第一章 最初の村

救世主

 五感からの情報が完全に途絶え、自らが死んだのだと実感した矢先のことだった。

 暗転したはずの世界に、目を開けられないくらいのまぶしい光が差し込む。

 続いて僕の身体を受け止める、布団とは明らかに違う感触。周囲にあるものが風に揺れ、擽るように触れるのを感じる。頭上からは、無邪気にたわむれ飛び回る鳥の囀り。

 とても澄んだ空気に満ちていて、一つ大きく息を吸ってみると、草花の香りに心が安らいだ。


 もしかして、ここが天国なのかな?


 うっすら目を開けば、青々とした木々が穏やかに僕を見下ろす。

 葉の透き間から差す光に目を細めたまま身体を起こしてみると、一糸纏いっしまとわぬ自分の姿がそこにった。

 手足を動かす感覚にともなって、目の前の手足も動いている。動いてはいるのだが、四十歳しじゅうを迎えるオッサンの身体にしては若過ぎる。肌は白く透明感があり、華奢きゃしゃでその上ムダ毛もゼロときては、生前の面影おもかげは微塵も無い。肝心な股間のパーツも、まだ成長途中といったサイズである。


 天国に来て若返った?

 あと、さっきからサワサワとくすぐったいこれは、僕の髪だよね。…白髪はくはつ?直接見て確認できる範囲はすべて真っ白。手触りも良くて小動物みたいだ。


 全裸でいても快適なこの場所は天国と呼ぶに相応ふさわしく、感応かんのうおだやかな心もまさ成仏じょうぶつ

 田舎のおばあちゃんがそうするように、ありがたやありがたやと唱えつつ手を擦り合わせた。


 それにしても、他にも同じような人間はいないものだろうか。

 例えば両親や祖父母、子供の頃飼っていた犬なんかはどうだろう。知った者が居なかったにせよ、この場にたった一人放置では、天国と言えどいささか納得がいかない。


 ひょいとその場に立ち上がり、生前よりも軽く感じる身体の動きを確かめつつ、辺りを探索してみた。

 散歩するにも丁度良い木々の間隔、地に生える草花も野生のものとは思えない程美しく広がっている。どこもかしこも人の手で完全管理しているような、どこまでも美しい芸術的自然。

 ふと何か、向こうの木の影で動くものが見え、小走りに近付いてみた。


 こ、これは…!?


 予想外のことに息をんだ。

 自分と同じような人が居ると思い何の警戒も無く近づいたそこには、小さくはずみ低速で移動する丸いソーダゼリーの群れがいたのだ。

 それはどう見ても、魔王を倒すべく村から旅立った勇者がチュートリアル的に戦うことを余儀よぎなくされている最弱モンスター…


「…スライム…?」


 瞬間、どうやらここは天国では無いのだという落胆らくたんと、それ以上に何とも言えない高揚感こうようかんを覚えた。

 そう…ここは恐らく。いや、スライムなんてものがいるのだから間違いない。

 前世では実在するわけがないと現実的な自分をよそおいながらも、きっとるのだと信じ生きていた。ゲームにアニメに、漫画、ラノベ。創作された作品として世に出回っていたものの中にも、実は作者の実体験にもとづくノンフィクションがあるのではないか。

 馬鹿にされるとわかっていたから誰にも言えなかった。只々夢想むそうに心おどらせていた。

 けれどそんな世界が今、目の前に展開している。

 まさにここが物語のスタート地点だとばかりに、スライムたちがうごめいている。


「これが。これこそが…!異世界転生っ‼︎」


 興奮に打ち震えながら、足元のスライム一匹を両手で持ち上げ抱き締めた。り込んだ腕にシュワシュワと炭酸のような感触。

 さほど抵抗する様子がないところを見ると、この世界でのスライムの立ち位置は討伐対象と言うよりマスコット的な?

