄り駅へと向かった。格好は指定されなかったが、しわのないジャケットにワインレッドのネクタイをしめた。某駅に着くと、迎えの車に乗ってステーキハウスに行った。運転手は灰色の髪を綺麗にオールバックにした老紳士で、車は黒塗りの高級外車だった。


 車で三〇分ほどで、目的地に到着した。サトウは車を降りて、ステーキハウスの中に入った。内装は外観とは違って、とてもゴージャスだった。いつも彼が行くステーキハウスとはまったく異なる。


「ようこそ、サトウ様」スーツを着た男が言った。

「どうも」

「では早速、調理を行いますので、少々お待ちください」


 案内された部屋で、一人椅子に座ってステーキが来るのを待った。給仕の男が氷水を運んできたので、サトウは話しかけてみた。


「昨日、私の友人がこちらに来たと思うんですが……」

「スズキ様ですね?」

「実は連絡が取れなくなりましてね。どこに行ったか知りませんか?」

「知っていますよ」

「スズキはどこに行ったんですか?」

「その前に――」


 給仕の視線がドアへと移動する。

 ドアが静かに開くと、コック帽をかぶった料理人がステーキの載ったワゴンを押して入ってきた。ステーキがじゅうじゅうと音を立てている。ステーキは思ったより量があった。正確には、一つ一つはさほど大きくないが、いくつもあった。形からして、様々な部位を少しずつ用意してくれたのだろう。おいしそうだ。

 ステーキを並べると、料理人が「熱々のうちにお食べください」と言った。


 サトウは早速、ステーキを食べた。ステーキは筋肉質で赤身が多かった。脂肪だらけのステーキは好まないので、赤身が多くて嬉しい。肉はほんの少し、酸味がした。隠し味として何かスパイスでも入れているのだろう。尋ねてみた。


「いえ、スパイスなどは入っておりません。素材の味を十分に引き出せるように、調理しただけです」


 食べているうちに、これは何の肉だろうか、と考えるようになった。牛肉ではない、豚肉でもない。鳥、鹿、鴨、羊、猪……いや、違う。明らかに、食べたことのない肉だ。普通ではなかなか手に入らないような珍しい動物なのだろうか?

 サトウが黙々と食べていると、料理人が話し始めた。


「最高のステーキとはなんなのか? 私は人生の中で最高のステーキを、最高の肉を模索し続けました。牛、豚、鳥、羊、鴨、猪、エトセトラエトセトラ……古今東西様々な肉を食し――」


 そこで言葉を切ると、料理人はくるくると指を回してから、自らをとんとんと指し示した。


「そして、まだ人間の肉を食していないことに気がつきました」


 その瞬間、サトウのステーキを切る手がぴたりと止まった。

 ごくり、と彼は生唾を飲み込む。それは悪寒から思わずとってしまった行動だ。手から握力が消えうせ、手に握ったナイフとフォークが皿の上に落ちて、甲高い音を響かせる。


「街を歩けば、人、人、人……動物よりたくさんの人が歩いているのです。嗚呼、こんな身近なところに、まだ食したことのないおいしそうな肉が、たくさんあるではないか。そう思った私は、試しにそのうちの一人を捕まえてばらして焼いて食べてみました」

「あっ、うっ……」


 サトウは今まで食べていたステーキを見つめる。


「おいしい。それが素直な感想でした」

「ま、まさか、いや、もしか――」

「しかし!」料理人はサトウを無視して話を続ける。「しかしです。まだ至極にはほど遠い。ただ人肉を食すのでは駄目なのです。それから私は、どうすれば最高の人肉を食べられるか、を模索しました。その結果、あるすばらしい結論にたどり着きました」

「それは?」


 と、わざとらしく尋ねたのは、サトウではなく給仕の男だった。


「『すばらしくおいしい人肉を食べて満足しきっている人間の人肉は、よりおいしい』。それが結論なのです」


 サトウは椅子から転げ落ちた。恐怖から力が抜けたのだと思ったが、そうではなかった。ステーキの中に薬を盛られていたのだ。


「なぜだかはわかりません。おいしいものを食べると、その人の肉は引き締まって上等になるのかもしれません。おいしい人肉を食べた人間が、今度は人肉として食べられる。そのループが、よりおいしい人肉を作り出す。実にすばらしいではありませんか!」


 サトウはだらしなく緩んだ口から、唾液を垂れ流す。流れた唾液は、赤いカーペットに零れる。意識が少しずつ遠のきながらも、彼は料理人と給仕を交互に睨みつけた。


「ああ、そういえば先ほど、スズキ様の行方について尋ねられましたよね?」給仕が悪魔のように微笑んだ。「ご友人のスズキ様なら、今頃あなたの胃の中で消化されていますよ」


 サトウは胃の中の肉を必死に吐き出そうとした。しかし、吐き出すことはできなかった。意識が遠のいていく。視界が少しずつ暗く、黒くなっていく。


「まあ、ほんの一部ですがね。人間の肉ってたくさんありますから、一人ではそのすべてを一度に食すことは難しいのですよ。ですから、残りは我々が大切にいただきます」

「我々のステーキが一人一回しか食べられない理由、わかりましたよね?」


 サトウの意識が消える寸前に、最後の言葉が――残酷な言葉が聞こえた。


「サトウ様のお肉は、一体どんな味がするのでしょう?」


 そして、意識が消えた――。

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