VOICE 1 "WILL"

 推理小説やなんかに出てくる『怪盗』というのは、全くの俗称だって知ってるか?

 正式には警察庁指定第何号事件、と言うらしい。全国に七つある警察管区のうち二つ以上の管区にまたがる事件で、社会的反響の大きな事件であり、組織的捜査が必要と認められた事件を指定する……とかなんとか、オレが調べた本には書いてあった。が、実際のそういうモノは殆どただの凶悪犯罪らしい——犯罪が『ただの』という言葉で括れないのは重々承知しちゃいるのだが。何所まで本当なんだか、何所まで嘘なんだか、よくは解らない。



 ……ホントのところオレは、そういうことに興味がなかった所為もあるのだが、つい最近まで知らなかった。そして実を言うとその存在すらも信じてはいなかった。

 しかし今は違う。運がいいのか悪いのか、本物に出会ってしまったからだ。そう、その存在を否定する事の出来ない、生きた怪盗達に。小洒落た名前も持たない名無しの怪盗であり、怪傑であり。

 資料を紐解けば、そいつらの番号は比較的最近のものである。なんと言っても活動を始めてホンの一年ちょいだというんだから当たり前なんではある——が、その被害総額は最も多いのだろう。表の記録に出ている物のみを計算していくだけでも、桁の数は十指に余るぐらいだ。裏の、表沙汰にはならなかった分も含めれば膨大な額になるだろう。警察が敢えて公開捜査しないものもあれば、被害者が黙りこくって闇に葬られることもある。それらを合わせて行けば、天文学的な額にすらなるだろう。星を買える額とも呼べる。十把一絡げの酷地もあれば誰の物でもないという南極まで。まったく驚きのあまり逆にスッと覚めそうな額。

 そしてその中心にあるそいつらを否定することは即ちオレ自身をも否定する事になるのだ。なってしまう。そうさせられてしまうようになった。

 なんと言っても、現在はオレも、怪盗なのだから。



「んじゃ、行きますかぁ!」

 間延びしたような幼い声につられて、ビルの屋上から三機のハングライダーが飛び出すのは、ハンダ付けされた屋上のドアが警備員とは思えない屈強な男共によって押し破られる寸前だった。オレ達のハングライダーはあっという間に高層ビル群の規則正しい谷間に消える。銃を撃つような音も数発聞こえたが、すぐに無くなってしまった。聞こえないほど遠ざかったって事だろう。

 ふうっと一安心して俺は指定場所の公園に塗られた夜光塗料のマルの字を目指す。ハングライダーは小柄なイルや長身のオレにもフィットしてて、着陸にも難はなかった。一応事前に研修はさせられたが冷や汗ものだな、こう毎週のように綱渡りさせられると。イルは小さな革のリュックサックから得物を取り出して確認し、よしっとバイザーを上げてオレとジルを見上げニヤリと笑う。

 そして、真夜中のミッションはいつも通りに終わりを告げるのだった。










「鳴砂! いい加減に起きなさい、今朝も倭柳しずるちゃん達を待たせるつもり!?」

「づぁっ!?」

 時計は既に七時四十五分を指している。オレが眠ってからまだ五時間しか経っていないのに、母親は声を張り上げていつも通りにオレをせかすことをやめてはくれない。時間が無情だと実感するのはこんな時だ。

「ちったぁ寝る時間が欲しいんだよオレだって!」

 急いで制服である学ランを着ながら、グチグチと何も知らない母親に毒づく。タダでさえオレの家は魚屋をやっていて朝は慌ただしく寝ていられないと言うのに、ソレに拍車をかけることに撒き込まれているとは……アンチオカルティストを標榜する『だけ』のオレでさえ不幸の星の実在を信じそうになってくる。そいつはきっとオレの守護星なのだ。



 オレは瀬尋鳴砂せひろ・なるさ、中学三年の十五才。時々高校生はおろか社会人に間違われることすらあるほど立派なガタイを活かし(身長が高いだけでもあるのか?)学校では応援団長として、忙しいながらも極々平凡な生活を送っていた。……が、それも今は遠い幸せな過去形の話でしかない、悲しいことに。

 現在のオレは時折(と言っても結構な頻度だと思う)降りかかって来る強烈な睡眠不足と格闘しながら、冷汗をかくような綱渡り生活をしている。

 『今日の天気は曇り、台風が近く湿気の多い一日となるでしょう……』

 天気予報を尻目に見ながら、トーストをかじり靴紐を結ぶ……器用だな、オレって。夏の風物詩台風がやってくるのなんかそれほど珍しくもない。湿気が多い一日ってのが嫌だ、じめじめと暑いのだけは許せない。カラッとした暑さの方がまだイイ。そう思いながら『いってきます』も言わずにバターをたっぷり塗ったパンを無理やり口の中に突っ込んでからガラガラと煩い玄関の引き戸をスライドさせた。



「ナルナル遅ーいぞぉ、滋兄しげにいはご立腹だぁ」



 玄関前の石畳の上には、オレよりも頭一つ分以上小さな後輩の衣琉きりゅうが佇み、特徴的な間延びした声でそう言い笑っていた。衣琉は何やら複雑な事情があるらしく、本名は物部衣琉もののべ・きりゅうなのだが、学校や公の記録では『水原倭柳みずはら・しずる』という名前を遣っている。その理由はどうも、元々は『部外者』であったオレに話せるものではないらしい。まァ、それはどうでもいいことだ、今は。

 その小脇では、いつものように低血圧丸出しにしながらオレの自転車に凭れて眠っている衣琉の兄、水原滋畄みずはら・しげとがいた。



「……これのどこがご立腹なんだよ? スイスイ寝てるじゃねーか」

「なんとなぁくご立腹っぽいよ? 眉間の皺とか」

「………」



 コメカミを押さえて頭痛をこらえる仕種をしながら溜息をついた。

 …呆れること、そして諦めること。それには慣れてしまった。コイツらとつるむようになってから、主に衣琉のマイペースに関して。



「いっそげ、いっそげ——ぃっ!」

「あーうるせっ、荷物が重いんだよ!」



 オレは衣琉にそう怒鳴るが、神経はひたすら自転車のペダルをこぐ足と舵を取るハンドルに集中している。その肩には今は珍しくなってしまったオレのおさがりのおぶ紐がかかり、荷台で熟睡している滋畄を引っ掻けていた。鞄も前カゴに二人分だ、コレで重くないハズがない。滋畄は細身なので重くはないのだがタッパがそれなりにあるのでグラグラ揺れる。ちなみに衣琉はオレより少々後方で、しばらく前に仕入れたという電動キックボードを走らせていた。その前にはスケボーで通学していたのだからいい度胸だ、もちろんどちらも学校で認可はされていない。だがお咎めもない。

 時折話に出て来る『スポンサー』とやらの息が学校施設にまで轟いているのかは分からないが、学校は一種の密閉空間だ。一種の密室。誰の声が届けばそんなところにまで入り込むのか、俺にはさっぱりわからない。大体校舎は点在しているが、俺達の通う学校は小中高大一貫型だ。よりでかい声じゃなきゃ搔き消されるだけだろう。シュプレヒコールは多いのだ、それだけ巨大な空間ともなると。

 俺だって部費のキープに生徒会会議に出る時は声を張り上げる。それでも部活の数と予算は釣り合わないことが多いが、意外としっくり収まるのだから不思議だ。

 ま、そこは『生徒会長』の手腕だろう。と、俺はまだむにゃむにゃ後ろで言ってる滋畄の声を聴く。まったく、寝汚い奴め。それでもミッションの時はパッチリなんだよな。夜型なのか? なら羨ましい。俺は朝型だから一度目が覚めると中々二度寝には至らず、学校もきちんと行ってしまえるのだ。実家の魚屋生活で身についてしまった習性が悲しい。



「滋畄もそっちにのらねーのかよ!?」

 カーブを曲がるために体重移動をしながらそうぼやく。ハイスピードと超重量でのカーブは、毎日のコトながら生きた心地がしない。いつか摩擦でタイヤがパンクしそうだと冷や冷やする。だがそれは今日ではなかったらしい、ふぅっと息を吐くと、あははははーと言う衣琉の声が後ろから聞こえる。笑っていない笑い声。スケボー時代一度ここで車と接触事故を起こしかけている衣琉にとっても、ここは鬼門だ。

「無茶ゆわないでよぉ、『生徒会長』のお抱え運転手なんだから光栄に思いなってェ!」

 衣琉もカーブの余韻で車道に飛び出し(……一瞬宙を舞ったぞ、今)そう反論。

「へっ、そりゃウレシかねーなっ!」



 ラストスパートと学校のチャイムの音、オレはチェーンをぶち切る勢いで足を動かす。ギア全開でも間に合うかどうか、立ち漕ぎが出来たら余裕なのだろうが後ろの荷物の所為でそれも出来ず、いつもこの直線が勝負になっている気がする。躊躇いなく突っ込んで遅刻点検係をビビらすのも本音の所はちょっと楽しい。



