第百九話 葛屋あらため遠野商会となりました
「ご無沙汰申し上げます。葛屋でございます」
「昨日の今日で疲れがあるとは思うが、まず上方の状況を教えてほしい」
三戸南部の突然なくなったことは都にも届いており、足利に連なる斯波を攻めた天罰が下ったという話になり、幕府の権威回復を狙って盛んに宣伝されているという。
その他は相変わらず播磨や山陽道、四国周辺が旱害で米の取れ高が不安定であるという。
「ふぅむ。上方と言えど安定せぬものだな」
「父上、我が領も田畑が増え、人も増えてきております。いずれ遠野も水に困ることがあるやも知れませぬ。水の確保は今のうちから進めていくべきではないかと」
「それは良いが、なにか案でもあるのか?」
「明では水学なる学問があるそうです」
「水学?」
「治水や灌漑、水運を学ぶものだそうです。それを学べば水をよりうまく使うことができるようになるかも知れません」
先進国な明の技術と知識を積極的に取り入れねば。そしてそれを活かし、発展させることができるようになればより良いだろう。
「なればなんとか明の書物を手に入れなければな」
「葛屋、できるか?」
葛屋がうなだれながら力なく応える。
「は、可能でございます。と申したいところではございますが、都の店がなくなり、貴重な書籍などを手に入れるのは難しくなりました」
「やはり京の都につてがないと難しいか」
「左様でございます。尤も、堺や博多に行くことができれば、都でなくてもよいのですが」
「堺か…。孫四郎、そなた新しい船を作っておったな。あれは使えんか?」
「新しい船、でございますか?」
葛屋が目を光らせる。
「あれはまだ機密の新鋭軍船でございます。よそ者に真似されるわけには参りませんので、今時分に商いに使わせることはできませぬ」
「左様ですか」
葛屋が一変、力なく肩を落とす。
「ただ、二十石積みの西国の船を模した帆掛け舟はありますので、そちらを使わせるのは可能でございます。まだ小舟の試験船ですので、これから大きくしていくのですが、そうですな、葛屋につかってもらって使い心地や改良点を出してもらうのは良いかもしれません」
「二十石船とはいささか心細くはありますが、今後より大きな船をいただけるのであれば問題ございません」
今度は喜色満面となる。ころころ顔色が変わって面白いな。
「ふむ。軍船と商船を分けるということか」
「軍船を真似されては我らはかないませんので」
「それもそうじゃのう。西国の大身に真似されては我らではとても太刀打ちできぬしなぁ」
「ところで神童よ、そなたそれだけではあるまい?」
それまで黙っていた守綱叔父上が口を開く。
「叔父上にはお見通しのようで……。はい。葛屋に船を与える代わりに葛屋を我が阿曽沼で抱えてはどうかと考えております」
「どういうことか?」
「遠野の産品を優先的に扱う半ば我ら阿曽沼家と葛屋が混じった商会を作ろうかと考えております」
最終的に中央集権化を進めて食糧管理制度を導入したい。なにかと負の面を強調されやすい食管制度だが、食糧生産が不安定な時代では食料価格の安定に寄与するのでこの時代で導入できれば越したことはない。難しいけど。その時のために食料公団を作りたいがそれには我ら官の知識だけではいかんだろう。最終的に食料供給が安定したら民営化させるけど。
「その官と民がまじった商会とやらはどういった利点があるのだ?」
「商いを行うにはそれなりに大きな財が必要であります。また、船での商いとなれば海賊や嵐で被害を被る可能性がございます」
この辺りは皆理解してくれるようだ。
「ただ一方で利益も相応に大きなものであります」
大量の物資を動かすことになるのでそれはすなわち航海に伴う利益も増えるということだ。
「ふむ。つまり、財の一部を我らが持つことで害も利も折半するということか?」
「はっ。父上、そのとおりでございます。そしてその利を使ってより大きな利を生むために殖産をすすめることが能うわけです」
「金を使って金を産む…か。神童の口車に乗せられているような気もするが、利が増えるのは良いな」
「というわけでだ、葛屋よそなたはこれから遠野商会と名乗り商いを行え」
「ははっ」
今後勢力拡大して海外貿易が可能になったら独占貿易権を与えようかね。
「ところで、湊はどこにございますでしょうか」
「いま大槌湊を整備しておるので孫八郎に文を渡そう。ついでに葛屋も挨拶して参れ」
葛屋が一礼し、商会設立の話はおしまいとなる。
「そうそう、以前若様が算術にご興味を持たれておりましたので、このような書を手に入れてみたのですが」
そう言って差し出されたのは『九章算術』。古代中国に書かれた算術書だそうだ。
「このような占星術にはご興味が無いかもしれませぬが」
とおもむろに出されたのは
「いやはや、こんな貴重な書を集めてきてくれるとは……葛屋よ感謝致す」
パラパラとめくってみたところどうやら円周率やら三角法、はては微積なども書かれているようだ。この時代の日本でこれほどの数学書に出会えるとは。
「孫四郎、算道は鬼道と言うが大丈夫なのか?」
今昔物語や宇治拾遺物語で算術で人の死を操ったという記述があり、数学は呪術として認識されていたのがこの時代である。和算が興隆する江戸時代になるまで算道は呪術としての側面が強かったようだ。
「とんでもございません!これで我が領の学問が大いに進歩いたしまする!」
数学的理解が進めば産業の発展も見込めるだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます