第13話 トイレ前での小話
昼休憩を得た俺は、一人になりたかったのもあり、急いでトイレに行った。
さて、どうしたものか。
状況は芳しくなかった。
いや、あのまま進んでいれば椎名の持ってきた台本で決まりだっただろう。
だが俺にはどうしてもあんな消極的な方法で劇を決めたくなかった。
しかし、議論を続けようにもその議題が浮かばなかった。
あんなことを言った手前、何も考えずには戻れなかった。
本当にどうしたものか。議題を考える。
一回、台本読みして時間を稼ぐか? ……いや、それをしたところで根本的な解決にはならない。
多数決は、したところで意味ないよな。また半々に分かれるだけだし。
お互いの長所を言い合って数の多い方で決める? いや、長所の数で決めるべきものでもないしな。
そもそも、部活動紹介でやるにふさわしい劇とは何なのだろうか。
椎名が言っていたみたいに感動的な劇?
それとも増倉が言っていたみたいに面白い劇?
いや違う。どちらも間違っていないからこそ、議論は難航しているんだ。
難航しているからこそ、大槻や山路は議論を終わらせたがっているし、夏村も半ば諦めかけている。椎名と増倉も自分の台本がいいと信じて疑わないだろう。
そういう発想じゃダメだ。
もっとこう、今まで議論してない方向性の――。
ふと、頭の中にある疑問が浮かぶ。
これ、いけるか?
いやいくしかないのだろう。覚悟を決めた俺はトイレを出る。
すると、見慣れた影が廊下で待っていた。
「おう、どうした増倉。トイレか?」
「普通女性にトイレかって聞く? そうじゃなくて、杉野を待ってたの」
「俺?」
予想外のセリフに、思わずあほみたいな声を上げる。
「さっきのこと、ちゃんとお礼言いたくて」
「さっきのって……議論を終わらせなかったことか? あれはただこのまま終わっちゃいけないと思ったからで、別に」
「それでも、ありがとう」
増倉が真っすぐに俺を見る。その真っすぐな瞳と言葉を俺は素直に受け取ることにした。
「……でも意外だったなぁ。杉野なら私の台本気に入ってくれると思ったのに、香菜の方につくなんて」
「……」
確かにいつもの俺なら面白い方の台本、つまりは増倉の方を選んだかもしれない。 けれど今回は椎名の台本を選んだ。はて? なぜだろうか。
そう考えて、すぐに結論に至った。
きっと全国を目指そうと誘われたからだろう。無意識とはいえ、椎名の味方をするようになっていた。
だが、俺自身、椎名の台本の方がいいと思ったからそうしたまでだ。
「ねぇ、どうして今回は香菜の方に行ったの?」
「どうしても何も、椎名の台本の方がやるにふさわしいと思ったからだよ」
「本当にぃ? なーんか、私の知らないところで何かあった気がするんだよね」
「な、何かってなんだよ」
「さぁー。何かだよ」
女の勘と言うやつだろうか。さっきまでと打って変わって、疑いのまなざしを向ける増倉。
椎名と全国を目指そうと誓ったことは、おそらくまだ秘密なはずだ。少なくとも俺の独断で増倉に言うことはできなかった。
「じゃあさ、議論の方は? 何か議題見つかった?」
「……まぁ一応な」
「何々!? どんな議題!?」
そういって肩がぶつかるぐらいまで近づいてくる。
近い近い。ドキドキするだろ。
「……まだ言えない。議論始まったら言うからさ」
「えー。いいじゃん。このままだと私負けそうなんだし、お願い! 教えてよ」
頭の前で両手を合わせて頼んでくる。
別に今回に議論は勝ち負けではないんだが。
「言ったらダメだろ。フェアじゃなくなる」
「えー。私の方、大槻も山路も頼りになんないし、杉野だけが味方なの」
「俺は椎名の味方だってっ」
「でも、さっきは議論続けてくれたじゃん! ね、お願い!」
「ダメだ。あれは本当に終わり方が納得できなかっただけで、他意はない」
「…………ケチ」
「おい、聞こえてんぞ」
増倉は顔を膨らませ、そっぽ向いてしまう。
どうやら、俺から次の議題を聞き出すのが目的だったらしい。
「…なぁ、そんなに自分の持ってきた台本がいいか? 椎名の台本も良いと思うけど」
