第33話 これ以上私の心をかき乱さないで

「やはり、留学は難しいね。陛下の許可が下りないんだ」


「兄上、父上と呼んであげてください。いい加減、泣きますよ……あの人面倒なんですから」


 苦笑して頷くものの、兄アンリは国王を陛下と呼称する。それが距離を感じて切ないと嘆かれたばかりのルイは、アンリに訴えた。人目に触れないよう夜に呼び出されるこちらの身にもなって欲しい。自分で直接言え、と父をはね退けたばかりだった。


「兄上の王太子の宣言ですが、僕がいるうちに行いましょう。その後で留学の話を一気に畳み込みます。貴族も僕自身がいなければ黙るしかないでしょう。母上も賛成していますし」


 ルイの強引な案に、アンリは興味をそそられた。なぜそこまでして隣大陸へ向かいたいのか。好奇心旺盛な弟の気を引いたのは、何だろう。物か、人? ほとんど交流がない国々の本を取り寄せた話も伝え聞いていた。


「最近は東開の本も取り寄せたらしいね。語学も一から勉強し直しているとか?」


「ええ。留学先の情報はいくらでも欲しいですから」


 それにしては取り寄せる本の知識が偏ってるけど、そこは指摘しないでおこう。アンリは「そう」と曖昧に濁して笑った。


「そこまでして東開大陸に行きたいの?」


「ご安心ください。今のところ留学しか考えていません。それに僕は病弱で通しています。東開大陸はこの大陸とは別の医学が発達していますから、体質改善を望んだ僕が向かっても不思議ではない。兄上の治世が落ち着く頃、丈夫になった弟として帰ってきますよ」


「本当かな。私は弟を取られてしまう気がするけどね」


 予知能力はないのに、そう思った。この子はもう帰ってこないかも知れない。悪い意味か、いい意味か。判断できなくても、強くそう感じていた。


「兄上もご存じの通り、僕は意外と強いから平気です」


「そうあって欲しいね」


 兄アンリの疑い深い言葉に、ルイは軽く応じた。数年くらい異国で羽を伸ばすだけ。そんなに心配するなんて、兄上は弟想いな方だ。


 微笑みあった兄弟は、お茶と茶菓子が尽きるまで雑談に興じた。









「助けて!」


 戻るなり、抱きしめたココを差し出す。咄嗟に受け止めたキエの前で、アイリーンは膝を突いて……ゆくりと床に倒れた。伏せた彼女の顔色が悪い。叫んで起こしたい衝動を堪えたキエは、まず神獣のココを受け取って膝の上に寝かせた。


 倒れた彼女を抱き上げたいが、神獣の保護を優先する。巫女であるアイリーンの顔色の悪さは、霊力を振り絞った影響だ。この症状は知っている。休めば改善するはず。だが、やや冷たいココの状態は急を要した。転移した小部屋の外を窺い、大急ぎでココを運び出す。


 廊下を足早に進んで、アイリーンの宮にある私室へ寝かせた。取って返し、大切な末っ子姫を連れて再び部屋に入る。


 沸かした聖地の水に霊力を流し込んで、禊と温めを同時に行うよう準備した。そっと神狐を横たえる。頭が沈まぬよう支えながら、何度も白い狐の毛皮に湯をかけ続けた。駆け付けた隠密にココを預けて立ち上がる。少し足元がふらついた。霊力を注ぎ過ぎたか。


「気を付けて、ココ様の霊力吸収が強く働いているわ」


 足りなくなった霊力を周囲から集めようとする神獣の特性に注意するよう促し、無言で頷いた仲間に彼を任せた。ベッドに横たわるアイリーンの頬は、霊力の不足で青ざめている。残った霊力を注いで頬を赤く染める頃、キエはようやく安堵の息をついた。


「大丈夫そうだわ。良かった……」


 ベッドに俯せに倒れ込んだキエに、見守る同僚達が顔を見合わせた。フルール大陸で何が起き、禍狗がどんな状態なのか。改めて調査し直す必要がある。祓い巫女として頂点に立つアイリーンの霊力が足りなくなるほどの事態――もうなりふり構っていられる状況ではなかった。







 ああ、またこのなのね。


 アイリーンの意識が宿った獣は、ぶるりと身を震わせた。花が咲く場所で、手足を伸ばして風の息吹を感じる。ここは封鎖されていない場所だった。それがただただ嬉しい。


 お願い、誰かこの身を抱き締めて。愛していると頭を撫で、昔のように名を呼んでよ――僕の名は『・・・』。


 切ないほどの願いに、アイリーンは痛む胸を押さえて丸まった。これ以上私の心をかき乱さないで。あなたがどこにいるかさえ分からない私は、何も出来ないのだから。




    ……物語はまだ紡がれ続ける

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