第4話 封印解除は即日バレました

 禁足地の端にある低くなった柵を飛び越えた。とぼとぼと歩くアイリーンの長い髪はびっしょり濡れている。和風ドレス姿だが、とても姫君には見えなかった。肩を落として溜め息をつく彼女に声を掛けたのは、侍女長のキエだ。


「きゃぁ! 姫様!! なんというお姿で……っ、シシィ、湯あみの支度を」


 キエは近くの客間に飛び込み、大急ぎでタオルを取り出すと被せた。アイリーンは鼻を啜り、小さな声で礼を口にする。いつもと違う様子に、キエは深く尋ねなかった。代わりに、青から薄水色へ変化する髪を丁寧に乾かす。色が戻ったのは霊力を使用して拡散したため。ひどく怠かった。


 タオルで包まれたアイリーンは、牡丹の宮の風呂へ導かれた。小さいながらも宮を賜った皇家の末姫は、その名に梨の字を含む。バラ科の植物を意味する梨繋がりで、牡丹の宮を与えられたのだ。姉2人はそれぞれに芍薬の宮と百合の宮を継承している。


 華やかに咲くが首から落ちると嫌われ、牡丹は滅多に使用されない宮だった。こぶりな宮を居心地よく整え、末姫に宛がったのは理由がある。霊力が皇族の中でもっとも高かったからだ。生まれながらに帝を凌ぐ霊力を保有し、その制御にも長けていた。


 神と繋がりの深い皇族に必要な存在として、華やかさの象徴である牡丹を印章に与えられた末っ子――陰陽の術を自在に操り、もっとも巫女に相応しい霊力をもつお転婆姫だった。


 宮にひかれた温泉に冷え切った身を沈め、アイリーンはほっと肩の力を抜く。薄衣を纏っての湯あみは強張ったアイリーンの顔を綻ばせた。人心地がついたとはこのことね。


「姫様、何がございました?」


「……言えないわ」


 キエが心配したのは、清らかな姫の身が穢されること。しかし衣服に乱れはなく、アイリーンの様子からも違うと判断した。ならば、先ほど飛び込んだ禁足地で何かあったのだろう。足の裏は傷だらけ、履いていた靴もない。何もないわけがなかった。


「何を壊したのです? それとも泉にでも転がり落ちましたか?」


「水を被った……っ! キエ、なぜ泉があると知ってるの?」


 答えかけて、アイリーンは目を見開いた。禁足の地と表現される皇宮の奥は、数百年前から足を踏み入れた者がいないはず。それは使役の契約をした神獣ココの話からも間違いなかった。なのに、キエが泉の存在を知っているのはおかしいわ。


 食い入るように顔を見つめるアイリーンに対し、キエは穏やかな笑みを崩さなかった。


「ご存じなかったのですか」


 とっくに気づかれていると思っておりました。笑みを深めながら、キエが音もなく唇だけを動かす。


 ――私は隠密ですから。


 思わぬ暴露に息を詰めたアイリーンは、その後ゆっくりと体の力を抜いた。なんだ、知られていたのね。だったら、隠す必要はないわ。


「泉の底に封じられた魔物が解き放たれたわ」


「っ! さきほどの衝撃はそれでしたか」


「何か感じたの?」


「頭を殴られたような激しい衝撃でした。……姫様、バレる前に封じ直す必要がございますね」


「うん」


 ぴちゃんと前髪から水が落ちる。丁寧に髪を洗うキエの手は優しくて、ひどく悪いことをしたのだと今さらながらに実感した。落ち込むアイリーンへ、キエはきっちり言い聞かせる。


「落ち込んでいる暇はございません! 準備が出来次第、追って頂きますから」


「え?」


 私が? 一応皇族で姫で、巫女なんだけど。そんなアイリーンに、キエは容赦なく現実を突きつけた。


「禁足地で封印を破った皇族のせいで国が滅びるのと、追って捕まえるのはどちらがいいですか」


「……捕まえます」


 ぐっと言葉に詰まる。全部私の所為よね。アイリーンは逆らえずに俯いた。

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