「ジャストォ!」

 そう叫び、オレはブレーキを握り車体を横にしながら玄関の前でどうにか止まる。その中でも眠りっぱなしって辺り、滋畄はイイ根性だ。

「わたったっ、たぁあっ!?」

 しかし、オレより一瞬遅れてきた衣琉はバランスを崩す。そういえば天気予報では湿気が多い一日とか言っていたような気がする——確かになんとなく肌に張り付くような空気だ——まさかスリップしたのか、仮にも晴れてる最中に? そうこうと瞬間的に横切る思考の脇を掠めて、衣琉はキックボードごと玄関の横へ広がるグランドに転がる——


 直前、身体を反転させて綺麗に着地。スパッツを掃いてるからスカートの中身は完全防御。見た目は『運がよかった』というヤツだ。

 勿論キックボードは飛んでいったが、何かの折にチタン製だと聞いたから壊れてはいないだろう。どのぐらい固いのかは知らん。俺の基準は鉄より硬いか柔いかである。化学の教師によく泣かれる、いわゆる脳筋なんだろう、オレは。

「水原妹!? 大丈夫か!?」

 遅刻点検をやっていた滋畄のクラスメートの男子が、衣琉にそう声をかけた。まったく信じられないことに中学の三年間ずっと生徒会長なぞやっている滋畄が有名なので――衣琉はよく『水原妹』と呼ばれる。

「あはは、ドジっちゃった…。ケガはないし、平気です!」

 ……衣琉のドジな『フリ』を見抜くまで、かかった期間は一ヶ月。……同じくらいの技術を身につけるまではその倍を要した。まぁ、それも付け焼刃だったが。



「じゃ、放課後に」

 熟睡してお目覚め快適の羨ましいことこの上ない滋畄と別れたのは、三階の階段を上がってすぐの三年A組前の廊下だった。滋畄はA組、オレはE組であるから、階段を上がりきってからクラスまでの道のりは若干オレの方が長い。三学年総合玄関をくぐると同時に別になる衣琉は一年D組だ。学校は三階建て、一年二年と進級するたびに階層が増えて行く。正直面倒なシステムだが、学校なんて移動教室と昼飯ぐらいでしか運動することがないのだからこのぐらいで丁度良いのかもしれない。

(やれやれ……)

「瀬尋ギリギリだよ、担任まだ来てないから」

 後ろの戸から入ったオレに、クラスメートの一人がそう声を掛ける。適当な返事をして取り敢えずは鞄を傍らにかけ、席についた。



 夜は別人になる。

 オレと滋畄、そしてその妹である衣琉が『そう』だ。出会ってすぐの頃に本名が衣琉だと聞いたので、他人の眼がない限りオレはあいつのことを衣琉と呼んでいる。あだ名で呼ぶのは『ある特別な場合』だけと決めているし、元々他人の眼を忍ぶところで会う事が多いので、うっかり公衆の面前で衣琉と呼ぶ事もない。衣琉の『複雑な事情』に関しては、滋畄も衣琉も貝より頑なに口を閉ざすので、オレは未だに判らないが——どう考えても尋常な事ではないな。



 なんて言ったって、オレ達が現在泥棒なんかやっているのは、その『複雑な事情』の所為なんだから。



 何故なんだ? 近頃いつもオレは自問する。

 なんでオレは、毎日をこんなに忙しく過ごしているんだ!?

 その答えがいつも出て来ないのも、近頃は毎度お馴染みの結果である。衣琉と滋畄の二人が別の顔をつかい、『あること』をしていた。偶然それを目撃してしまったオレは、現在その片棒を担ぐハメに陥っている。

 そしてその『あること』と言うのが世界中の、一定の美術品をレプリカとすり替えるコトなのだ。

 簡単に言うとオレが現在こんな状況に陥っている経緯はこんなモンなのだろうが……解せない、目撃したというだけで仲間に引き摺りこまれるなんてのは。しかも半ば自分から正体明かしてきたくせに。



 私立十波ヶ丘となみがおか大学付属中学は珍しい学校だ。ひし形をしている校舎の形が珍しいかもしれないし、経営者が大企業の総帥だというのも珍しいのだろう。

 しかし一番珍しいのは、学校内で重要なポストであるハズの応援団と生徒会の長が、そろって犯罪者ということだ。

 …そう。

 オレ達はれっきとした、犯罪者だ。



「きりーっ」

 教室の扉が開き担任が入ってくると、日直が声をあげる。

「はよーございまーす」

「おー」

 やる気のない挨拶にやる気のない返事が返される。ま、朝はこんなモンだろう。あとの事は遅刻にならなかったオレには関係ない。オレは机に突っ伏し、三十分ほど中断された眠りの続きを堪能しようと頑張って目を閉じる――が、良い運動もしてしまったため、やはりそれは叶わなかった。頭がしゃっきりしてしまっている。

 衣琉はどうなんだろう。俺の家までえっちらおっちら滋畄を引きずって来るのも良い運動だろう。しかしいつの間に家を知られていたのかは謎である。この洒落にならない日常に入った次の日には、俺は『生徒会長のお抱え運転手』にされていたのだから。ちなみに奴らの家は知らない。途中で分かれ道があるからだ。やっぱり情報量は偏っている。主にあいつらの方に。いい加減慣れるしかないのだろう、それに関しては。或いは呆れ、諦める。それだ。

 悩むほど頭を使うと段々眠くなってくるが、俺の列が授業で解答に当てられてしまったので仕方なく立ち上がる。正直レ点とかまじ解らん。マジで。何でてふてふが蝶々なのかもわからん。ちっとも。



 やはり文系でも理数系でもない俺は、脳みそ筋肉体育会系なんだろう。困ったことはない程度の学力は保持しているから、テスト勉強さえ頑張れば良い程度だ。滋畄は理数系だが英語も出来る。代わりに国語はめためただが。衣琉はどっちつかずの点数をキープしているが、多分カムフラージュだろう。目立たない順位に徹している。親からすればもうちょっと頑張ってもらいたいところだろうが、本気で頑張ったら多分一位とかになるんじゃなかろーか。勝手に俺はそう思う。

 そう言えば今年の入学式で主席だったのは一年の誰くんだっけ。迷子の案内してたからよく見ていないのだ、式の前半は。応援団が舞台に立つのはその後の校長のありがた~~い長話の後なので。ゆっくりしてしまった。

 そして俺は『なんとなく』の勘で当てられた問題を解いては授業を渡り――



「あ、おーいナルナルぅーっ!」

「うをっ!?」

 放課後、オレは声をあげて怯む。ラリアートまがいに首へと突撃してきた衣琉が、その余韻で四分の一回転してからオレの首にぶらぶらとぶら下がっていた。身長差が頭一つ分以上もあるからこそ出来る芸当である。十波ヶ丘名物巨人と小人、と陰で言われているのを知っているのだろうか、こいつは。何でも知ってるからなあ。でも案外気付いてないのかもしれない。

「学校でソレナルナルはヤメロって、何回言わせんだよっ……!」

「ぐぇ、苦しい苦しい——っ!」

 衣琉を首から引き剥がして逆にその首に頭を回してヘッドロック。苦しい? 嘘つけ、苦しくしようとしてるけどしっかり拳入れてガードしてるじゃねーか。おどけやがって、間抜けなうめきをあげる演技力を見せ付けたいのか。

「仲がイイよねィ、二人共」

 クスクスと口元を押さえながら笑うのは衣琉のクラスメートの莫根華鏡あくね・かきょう。オレ達のしていることを暗黙する、衣琉の『ネットワーク』の一端末だ。衣琉の数少ない、屈託のない友人でもある。

「これからお仕事のコトなんでィしょ? 私は帰ってィるね、また明日、イル」

「またねー、キョウちゃん」

 莫根は独特のアクセントでそう言い、三学年総合玄関に向かっていった。イル、というのは衣琉が好む愛称だ。『倭柳』も『衣琉』も、読み方を変えれば『イル』になる。莫根のニックネームのキョウは華鏡の『鏡』のあたりをとっているらしい。……命名は衣琉らしいのだが、別に省略せんでも良いと思う。



「さて、と——ナル」

 パタパタと莫根に手を振っていたイルが、踵を軸にグルリと振り向き——ニヤリ、と歪んだ眼差しでオレを見上げた。その虹彩は猫のようにも見える。

「ジルのトコに行こうか」

 オレが衣琉を『イル』と呼ぶのは、仕事の時だけ。衣琉が滋畄のことを『ジル』と呼ぶのも、仕事の時だけ。

 仕事の時だけ偽りでありながら真実の名をつかい、コイツらは別人になる。


 オレ達は犯罪者だったが——

 イマイチ罪悪感を感じられないのは、悪戯を楽しむガキのような微笑みを見せるイルに、ゲーム感覚のようなものを植え付けられているからなのかもしれない。だとしたら大問題に大迷惑だな、と思う。これからカタギに戻れるのかは分からないが、そうなった時にうっかり犯罪者マインドが出て来てしまったら俺の社会的信用は真っ逆さまだ。国会議員の失言一つで一週間は騒げる国だぞ、ここは。うっかり変な場所で変なこと言ったら一発で終わりだ。いかんいかん、思いながらも俺はてってけ歩いて行くイルの後ろをついて行く。歩幅が違うので俺の方が前を歩いて行った方が良いのだが、そうすると特に速足でなくてもイルを置いてけぼりにしてしまうのだ。だから俺は、その小さな歩幅の後ろをのろのろ歩く。向かう先は多分ジルの教室じゃない。

 悩むことを諦めた俺は、イルの脚を見て歩く。そうすると猫背になって痛い。仕方なく背筋をただすと、イルの隣を歩くことになってしまう。イルはそれを気にしない。

 それはもうオレが悩むちっぽけな物事に関してはすでに全てが終了していて、次の段階に入っていると言う事なのかも知れなかった。



「やぁ、来たね二人共」

 ニッコリと人畜無害そうな笑顔を浮かべながら滋畄——ジルがそう言った。生徒会室前の廊下である。滋畄は生徒会長などというモノをやっているが、今はちょっと前にあった球技大会の後始末というもっぱら雑用だけをしていて、本来ならば用はないハズなのだ。しかし自分を他人に良く見せることに余念のないこの男は、些細な雑務を片付ける手伝いのためにマメに顔を出している。イルと良い、外面だけはいい兄妹だ、まったく。

「それじゃあ今日の会議といこうか……場所はどうする、ジルの教室? それとも僕が選ぶ?」

 イルの一人称は『僕』である。

「教室はマズイな。俺とナルだけなら誤魔化しも効くが、イルがいたんじゃどう見ても不自然だ」

「まあ、見た目がアウトだからな」

「なっ、アウトだとぉ!? ……フンだっ、それなら僕が検索するもん! ちょっと待っててね、ジルっ」

 オレには断わりを入れないのか、と頭の中で舌打ちをする。大体話を振ったのはジルだ、全てがオレの責任じゃないだろう。そんな事は意に介さず、イルはブレザーの上着ポケットに入れてあった携帯端末の電源を入れて、どこか良い場所を探しているようだった。最先端のテクノロジーを駆使したその電子手帳のよーなコンピューターは各国語辞典も搭載しているし、スケジュール表やメモの機能もある。ボイスレコーダーや電話・メール・アドレス帳機能は勿論とのこと、更には立体映像の投影も出来る。使いようによれば何でもできる、とはユーザーの声だ。伯父がそういう仕事をしているというのでチョロまかしたらしい。

「この時間帯だと、校内の図書館が一番人っ気ないみたい」

「じゃ、今日は図書館ということで。……で? ターゲットはなんなんだ、イル?」

 呼ばれてまたニヤリとしたイルは、オレたちに向けて唇の前で人差し指を立てる。『まだ秘密』……他人の目がある場所で話せることじゃ、ないからな。

 ただっぴろい中等部校舎の中央にある図書館への道のりで、イルは衛星で全世界通信可能の携帯端末をいじっていた。イルが繰る情報ネットワークの端末たちに何か指示をしているのだろうが、画面に貼り付けてある特殊シートの所為で内容は全く見えない。打ち込みをする指の動きも、幼い頃からプラモデル作りで鍛えられた黄金の指先を持つオレに言わせても早すぎて判読不可能……神速状態だ。



 『ネットワーク』というのも便宜上そう呼んでいるだけで、実際の名称は知らない。本当のことを言えばそれが一体何をしているネットワークなのかも俺にはよくは解らないのだが、とにかく色々の情報収集を名目に多数の人間がかなりの信頼関係によって結ばれているらしい。その大本がなんだったのかはわからないが、一介の中学生が容易く操れるものではない……のだろう、常識的には。構成員もイルのクラスメートの莫根がいるぐらいなんだから平均年齢はそう高くあるまい。なのに、その情報収集力は激しく高く信頼度も絶対だ。オレ達のターゲットの情報を持ってくるのも全てはイルのネットワークなので、はたしてその網の目はどこまで広がっているのか、規模も深度もようとして知れない。



 ……イルとその後ろのモノには謎が多すぎる。『スポンサー』と称してオレ達の計画を手伝う者もいるのではあるが、そいつ(あるいはそいつら)も謎なのだ。イル達はオレに対してどこかで一線引いている。オレもそれで構わないと思っている。深く潜ると潜水病を起こすのと同じように、危うい事は知らぬが仏だ。

 オレ自身は端末の一端でもないが、似たようなものだろう。問題は気軽に情報を貰えないということぐらいだ。テスト問題すら把握しているという裏のあるネットワーク、ってのも、正直関わるのは怖いが。

 否、もう関わっているのか? 仕事の得物の事を調べられるときなんかに。ああ怖い。オレ普通の男の子に戻りたい。今更だけどそう思わずにはいられない。そしたらまじめに勉強もしたし。部活動も半ばはしゃぎながら駆け抜けられただろう。でも人生の風見鶏はプイと横を向いた。オレにこの道を指示した。おっかなびっくりだったはずの道はいつの間にか整備され煌びやかなランウェイになっている。それを仕立てた奴らとこう歩いていると、まったく訳が分からない。