 程よく冷たく気持ちの良い発泡はっぽう感を楽しみつつ、他にも何かないかとはずむ足取りで散策を続けていると、眼前がんぜん清澄せいちょうな水をたたえた湖が現れた。

 透明度が半端なく高い。前の世界には居なかったであろう色鮮やかな魚の泳ぐ様が湖底に向かって重なり、まるで万華鏡まんげきょうのようだ。


 湖畔こはんに目を向けると、様々な動物が水やえさを求め集まっていた。

 つのが淡く発光している小型の鹿。世紀末の悪役にもおとらない立派なたてがみがそそり立つ馬。尾が長く中型犬程のサイズの大ウサギに…。あれは何だろう?黒い毛の塊から、鳥とおぼしきあしが伸びている。

 木々が開け日当たり良好な分、不思議な形の草花もいっそう生き生きと。

 空には、地球から見上げるのと同様に太陽が一つ。だけど月は二つ。一方はよく眺めていたそれと等しく、もう一方は大きさが5倍くらいはあるだろうか。まだ昼間で輝きも無いけれど、存在感はもの凄い。


 異世界に来たのは把握はあくできたが、それで問題が無くなったわけではない。むしみずからどうにかしなければならない必要性が出てきてしまったわけで、ツールの所持も無くサバイバルを強いられるなど思いもしなかった。

 キャンプは好きでよくやっていたとは言え、見た目で食材になりそうなものは毒の有無もわからないロシアンルーレット。異世界転生に歓喜したのも束の間、絶望の香りが漂う。


 結構森の中を歩き回って、出会ったのは草食っぽい動物と無害なスライムくらいだった。

 武器も無く、戦うすべも知らず危険モンスターに遭遇そうぐうするのはマズいけど、ここは安地あんちってことなのかな。不幸中の幸いだ。

 ともあれ、太陽が頭上にあると言うことは、いずれは日も暮れるのだろう。身体も当たり前に疲労を感じているようだし、寝床の心配もしなければならない。

 その辺で寝て、得体の知れない虫にたかられるなら死んだ方がマシだ。虫だけは無理。想像しただけでも鳥肌が止まらない。


 危機感にかされ、スライムを手放して本格的に周囲を探索する。

 湖畔こはんを反時計回りに半周ほど行ったところで、細い獣道とかすかに残る靴跡のようなものを見つけ、辿たどってみることにした。

 そして考える―――


 この先に何者かが居たとして、言葉は通じるのだろうか。通じなくとも友好的な種族なのだろうか。

 前世の記憶を残している上、赤子ではなくぐに行動できる姿で転生したからには、何かしら役割が与えられているに違いない。ファーストコンタクトで捕縛ほばくされ唐突とうとつ生贄いけにえにされるなんてこと…


「あぁ、そういえばあったなぁ。何かに呼ばれ訪れた村で、生贄いけにえにされるってホラーゲーム。おあつらえ向きに、僕…全裸だし。」


 ………。

 できるだけ良い方向で考えよう!

 きっと第一村人は友好的に違いない。

 そう、村一番の美女が最初に気付いて、豊満な胸を揺らしながら駆け寄ってくるんだ。自分達の種族にはない特徴に少し驚きながらも、僕に敵意がないことを察し声を掛けてくれる。


