エンディング専門の人気作家

桜楽

序章

始まりの終末

 

 ―――余命一年。延命治療も大した効果は期待できません。


 職場で受けた健康診断の再検査で訪れた病院でそんなことを告げられ、僕は改めて…死ぬのが怖いと思った。


 四十歳半ばにして人生が終わってしまう事への恐怖。

 死の向こうには一体何があるのか。


 近所の寺の住職は……

『天国や地獄は確かに存在し、生前の在り方によって行き先が決まるのです。』

 なんてことを言っていた。

 もしそうだとして、僕はどちらへ向かうことになるのか。迷うことなく逝けるのか。

 そもそも天国や地獄が無かったら?何もかもが死とともに只々失われるのだとしたら…


 その日を迎えるまでのおよそ一年間という日々のことだって、考えれば考えるほど怖くて仕方なかった。

 当時はまだ余命宣告なんて実感できないくらいには元気で、どんな不調が現れるのか。それはいつ頃からなのか。いつまでこの身体は、僕の思い通りに動いてくれるのか。

 僕の心はその変化に、最期まで耐えられるのか…

 何一つ想像すらできなかったのだから当然だ。


「まだやりたいことも沢山あったのにな…」


 丸一日、絶望に泣いた自分の口からこぼれた呟きにハッとした。

 死んでもし何もかもが失われてしまうのだとしても、自分には今やりたいと思うことが山のようにある。死への恐怖に占められたまま人生を終えるなど、勿体無もったいないと思った。やりたいことをやれるだけやって、充実感、達成感なんていう至極しごく前向きなもので残された日々を満たしたい。きっと一年じゃ足りない。

それでも―――


「生きている限り、全力で幸せになってやる!」


 そう決意し、余命宣告を受けた翌日から一年と十日後に訪れることとなる最後の時まで。僕は精一杯、欲望のままに楽しく生きてやった。




 最期の日は、想像していたよりもずっと穏やかだった。

 医者は病の進行につれ、強い痛みを感じることが多いからと心配していたが、それも鎮痛剤で抑えられる程度のもの。

 支障があるとすれば、残り三ヶ月を切ったあたりから少しばかり疲れやすくなったせいで、やりたいことに費やせる時間が減ったくらいのもので。翌日に疲れを引きずり、むしろ活動時間を減らさぬよう自己管理を怠らず、働いていた頃以上にしっかりとしたスケジュールを組むことで無駄なく過ごした。


 残り時間がいよいよ少ないと悟った僕は、余命宣告を受けたあの病院に一週間前入院した。

 人生最後の贅沢、風呂トイレ付きの快適な個室だ。片付けは手間だと思ったけど、わがままを言って持参した寝具をベッドの上に敷いてもらった。食事も、病院スタッフがお弁当代わりに契約している飲食店へ、便乗して注文してもらっている。病院食のようにカロリーや栄養素に気を使ったメニューはほぼないが、そんなこと終末を過ごす僕にとって気にしなければならない要素では無いし、何より美味しいというのが重要だ。

 季節は梅雨つゆ真っ只中、じっとりと寝苦しい夜も完璧な空調システムで快適。

 広い窓からの見晴らしもいい。雨を受けた後の植物はキラキラと輝き本当に綺麗で、眺めているだけで心が安らぐ。


 自宅でその日を迎えたい気持ちはあったものの、親は早くに他界。生まれてこのかた誰とも付き合えなかった僕には、看取みとってくれるようなパートナーもいない。こちらの事情を知り、それでも共に時間を過ごしてくれた気の合う友だってネットの向こう。リアルでまで迷惑をかけるわけにはいかない。

 死後のあらゆる手続きは、最小限で済むよう可能な限り自分でやっておいた。見られてはいけないデータ、本や映像のたぐいも処分済み。抜かりはない。

 火葬、骨の納め先も料金先払いで例の住職にお願いしている。


 やりたいことは尽きなかったけど、思いつく限りで優先度の高いものからこなしてきた。思い残すことはあれど、未練ではない。

 今となっては、自分の人生の期限を知れて、全力で生きることができて幸せだったとさえ思う。

 人間はいつ死ぬかわからない、だから後悔なく生きろ。今となっては、この言葉の重みもひとしおだ。


 学生の頃からずっと完全クリアできずにいたゲームの全エンディングを回収し、室内には少し悲しげなエンディング曲が優しく響く。

 間に合って良かった。あそこで負けてたら、またレベル上げ作業に二時間は余裕だったからな。

 カバーが交換されたばかりの真白な枕に頭を預け、クライマックスとばかりに壮大になっていく音に聴き入る。


 あぁ、そうか。これが…

 眠るのとあまり変わらないな。そんなに怖くはないかも。


 五感に受ける周囲からの知覚が少しずつ遠ざかっていくような。現実とも夢とも言い難い、不思議な感覚に包まれる。

 バタバタと幾人かの足音が聞こえてきた。観察用に着けていた機器がアラームを鳴らしたのだろう。きっと今頃は、医者や看護師に囲まれている。無理な延命処置は不要だとしっかりサインしておいたから、僕の希望は通るはずだ。


「―――ありがとう。」


 ついさっきまでプレイしていた素晴らしいゲームと、それを生み出した最高のスタッフへ向けて。

 仕事とは言え、こんな僕の最期を看取ってくれる方達に向けて。

 声にはなっていなかったかも知れないが、感謝の思いを告げ―――



 静かに、安らかに。…僕は死んだ。

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