 二人にとってはそれが普通の道なのかもしれない。『スポンサー』が飾り立てた道を平気のへいさで歩き続ける。弱みは見せないし、振り向きもしない。時折俺だけ置いていかれているような気がしたが、追いかけるのに俺の履かされた靴のヒールは高すぎて上手く歩けない。足手まといにしかならない。



「なあジル、昨日の今日でまさか今夜決行なんじゃないだろうな?」

「さてね? それは首謀者のみの知ることだ」

 イル次第、かよ。勘弁してくれ、コイツはオレに恨みがあるとしか思えないほど意地が悪いんだから。

「次のターゲットは不破博物館の『ミッドナイトウォリア』」

「…宝石か何かか?」

「ちょっと違うかな、『石』じゃない…ああ、あった」

 調べ物に来たと見せかけるために取ったとしか考えつかなかった本の一ページを開き、イルは指差した。カラーページに収められた巨大な物体が目に入る。

「…なんっだコリャ」

 視界を覆う真っ赤な色に目を瞬きながら、オレは間抜けな声で訊ねた。どピンクだ、オレの眼には鮮やか過ぎて痛い。写真の下方には名前と思しき単語が幾つか英語で書いてある……が、オレはどうも外国語というヤツが苦手だ。理系も良くないが文系も涙が出る。国語はギリギリだが、この英語と言うものになると……Cо……こ……こら……?

「サンゴ、コーラルだよ」

 顔中に疑問符を浮かべて渋面をつくっているオレを察して、ジルが教えてくれた。クソ、日本の本ならば日本語で書け、と思ってから説明の文に眼をうつす。…オイ、全文英語かよ。中学に置く本かコレが。これも例の『スポンサー』が用意していたのか? イルを真ん中に挟んでオレとジルが本を覗き見る。オレは全く判らないが、ジルは単語を拾ってどうにか読んでいるらしい。イルに至っては凄まじい速度で眼球を動かしている。焦点が定まったと思うとすぐに離れ、高速で往復を繰り返し———まさか?

「お前読めるのかよイル?」

「うん、粗方はね……僕を誰だと思ってるのさ。同時翻訳してあげられなくて悪いけれど、これが今回のターゲットの写真だよ。こういう巨大で美しい——つまり高値のつく珊瑚樹は世界でも希少らしいから、有名なんだよね。ミッドナイトウォリアっていう名前は繁殖してるコケが夜間に発光して、まるで幽霊みたいに見えることから。元々は海の中にあったんだけれど大陸移動やら海面低下やらで地表に出て、ソコがじめじめした苔むす場所だったから、そうなっちゃったんだって。不破博物館はこれの持ち主が——インドの実業家なんだけれど——日本にいる間だけでもって頼み込んで貸してもらったらしくて、コレから一週間展示をし、ソレが終ったら持ち主と一緒に国に帰っちゃうの。その前にレプリカとすり替えるよ」

「巨大って…どのくらいだよ? 高さと重さと」

「高さは四〇インチくらい? 重さは約二二〇ポンドだって」

「…何メートルの何キロだよ」

 ヤード・ポンド法は知ってる。名前だけ。でもそれとも違う気がする。頑張れ俺の脳。本も読めず換算も出来ないとなったらただの筋肉ゴリラだ。そうなるわけには行かない。年上の矜持と言うものが――あってもなくても同じか、こいつの前では。諦める諦める。偉い偉い、オレ。

「一インチが二.五四センチで一ポンドが四三〇グラムぐらいだから、高さ一メートルの重さは百キロ弱って所じゃないか?」

 ジルの答えに唖然とする。ちょっとまて、一メートルの百キロだと? どうやって持ち出すつもりだそんなものを! 三人でえっちらおっちらか、そんな暇は絶対ないぞ!?

「あ、心配しなくても大丈夫、屋外に出すことさえ出来ればあとはいつものスポンサーがどうにかしてくれるっていうから。とにかく外に持ち出すことが出来れば万事オーケーなんだ」

 簡単に言ってくれるじゃねーか……。

 こういうコトを相談している時に、オレはふと気付かされる。何でオレはこんな事を日常的に言っているんだ? これは、犯罪の計画なんだぞ? 窃盗って言う立派な罪で――犯罪に立派も何もあったもんじゃないが――、少年法適用年齢のオレ達は発覚した場合少年院に送られる事が決定だって言うのに……

 ああ、ヤだな。

 段々コイツらに常識を慣らされていくような気がする。

 だんだんこっちから自分の足が離れていく。妙な場所をさまよって、手を引かれるままについて行って——その先は彼岸なのだろうか。オレの常識は通用しない異国なのだろうか?