『キャァァァァ!変態っ!!』


 …裸族である確率はどれくらいかな。

 これもう絶対靴跡だしな。靴をく文化の人間が、裸をとするわけないよね。どうしよう。


 一旦、大きな木の陰に身を隠した。

 簡易なもので構わない、衣服が欲しい。最低限、変態扱いされないくらいの。例えばロングTシャツみたいなものが落ちていないものか。

 そう思った次の瞬間、頭に布のようなものがかぶさってきた。慌てて外し周囲を見回すが何者の気配もない。

 どこからか強い風で飛ばされてきたか、鳥あたりが盗んで枝に引っ掛かっていたものが落ちてきただけか。

 広げてみれば先ほど脳内でイメージしたようなラフなロングTシャツで。疑問に思っていても仕方がないので、すかさず着用した。

 布を身にまとうと、股のあたりがどうにも無防備で心許こころもとない気がしてならない。パンツもついでに降ってくるなんてことは―――


 パサリ。


 あったらしい。見事、見上げた顔面に咄嗟とっさにイメージした下着がかぶさった。

 こんな華奢きゃしゃな身体だし異世界だしと、ちょっとばかりファンタジーな妄想に引っ張られたのが悪かった。これではほぼひもパン。無いよりはマシだから装備はするけど!

「……とても心許こころもとない」

 まぁ、これで露出狂ろしゅつきょうと扱われる流れは回避できたわけだし、進んでみるか。


 人の居る場所に近付いてはいるのだろう。次第に獣道は開け、左右を縁取るようにかどを取った石が並ぶ。靴跡も増え、分岐した道の向こうの丘には広大な畑も見えた。

 ほのかに美味しそうな香りが漂ってくる。タレを塗った肉を焼くような香ばしい匂い。反射的によだれがあふれそうになり、喉を鳴らして飲み込む。

 お腹空いたな。食べ物も分けてもらえたりしないかな。


 身を隠しながら人の気配に近付くにつれ、元気に遊ぶ子供のはしゃぎ声が聞こえてきた。

 少しずつ気付かれないように近付き、一番近くにあった木造の建物の裏に潜んだ。

 奥の方から歩いて来た男が、建物の表側に居たらしい女性に話しかけている。

 日本語?少々距離があって聴き取りづらいけど、喋っているのは間違いなく日本語だ。あるいは他の言語を発してはいるが、僕の転生者としての力で日本語に変換されているか。

 どちらにせよ彼らが話している内容はと言えば、面倒見の良い若者が近所のご年配に日々の安否確認で声を掛けているような。平和そのものではないか。

 これなら突然の余所者よそもの来訪らいほうにも、優しく応じてくれるかも知れない。

 そうだ。あの若者に話し掛けて―――


「だれだお前!どこから来た!」

「よそもの発見!神父様ぁ!よそものがいます!」


 頭上から聞こえ、慌てて後退あとずさる。屋根の上と、それに木の上にもヤンチャを絵に描いたような子供の姿。こちらを見下ろし大騒ぎだ。

 逃げるつもりはないけど、油断したな。

 子供たちに急かされ、様子を見に来た神父様と呼ばれる若者に戸惑いながらも会釈えしゃくした。

 少しの間、上から下まで確かめるように見つめていたが、こちらから話を切り出そうとしたところで勢いよくひざまずく。どうやら僕に何かしら役割があるとの予想は当たりのようだ。

「救世主様、お待ちしておりました。」

 初めての経験。悪い気はしないけれど、こんな風に扱われるがらじゃない。

「えっと、そちらも事情があるとは思いますが、僕も来たばかりで…。正直何もわからない状態でして。よければ詳しくお話を聞かせていただけませんか?」

勿論もちろんです。どうぞこちらへ…」


 数歩先を歩く彼について行きながら、村の様子を見渡す。

 僕の興味ありげな視線に気づいては、半身を向けにこやかに説明してくれた。


 村の名前はユヌ。およそ二百人程の人間が暮らす田舎の小さな村だ。他との交易こうえきも無く、自給自足の生活を続けているのだと言う。

 様々な燃料や電気の代用で“生活魔法“という魔力消費の少ないものがあるらしく、不便ふべんそうに見えてめちゃくちゃ快適なのだそうだ。

 魔力供給そのものについても、自然の恵みによるもので尽きることはない。植物や動物が発する生命エネルギーを、呼吸するのと変わりなく無意識に吸収し体内で魔力に変換する。食物から得ることもできるらしいので、美しい森に囲まれ生命豊かなユヌ村は、言ってみれば生活エネルギーの宝庫なのだ。

 建物はすべて木造でペンションのような外観。

 あらゆる動力を魔法に頼りながらも、井戸水のみ上げや農機具には日本でも見たアナログなものが使われている。レトロな景観けいかんを保つ目的もあるのかも知れない。


 わらわらとくっついて来る子供達の相手をしつつ、れ違う村人達にも会釈えしゃくで返し、到着したのは村の中央付近に建てられた教会の前。

 両開きのドアを大きく開き中へと促す。

 こじんまりとした礼拝堂奥のドアの先まで案内され、素朴そぼくな丸テーブルを挟み向かい合わせて座った。


神託しんたくがありまして。新たな救世主様が来臨らいりんされるとのことで、色々と準備をしてお待ちしておりました。」

 紫紺しこんの髪と瞳。改めて正面から見ると、クールな顔立ちのイケメンだ。特に笑顔は格別で、シルバーフレームの眼鏡が知的な雰囲気をプラスしている。

「私はユヌ村にて神父の役目をいただいております、名をマントゥール・アロガンと申します。お好きなようにお呼びください。それから、私を含め村の者に対して敬語は不要ですので。」

 敬語を使う理由も日本と同じなのか。偉そうにするつもりは全くないけど、僕に対する態度から察するに、僕の方が立場的に上なのだろうし。ここは空気を読んで普通に喋らせてもらおう。

「苗字…ファミリーネームと言えば伝わるかな。は、どっち?」

「アロガン、ですね。」

「じゃあ、アロガンさんって呼ばせてもらおうかな。」


 魔法でランプをともし、沸かしたお湯で紅茶をれてくれる様子に見惚みとれていた。前世では緑茶ばかりだったけど、紅茶の香りも素晴らしい。

 深呼吸で香りを楽しむ僕に優しい笑みを向け、砂糖とミルクを添えてくれた。

 この所作しょさ、男でもれてしまいそうだ。

「それで…。自分が別の世界から転生してきたとは理解したんだけど。この世界にいて僕は何者で、何をせばいいのかな?」

 砂糖をたっぷりと入れ甘くなった紅茶と、木皿に盛られたクッキーを頂きながら気軽な感じで聞いてみる。

「まずは救世主様が何者かというところからお答えいたします。私の手に救世主様の手を重ねてください。目を閉じて…」

 指についたクッキーを慌てて払い、アロガンさんの上向きのてのひらに自分の掌を重ねた。


 それは魔力の流れを感じるものだった。

 目を閉じアロガンさんに言われるがまま掌に集中すると、そこから血流の如く身体中を巡る暖かな流れを掴む。まるで僕の存在そのものを内側から捉えるかのような感覚。流れに乗り見渡せば、あらゆる情報が文字や記号の羅列で表現され、乱雑に僕の中を満たしている。

「今見えるものを、全て手元に集める感じでイメージしてみてください。」

 指示通り、隅々から全ての情報を掻き集め一纏ひとまとめにしていく。やがてそれらは自動的に整理され、一冊の本となって具現化しテーブルの上に現れた。

 平均的な国語辞典程の大きさ、革装丁かわそうてい重厚感じゅうこうかんのある見た目だが、持ってみるとほとんど重さは感じない。触っている感触はあるものの、物質というよりは立体映像という感じなのかも。

「それは“命譜めいふの書“と呼ばれ、この世界に生きる者一人一人に与えられる特別な書です。所有者の名をはじめ基本的なステータス、習得済み及び未習得であっても今後習得可能な魔法、スキル、耐性など。あらゆる情報が詳細に記されております。」

「なるほど。表紙にも書いてあるカルム・オレオルっていうのが僕の名前か。職業は救世主…」


 書かれた文字は完全に異世界のものであるにもかかわらず、僕にはそれが読めた。脳内でいちいち変換するようなラグもなく、日本語と変わらず内容が入って来る。

 生力HP魔力MP、各種ステータス。アロガンさんが言った通り、本当に詳しく書いてある。中でも魔法とスキルについては、属性、効果内容、効果範囲、継続効果の有無に至るまで親切に記載されていた。

 索引さくいんは無くとも、心の中で求めた情報のページがオートで開かれる。めちゃくちゃ便利である。

「魔力操作の感覚は掴めたようですので、“命譜めいふの書“を呼び出すのも消すのも思いのままかと。ただ、詳細な個人の情報、のぞき見され悪用される恐れもございます。十分にご注意ください。」

「わかった、ありがとう。まずは自分のことを知っておくべきだし、後で一人の時にでも読んでみるよ。」

 本を閉じ手を添えたまま消えろと念じただけで、“命譜めいふの書“は跡形もなく消えてしまった。


「次に救世主様が為すべきことについて…」

「あ、その前に。僕にはカルム・オレオルという名前があるみたいだから、カルムって呼んでもらえるかな。」

 アロガンさんにとっては役職で呼ぶ感覚なのだろうが、人類の救い手を称されるのは、どうにもしっくり来ない。カルムという名前にしたって前世で長年付き合ったそれとは違うから、まだ自分の中でも馴染んではいないのだけど。救世主様と呼ばれるよりは幾分マシだ。

 僕の言葉に少し驚いた表情を見せるも、すぐに了承してくれた。

「では、カルム様のお役目について、ご説明いたします。」

 まさかの様付け。くすぐったくはあるけど、これ以上呼び方一つで気をつかわせてしまうのも申し訳ない。あだ名とでも思って気にしないでおこう。


 アロガンさんによると、ここは今までの話でも言っていたように魔法という技術が実在するファンタジーな世界。名をイディアリュウールと言うそうだ。

 人間以外にも人と同じように知性を持ち、独自の文化で街や国を作って生活する様々な種族がおり、そうした者達にも例外なく“命譜めいふの書“が与えられている。

 ただしそれは僕のものとは少し違っていて、“終末の物語エンディング“というページが必ず含まれていると言うのだ。

 内容は文字通り、その者が死ぬまでの物語。

 誕生と同時に神より渡される“命譜めいふの書“によって余命を知らされ、死に関わる原因が読み取れる数日ないし数時間前からのことが物語形式で書かれているのである。

 イディアリュウールを創造した、神シャンスのお考えなのだとアロガンさんは言った。死を恐れぬように、限りある時を精一杯生きられるように。

 それはまさに神による予言。

 自分の余命を知り、前世の最期にそんな時を過ごした僕からしてみれば、良いことのように思えた。が、誰にとってもそうとは限らない。

 理由は、死に繋がる物語の部分だ。余命については、たとえ短くとも我が身のさだめと受け入れる者がほとんどなのだが、痛みや苦しみを抱えながら死にたくないとは誰しも思うこと。

 予言なのだから、外れることもあるのでは?と思うがそうではない。イレギュラーな行動があれば、物語はわずかに書き変わる。しかし、そもそもが創造主である神が見た未来。運命そのものに大きな変化は起きないのだ。

 つまり、痛過ぎて死ぬのは嫌だから、痛みを取り除くべくあらゆる手を打つとする。それでもやっぱり痛くなるから、最終的には痛くて死ぬことに変わりはないわけだ。


「説明の途中で悪いけど、聞いてもいいかな?」

「なんでしょうか?」

「その神様だけどさ、誰がいつどんな風に死ぬのか見えてるわけでしょ?だったら運命くらい変えられるんじゃないの?」

 神は万能。その考えは間違っていないとアロガンさんは答えた。

 神の手にかかれば、痛みも憂いも争いも、取り去ることは容易なのだと。

 しかし、誰か一人にそうした救いを与えたなら公平でなくなる。神は最初に生命が誕生したその時から、善悪にかかわりなく全てに公平であり、直接の手出しは一切していないのである。

