第15話 封じたフリで良かったのよ

 こうなったら、きっちり封じてやろうじゃない!


 まだ瘴気の名残を漂わせる封印の泉の手前に用意された祭壇で、アイリーンは眉を寄せた。逃げてからかなり経つのに、かなり瘴気が濃い。神話の通りなら、数万年単位で封じられていたのだから当然なのかしら。


 浮かんだ疑問を打ち消しながら、祭壇を見上げた。


 周囲は神々の遣いが集まり始めていて、祝詞や神呪を楽しみにしている。アイリーンの時が一番神々しいと言われる所以はここにあった。神々のお気に入りが舞を奉納して祈る、その晴れ姿を、神々は御遣いを通じて愛でるのだ。中には祝福を降ろす神もいるくらいだった。


『ひふみよいつむ、ななや……ここのたり。これは神の手、息は我が域、紙は髪となりて魔を縛る。奉納した髪に神の御力を授け給え』


 ここまでは共通の祝詞になっている。姉妹の誰が祈っても同じセリフだった。祭壇の中ほどからさかきを抜き、葉を選んで懐にしまう。宿しと呼ばれる祓い巫女の作法の一つである。


 指先まで霊力を漲らせ、アイリーンはゆっくりとした所作で一礼した。


 ぽん、つづみの音が合図だ。笛が加わり、琴やしょうが音を重ねる。複雑になっていく音に意識を集中して、決められた手順で舞った。


 祭壇の下に座るココが、手招くアイリーンの肩に飛び乗る。ここから舞が変化した。力が高ぶり、感情は神々の領域へと引き込まれる。


 うっとりとした表情で舞うアイリーンの周囲が薄く光り、神々の遣いが姿を現した。蛇や馬、鳥……様々な動物の色は純白だ。


 主君を定めて契約すると、ココのように体に契約紋が刻まれた。この場で唯一契約をもつ神狐が尻尾で仲間達に触れる。いくつもの光が尻尾に集められた。


 神々の力を借りて国を護る。封印を維持するアイリーンへの助力だった。それは舞の礼であり、愛し子への慈しみでもある。すべての光を受け取ったココが、青白い光を泉に向けた。吸い込まれるように泉に光が移動し、きらきらと水面が反射する。


『我らが始祖たる国津神の方々よ、新たなる大地を与えし天津神の方々よ。末裔たるこの大陸の安寧を願い奉る。この手に封印の剣を与え――契約の証となさん』


 いつも違う神呪かじりに、周囲がざわめく。だが祓え巫女の儀式を妨げることは出来なかった。アイリーンの体は神々の領域に繋がっている。


 代々信仰する神々の前で、余計な発言や行動は慎むのは礼儀だった。そもそも神は巫女を通じて言霊を残すため、神官達は真剣な顔で聞き入っていた。


『泉を封じ、この地にしるしを残せ』


 憑依されたようなアイリーンの言葉に、皇族が一斉に頭を下げる。見守っていた臣下や神官もそれに倣った。平伏した彼らに微笑んだアイリーンは、操る糸が切れたようにぺたりと座る。ぐらりと倒れた彼女を、ココが霊力で受け止めた。優しく横たえて、じっと顔の横で覗き込む。


 少しして大きな息を吐き出したアイリーンが青紫の瞳を開く。いつもより紫に偏った赤みかかった目を数回瞬いた。その間に色は青に戻っていく。一時的に神の依代となったことで高ぶった霊力を収めると、アイリーンはお腹を押さえて呟いた。


「お腹空いちゃったわ」


 ココと最前列の皇族には聞こえたらしく、長兄のシンが苦笑する。顔を上げた人々に両手をついて挨拶し、アイリーンは大急ぎで祭壇前を後にした。早く清めをしないとご飯が食べられないわ。禊から終わりの清めまで飲食を禁じる規定を思い出しながら、少女は廊下を急ぐ。


 後ろを付いてくる白い蝶の存在に、気づくことなく――。

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