 脱げないハイヒール。どこに行ってもおっかなびっくりで役に立たない。だけど何か掛け替えのない物ではいたい。どんなちっぽけでも手を掴んで引っ張ってくれることを望んでいる。それがもしもとーちゃんやかーちゃんと離れることになったとしても。

 そんなことどうでもイイと思いつつある自分が、一番重症だ……。

「ナル?」

「あ……? あ、ああ、なんだ?」

「何の考え事してるんだい? 今はこっちに集中してくれ」

 イルが約三〇センチ下から鋭い視線を投げつけてくる。『イル』の時には『衣琉』の間延びしたような声ではないというのが印象的だ。時々、全くの別人を相手にしているような錯覚を覚える。

「計画は僕に任せてくれ。決行は三日後だからくれぐれも体調管理を怠らないように、今日の用事は取り敢えずターゲットの確認だけだから…もうお開きだね」

 パタンと音をたてて分厚い本を閉じたイルがそう告げる。

 今回のミッションの始まりは———こんな調子だった。



 まさかこれから三日の間に事態が二転三転どんでん返しの連続になるなんて事は、夢にも思わない。オレも、滋畄も、もちろん衣琉も。



「はわぁっ、ごめんねナルナル待ったぁ?」

「遅い! ……滋畄はどうした?」

 一緒に帰るのもほぼ日課なので玄関先で衣琉と滋畄の二人を待っていたのだが、教室に忘れ物を取りに行ったきり中々出て来ない。オレは自転車のサドルの上で少々暇を弄ぶハメに陥っていた。ようやく出て来たと思ったら衣琉だけ——オイコラいつまで待たせる。

「それがさぁ、いきなり生徒会の後輩君につかまっちゃって…先に帰ってて良いってさ。どーしても会長の許可が要る書類だけって言ってたし、そんなに遅くはならないと思うけど」

「ったく……断われよ、今から帰るって時に」

「滋兄は僕達と違って何があっても外面を死守するヒトだからねぇ、しょうがないよぉ。それじゃ帰ろっか、ナルナルっ」

「その呼び方ヤメロって何度言わせるんだよお前は……」

 はぁ、と溜息をついて、オレは自転車から降りた。オレ達は互いの乗騎を手で押しながら家路につく。急ぐ道じゃないし、ちんたらと自転車をこぐのはオレの絶妙なバランス感覚を持ってしても難しいのだ。朝のように逆ならまだしも。

 まだ明るさを残す空の、気の早い一番星を仰ぎながら、オレは息を吐いた。この時期にあの服で仕事をすると思うとかなり憂鬱だ、身体にフィットする薄手のシリコンのような服で全身を包み(一番似ている物があるとしたらスキューバダイビングなんかをする時に着るウェットスーツ)、その上から防弾チョッキの全身版みたいなものを着用する。冬場は寒いし夏は暑苦しい……なんて言ったって今は夏盛り七月なんだ。きっと茹だるほど気持ち悪いぞ。衣替えは夏休み明けからと言う地獄の季節でもあるし。



「あっ、お月様発見!」



 衣琉は上空を指差す。きれいな円とは言い難いが、ぼんやりとした十六夜らしかった。

 いつかと同じ月が出てる。

 いつかと同じ、月が出て———…



「ねぇナルナル、知ってる? 月にはね、すごい魔力があるんだってさ」

「少女漫画か何かか?」



 小バカにし、オレは横目で衣琉を見ながらそう言った。衣琉は眼の大きな童顔を膨れっ面にしてオレを睨む。つん、その頬をつつくと、ぷひゅーっと息が出て行った。新手のおもちゃのようでつんつんしていくと、ぷひゃぷひゃ言いながら逃げられる。ちょっと可愛いな、なんて思いながら、オレも月を見上げた。

 あの日の月は真ん丸のレモンジュース色だった。卵焼きか目玉焼きのように錯覚したのを覚えている。まだ明るい空の中でうっすらと浮かんでいる今の月とは正反対だ。でもどっちも綺麗だな、なんてどうでも良いことを考える。やっと俺から逃げた衣琉が、はふーっと息を整えて、じろり俺を見上げて来る。プンスコしながらべちっと肘を叩かれた。背伸びすれば肩まで届くのだろうか。ちっちゃい奴だなあ。



「違うもんっ、お祖父ちゃまが教えてくれたの! 月っていうのは現代の科学力では周知のコトながら昼と夜の温度差が二百五十度もある地獄で、とても地球の生物が住むには適さない星でしょう? なのに、リンゴの皮ほどしかない薄っぺらな大気——地球をリンゴに例えると大気圏は皮程度なんだって——を通してみると、こんなにも茫洋とした輪郭になる。真実はリンゴの皮によって歪曲して網膜に伝わり、そしてヒトに夢を見せるの。……月の凄い力はさ? リンゴの皮を通してみるだけで、自らの印象を一八〇度変えてしまうことなんだよ」