「嫌よ、あんな台本。誰も見学に来てくれなくなっちゃう」
「そんなことはないだろ」
「そうに決まっている。だって香菜、客受けなんか知ったことじゃないわって言ったのよ。せっかく新一年生全員の前でやれる貴重な機会で。ただ自分のやりたい劇を持ってきただけでしょ。その点、私はみんなに楽しんでもらえるようにあの台本を持ってきたの」
まぁ、言ってたなそんなこと。
純粋な楽しさだけだったら増倉の台本に軍配はある。
しかし、それだけで決まらないのが演劇の難しさの一つである。
「別に、楽しいだけが全てじゃないだろ」
「それは分かっているつもり。でも初めて見る人も多いんだから入り口は広いに越したことないんじゃない?」
「まぁ、確かに」
「じゃあ、次の議題何言うつもりか教えて!」
「それはダメ」
まったく、油断も隙もないやつだ。
「とにかく、香菜の台本になったら新入部員来なくなっちゃうよ? 杉野はそれでいいの?」
「いや、それは困るけど」
だからといって増倉の台本にしたところで大勢が部活見学に来る保証はどこにもないのだ。
結局のところ、椎名の台本にしろ増倉の台本にしろ、やってみなきゃ分からない部分がある。
「なら、今からでも私の方に来ない?」
「いや行かないから」
「なんでよー。私の台本の方が絶対楽しいって」
どうやら、増倉は「楽しいこと」に絶対的重きを置いているらしい。
確かに、劇を見て楽しんでほしいと思うことは大切なことだ。けど。
「やっぱり楽しいだけじゃいけない気がするんだよ」
「なんで?」
増倉が俺をじっと見つめながら聞いてきた。
その瞳の奥から敵意をぶつけながら。
「いやさ、うまく言えないけどやっぱり楽しいだけが演劇じゃないだろ」
「それは分かっているつもり。でも今回に限って言えば、楽しい方がいいでしょ」
楽しい部活と思われた方がたくさんの人に来てもらえる。それはその通りなのかもしれない。
だが、何度も言うが、先のことなんてわからないのだ。
「なぁ、そんなに多くの人に部活見学してほしいのか? 確かに椎名の言い方には問題あるが、演劇部なんて人気ある方じゃないだろ」
「もちろん、来てほしいに決まっている。だって大勢いた方が色々できるじゃない? 劇の幅だって広がるし、裏方だって多いに越したことないでしょ」
「でも、部活見学が来るからって必ず入るとは限らないだろ」
「だからこそ入り口を広くして、多くの人に知ってもらいたいの」
「けど、楽しい劇をやったからって部活見学に来てくれる保証はどこにもないだろ。ひょっとしたら椎名の台本の方が、人がたくさん来てくれるかもしれないだろ」
「それは……そうかもしれないけど……でも普通に考えたら、私の台本の方が多くの人が来てくれそうじゃない?」
「まぁ、な」
これ以上はただの水掛け論にしかならないのかもしれない。
そう思い黙ると、増倉もそれ以上は追求してこなかった。
ほんの少し沈黙が流れ、俺が教室に戻ろうとしたとき、増倉が呟くように言った。
「……私たち、ちゃんと二年生になれるのかな」
それはきっと進級どうこうの話ではないのだろう。
部活の一員として、ちゃんと成長しているかどうかということだろう。
二年生になれば部活の柱として、一年生を支えながら部活の方針を決めていかなければならない。
残念ながら、その答えを俺は持っていなかった。
「……誰が部長になるか分からない状況じゃ、何にも言えないだろ」
俺は逃げるようにそう言った。
「部長かぁ。ねぇ、杉野は誰になると思う?」
「そうだな。順当に言ってやっぱ樫田じゃないかな」
「まぁ、そうだよねー」
「増倉は誰になると思う?」
「私? 私はねー。そうだなー。男子じゃないとは思っているよ」
「え」
意外な答えに、俺は驚きの声を上げた。
「あ、でもこれ以上は秘密かな」
そう言って、右手の人差し指を唇の前で立てる増倉。
どうやら、俺のあずかり知らぬ何かを知っているらしい。
俺と増倉はその後も他愛ない会話を続け、教室に戻っていった。
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