第16話 ご褒美と我慢の絶妙さに負けたわ

 禊のために食事の制限をするのは、巫女の役目の一つである。神を宿す身の裡に穢れを溜め込まぬ儀式だ。しかし終われば関係なかった。肉でも魚でも食べられる。


「何か用意してくれた?」


 控室の前に立つキエを見上げる。彼女が静かに頷くのを見て、期待しながら扉を開け……慌てて閉めた。


「どうなさいました? ご用意させていただきましたわ」


 用意はされている。だがそれが軽食で、雑穀の握り飯であることに嫌な予感が膨らんだ。予感を回避すべく、アイリーンは足掻いた。


「私、今日はもう疲れたの。霊力を使い尽くしたわ」


 だから休みたい。ご飯をお腹いっぱい食べて、ゆっくりと布団で横になりたいの。アイリーンの願いを打ち砕くように、キエは無慈悲に返した。


「左様ですか。お疲れ様にございました。中でお召し上がりになり、お休みくださいませ」


 しばし、じゃないわ。ゆっくり休みたいのよ。抗議するアイリーンの眼差しを無視し、キエは扉を再び開いた。柔らかく背を押しているように見えるのに、強引に部屋に押し込まれる。逃げ場を探すアイリーンは、それでも空腹に耐えきれなかった。食べたら負けと呟きながら、握り飯の前に腰を下ろす。手にとって、親の仇のように睨んでから齧る。


「ほいひぃ」


「あらあら、お茶はこちらに置きますね」


 緑茶ではなく、ほうじ茶。好みを把握し尽くした侍女長に、アイリーンが勝てる筈はなかった。雑穀の握り飯には、梅が入っている。普段は酸っぱすぎるそれが、疲れた身に染みわたる。噛み締めて食べるアイリーンに、キエは次の予定を切り出した。


「泉の封印が終わりましたので、次は使者殿からの挨拶がございます。年齢の問題がございますので、宴への参加は免除となりました」


「……うぐぅ」


「喉に詰まります」


 お茶を渡され、少し熱いそれを流し込んだ。喉というより胸に近い位置で詰まった雑穀米が胃に落ちる。ほっとしながら顔を上げ、アイリーンは眉を寄せた。


「それって大変な仕事はして、ご褒美は無しじゃない!」


「いいえ、姫様の大好きなプリンをご用意しておりますわ。使者殿との面会が終わりましたら、冷えた物を三つお持ちしましょうね」


「三つ……そ、そうね。仕方ないから挨拶を受けるわ。巫女の義務だし、私も皇族だもの。我が侭を飲み込むくらい出来るのよ」


「ご立派でございます」


 褒めて煽てる方向でキエに操られたアイリーンは、肩に神狐のココを乗せて謁見用の広間に向かった。畳が敷かれた大広間には、皇族が御簾の内側に並んでいる。そっと端に座ったら、父に手招きされた。本日の主役だからかしら。


 仕方なく進み出て、父と兄シンの間に座った。御簾の向こう側は見えるけど、外からこちらは人影くらいしか判別できないのよね。だったら誰か代理でもいいのに。


 使者の挨拶の口上は大抵いつも同じで、退屈なのよ。アイリーンの肩から降りて膝に座り直したココの尻尾を撫でた。


『尻尾はダメって言ってるじゃん』


「ごめんなさい、ココ」


 触り心地がいいから、つい手が伸びてしまうの。謝りながらも、今日のアイリーンは強気だった。切り札がある。


「プリン、分けてあげるわ。だから触らせて?」


 小声での交渉に唸ったものの、ココはそれ以上抵抗しなかった。これが答えだ。忍び笑う兄や姉の隣で、狐の尻尾をモフる。複雑そうな父の眼差しを、アイリーンは末っ子らしい鷹揚さで受け流した。

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