「一人を救えば公平でなくなる。すべてを救えば、私たちが私たちでいる意味がなくなる。神は見守る存在なのです。」

 条件設定と施設配置して、発展を見守るタイプの都市開発シミュレーションみたいな感じか。思うように動かそうと手を加えた時点で、それはプレイヤーの管理下に置かれた不自由な箱庭となる。

「で、自らが介入できないから、救世主とかいうコマの出番ってことかな?」

「まったくその通りで…。カルム様には“終末の物語エンディング“の書き換えを行っていただきたいのです。」


 この世界イディアリュウールには、僕の他にも多くの救世主が転生してきている。

 それぞれが僕のように各地の教会で説明を受け、自らの信念に従って“終末の物語エンディング“の書き換えを行っているのだ。

 生命はすべて平等と考える者は、相手がどんな極悪人であろうとも安らかな終末への書き換えに応じているし、悪は絶対許さない!なんてタイプの救世主は、平和を愛する人々を優遇し、罪人の“終末の物語エンディング“を地獄のような内容に書き換えているらしい。恐ろしい話だ。

 しかしこの力、やはり万能ではなく、やりたい放題に書き換えられるわけではない。相手によって範囲が異なっていたり、文字数に制限があったり。他にも条件が発生することもあるらしいのだが…

 何よりもどかしいのは、余命自体の大きな変更ができないということだ。

 死の直前の痛みや苦しみからは救えても、寿命は伸びない。

 このことが受け入れられず、早々に引退した救世主もいたと言う。転生時に獲得した他の能力を活用し、今は別の仕事で生計を立てているそうだ。

 僕だって、救いたい相手を救いきれないと事前に言われているようで、少しモヤモヤとはした。だけど、僕にできることはやろうと思った。少しでも、誰かの助けになれるのなら。


「僕が僕自身の判断で行うことだから、神様の介入には当たらないってことか。わかった、やれるだけやってみるよ。」

 やってみて上手くいかなければ別の仕事もあるみたいだし、そうして暮らしている先輩のもとを一度訪ねておくのもいいかもな。

 再びクッキーを食べようと伸ばした手を掴まれた。

「ありがとうございます!カルム様が救世主様である以上、各地の教会にて衣食住のサポートを無料で受けることができます。また、宿屋、食事処、装備品の店などでも、割引や特別サービスが受けられる場合もございますので。救世主様であるあかしとなりますこちらの懐中時計をお持ちください!」

 満面の笑みで流れるように説明され、美しい装飾が施された銀の懐中時計を握らされる。

 中央に深いブルーの石が埋め込まれ、砂金でも散らしたようにキラキラときらめく。

 綺麗な石だなぁなどと眺めていると、和やかな雰囲気を一変しアロガンさんが僕の足元にひざまずいた。深々と頭を下げ、サラサラの髪が床に付いてしまいそうだ。

「カルム様。どうか我々に、救いをお与えくださいませ。」

「大丈夫!やるから!できればひざまずいたりとかそういうのは、やめてもらえるかな。」

「失礼いたしました…!」

 あ、うん。だからやめて欲しいんだけど。真面目な人なんだろうな…



 それから少しだけお茶とクッキーを楽しんでから、詳しい話しの続きはまた明日と言うことで。教会の裏手にあるアロガンさんの自宅兼、僕がしばしお世話になる家へと案内してもらった。

 僕の使う部屋は六畳程で、ベッドとシンプルな家具が置かれた何だかとても居心地の良い空間だ。キッチン、トイレ、風呂などは共用とのことだったが、朝昼晩の三食に加えおやつの心配はいらないと言われた。キッチンを使うチャンスは無いかも知れない。


「私は夕食の支度したくをして参りますが、食べたいものなどはございますか?」

 村人達が収穫し運んでいた野菜は特に珍しい外見では無かったし、肉を串焼きにして食べてる人もいた。いきなりゲテモノ料理が出てくることは無いと思うけど、異世界だし。食文化の違いは警戒しておかなければなるまい。