「ほぉ……?」



 大気圏もコイツにかかればリンゴの皮か。そうなると確かに簡単に剥かれちまいそうに頼りないが…。



「何時だったかお前、リンゴがどうとか言ってたよな?」

「ああ、黄金聖書ミッションのとき? 言ったよ」



 黄金聖書ミッションとはオレが参加した最初の仕事で、二ヶ月ほど前に隣県の美術館に展示されていた『黄金聖書』という、名前の通り金 (金箔) で内容の書かれた聖書を盗んだ時のコトだ。あの聖書はかなりインパクトがあった、普通はただのハードカバーであるべき表紙部分が金で造られていたからな……眼がチカチカしてしようがなかった。

 そういえばオレは結局、盗んだものがどこに流れていくのかを知らない。時効になるまでどこかに保存でもしているんだろうと勝手に想像をつけてはいるが。



「……オレはあれ以来リンゴを食うのに躊躇うようになっちまったぞ」

「なんでぇ? お腹空いてたら食べるって言ったクセにぃ」



 片手を挙げて上空の月を掴もうとするようにする衣琉を見ずに、視点を月に合わせたまま……オレは言葉を切る。

 もしも、

 そのリンゴが知恵の実で、食ってしまったことから更に地獄に落とされてしまったら。

 オレはお前達と一緒の空間で生きることが出来なくなってしまうから。

 ……えらく複雑な気分だ。コイツらに出会う事さえなければこんな事に捲き込まれるコトもなかったはずだというのに、なんだかんだ言いながら結局オレはコイツらが気に入ってしまってるのだから。



「んー……でもさぁ、ナルナル?」

「あ?」

「結局僕達、行くところは同じだよ。だって僕達がやってる事にどんな大義があったとしても、所詮は犯罪だもの。僕達はきっと、地獄の底まで同じ運命を辿る」

「そりゃ、……複雑だ」

 居心地の良い奴らと一蓮托生なのだが、その先が地獄となるとな——。そう言えはせアダムの先妻であるリリスは地獄に落とされたんだっけ。理由は伊弉冉だよ、と言われて調べたことがあるが、ちょっと中学生には分かりづらい書き方だった。そうか、イヴは楽園追放で済んだのにリリスは地獄に落ちるのか。愛憎の恐ろしさなんて教えてくれなくて良かったんだぜ、神様。まあオレらは単純に悪いことしたからメってされるんだろうが。

「あ、大丈夫だよ、そんなに心配しなくても」

 月光が強くなったように、錯覚した。



「一番深い地獄に行くのは誰でもない僕だから」



 逆光の月光。俯き暗い影になった笑顔に見える、やりきれなさそうな嘆き。

「だってホラ、僕が首謀者だし、僕が一番長くやってるんだもの。滋兄もナルナルも後から無理矢理捲き込まれたって言えばきっと情状酌量にしてもらえるって、閻魔さんに。でも僕は……僕が始めたことだから……」

「お前……」

「おかしいよね。イイコトしてるはずなのに」

 嘆きの微笑は掻き消され、遠くを見るように眼を細めて空を仰ぐ。黒い瞳には月が歪んで映り込んでいた。同じく黒い髪には星が散ったような艶がある。チビッコの衣琉がその瞬間だけ——

 違って、見えた。

「なんでこんな事してんだ?」

 口をついて出た軽薄な質問。答えてもらえないことは知ってる、今までずっとそうだったから。核心に少しでも近いことを訊けば、何時だってコイツらは誤魔化す。だから、きっと今回も何か言って誤魔化すんだ。こんな大人っぽい顔をすぐに壊して、いつものように。いつものように、ヘラヘラした笑みを向けて言うんだ。

 『企業秘密なの』って。



遺言willなの」



 ……はじめて、答えが出た。

 イルの表情は大人びた貌を一寸も崩さなかった。



 遺言、という言葉を反芻する。

 それは誰かに頼まれたって事なのだろうか? しかもけして断わる事の許されない人間によって、強制のように。

 死に際の言葉として伝えられたものだとしたら——断われるはずが、ない。

 だとしたら誰の遺言だ?

 どうしてそれが『イイコトのハズ』の泥棒を強制する?

 …そこまで訊く事は、出来なかった。



「じゃあね、ナルナル。また明日」

 衣琉が笑って手を振った。

 ———しかし、

 次の朝に、衣琉は来なかった。

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