「虫以外なら。何でも。」

「おや、虫はお嫌いですか?ダイオウバチの子などは大変美味で、魔力回復の効果も高いのですが。」

「虫以外で!!」

「フフッ、かしこまりました。あぁ、そうでした。着替えはこちらでご準備いたしますので、よろしければお風呂になさいませんか?」

「あ、うん。そうしようかな。森の中歩き回って汚れちゃったし。」


 風呂場まで案内してもらい、肌触りの良いガーゼのタオルを受け取った。

 アロガンさんが食事の支度に向かってから、服を脱ぎ置いてあった姿見で自分の全貌ぜんぼうを確認してみる。

 年の頃は十四、五歳くらい。身長はあまり高く無いけど、小顔なおかげで全体のバランスは悪くない。髪は直接見えなかった部分までやはり真っ白、前世は白髪まじりの黒髪ショートだったからすごく新鮮だ。

 鏡に近付いてみた。瓶詰めの蜂蜜を光に透かしたような琥珀こはく色の瞳が美しい。整ったパーツ配置で、まるで高グラフィックのゲームキャラでも見ているみたいだ。何という美少年。

 この状態からスタートとってことは、外見は神様の趣味?いい趣味してるなぁ、神様。


 暫く鏡の自分を堪能たんのうしてから風呂に入った。入り方は日本と同じのようだ。

 木製の大きめな湯船に手桶ておけ、いい香りの石鹸せっけんと、ヘチマのタワシに似た柔らかいスポンジが置かれている。

「この石鹸せっけんで全部洗える感じかな?」

 身体は若くとも中身は田舎のオッサン。長い髪の扱い方がわからず、手櫛てぐしかしながら泡を流す。あとはいつも通りの荒い手つきで全身を洗った。

 髪も肌もとても潤っている気がする。これも魔法なんだろうか。

「では、失礼して…」

 足先からゆっくりと湯船に入ってみた。染み渡る湯の感覚に思わず声が出る。

 身体が小さいから風呂も見た目より広く感じるな。気持ちいい。

 しかし、これはダメだ。案外疲れていたせいか、このまま眠ってしまいそうだ。

「カルム様、着替えをお持ちいたしました。こちらに置いておきますね。」

 うとうとしていたところに、アロガンさんの声で目が覚めた。

 せっかく食事も用意してくれているんだから、ちゃんと頂かなくては。


 早速風呂を出て、置かれた服を身に着ける。村に来て初めに会った子供達が着ていた服に似ている気がするが、サイズを考えれば子供服なのも致し方無い。

 パジャマや部屋着で過ごす文化は無いのかな。このままか、服は脱いで下着で寝るってことなんだろうか。

 タオルで髪を拭きながら部屋に戻ると、先程より少しばかり物が増えているようだった。

 まるでホテルのアメニティ、至れり尽くせりだな。他にも多少の我がままは聞いてもらえそうだ。

 濡れた髪のままベッドに転がるわけにもいかないし、アロガンさんのところに行ってみるか。


 音を頼りに家の中を移動する。そんなに大きな家でも無いのですぐに居場所は分かった。

 家に入ってすぐの部屋。リビングダイニングといった感じか。奥のキッチンとを行ったり来たりで料理を運ぶアロガンさんがいる。

「悪いね。手伝いもしないで。」

「カルム様!いいえ、これは私の役目です。それに、教会施設内での救世主様の労働はそもそも禁止されております。大変な責務せきむを負う救世主様にはゆっくりと身体を休める時間があって当然ですし、そのような決まりがなくとも!これは私自身が望んでやっていること。滞在中は気兼ねなくおくつろぎください。」

 まぁ、救世主って言わば神様の使いみたいだし。アロガンさんのような敬虔けいけんな信者にとって、僕は大層有難い存在なのだろう。

 座ろうと近付いた椅子も、先回りして引いてくれた。

「ちょうどお食事の準備が整ったところで、声をお掛けしようと思っておりました。どうぞ、お召し上がりください。」

 お祈りなんかのマナーがあるかもとしばし黙っていたが、アロガンさんはこちらを見つめるだけで何も言ってくれない。もう、食べていいのかな?

「えっと…いただきます。」

「はい!お口に合うと良いのですが…」

 普通の挨拶で問題無かったようだ。

 一口目を口に運ぶと、ソワソワした様子で僕の言葉を待っている。クールな外見に反して何だか可愛い。

「…美味しい。めちゃくちゃ美味しいよ、これ!ほら、アロガンさんも食べて。食卓はみんなで囲んだ方が美味しいって言うでしょ?」

 こっちの世界でもそう言うのかはわからないけれど、理由は察してくれるだろう。

 素直に向かいの椅子に腰掛け、大皿から自分の分を取り分けている。

 男二人の食卓ながら、品数は多いし盛り付けも美しい。お洒落なランプもテーブルに置いてあってすごく華やかだ。

 どの料理を食べても本当に美味しくて、自然と笑顔になった。姿見で確認したあの顔が、それは幸せそうに笑っているんだから、向かい合うアロガンさんが微笑ましく見つめてくるのも納得である。

 食べ物から魔力の回復も可能って話だったし、疲れがえてく気がするのもそのせいなのか。さっきまで空腹より眠気がまさっていたが、こんな美味しいものを前にして食べずに寝るなんて勿体もったいない!残さず頂かなくては。


 皿に取り分けてもらったものは、残さず全部たいらげた。腹をさする僕を見て、アロガンさんも満足気に笑っている。

「ご満足いただけたようで何よりです。少し早いですが、今日はもうお部屋に戻ってお休みください。」

「そうさせてもらうよ。お腹いっぱいになったら、また眠くなってきたし。明日からは僕の仕事をしないといけないしね。」

「よろしくお願いいたします。それから、おやすみなさいませ。」

「ん。ごちそうさま。おやすみ。」

 片付けの手伝いもさせてもらえそうに無いので、大人しく歯磨きをして部屋に戻った。


 ベッドに入ればすぐに眠ってしまいそうだけど、いつも寝る前に読んでいたラノベや漫画の感覚で“命譜めいふの書“を開く。一度取り出し方を覚えると案外スムーズにできるものだ。脳内で本の形を思い描くだけで、こうして手の上に出現する。

「んー、この世界のことをまだ全然知らないから、それぞれの能力の有用性ってものがわからないけど。現時点で使える魔法の効果を見る限り、チートくさいんだよなぁ。それにこの創作って特殊スキル。原材料の代用に魔力を消費して思い描いたものを具現化って…。錬金術かよ。しかし、なるほど。Tシャツとパンツの正体はこれだったわけだ。」

 転生ものの俺ツエエ系に憧れがあっただけに、正直ちょっと嬉しかった。

 でも現実問題、自己防衛能力に長けている反面、力を持っていれば持っている分だけ色んな方面から狙われる可能性がある。他にも救世主はたくさんいるらしいし、前例があるのだろう。だからアロガンさんも気をつけるように言ってくれたのだ。

 自分の身は自分で守るためのチート設定が、更に狙われる要因になりかねない。何と言うこと。

「あぁ…、冷静に考えたら、とんでもない仕事だった。各種サービスが受けられる!なんて浮かれてる場合じゃなかった…っ」

 一気に疲れがり返し、枕に顔を埋めた。

 あっという間に睡魔に飲み込まれていく。

 僕の異世界ストーリーはギャクのジャンルには当たらなそうだけど―――

「まぁ、どうにか…なる……」



『おやすみなさい。』



 眠りに落ちる瞬間、誰かがすぐそばささやいた気がした。

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