6.貧民街の女帝
貧民街には危険な場所がいくつもある。こと、住民においては畏怖し近寄ろうとすらしない場所に来ている。
俺たちが貧民街に足を踏み入れた時、盗賊たちに囲まれていた。さらに「女帝がお呼びだ」と連れてこられた場所は盗賊のアジト。
「うぬが巷で噂のSランクパーティーを追放された無能か」
王座に座る絶世の美女が女帝であることは一目で分かった。
漆のような長い髪を切り整え、金糸で縫われた衣装と宝石の装飾品を付けている。妖艶な瞳がこちらを捉えた。瞳の奥に、じんわりと敵意を感じる。
敵意はあっても戦う気はないらしい。
隣に立つフェルスから強い歯軋りの音が聞こえる。
無能ではないと否定してくれるのは嬉しいが、今は危険だ。
ここで暴れれば、貧民街を敵に回すことになる。俺のために怒ってくれる子を叱ることはできない。
「頭ぁ! コイツは無能と有名です! どうせ何も出来やしない、さっさと追い出すべきでさぁ!」
部下の一人がそう言う。
来るのか?
女帝が立ち上がり、その部下を蹴り飛ばした。
そのまま踏みつけ、汚物を見るような目で続ける。
「痴れ者が。噂だけで人を判断するその短絡さ、貴様の弱点だと言っておるじゃろう」
「す、すみません!」
……なんか喜んでないか? き、気のせいだよな。
確かに彼女ほどの美女は見たことがない。貧民街に信じられないくらいの美女がいるとは聞いていたが、美貌だけじゃないな。統率力もあるみたいだ。
彼女の威厳と冷酷さ、物を見るような瞳がそれを物語っている。
感情に囚われない判断をする人間は損得勘定で動く。しっかりと女帝の理を提示出来れば、貧民街で生活することを許してくれるだろう。
「……無能という噂が、嘘である可能性は高いようじゃ」
小声で何か言っていたが、よく聞き取ることが出来なかった。
フローレンスは踵を返して王座に戻る。風に乗って柑橘系の香りが鼻腔を擽った。
俺は気づかれないようにこの女を鑑定で覗いていた。
相当良いステータスしてる。
【種族】人間
フローレンス 26歳 状態:警戒
魔力 小
剣士 S / S
魔法 D / C
器用 C / B
忠誠 0
【深刻な状態】
心と体に深い傷を負っている。
一番最後の文が気になるな……。
ステータスではフェルスの方が強いと思うかもしれない。だがフェルスはあくまで潜在能力の話だ。
まだ成長途中の人間と、成長しきっている人間を比べるのはあまりにも危険だ。
潜在能力はフェルスが上でも、実力的に言えばまだB程度の彼女では勝てない。
周りの人間もあまり強くないとは言え、フローレンスが厄介だ。
気を抜かないで行こう。
「数日前。王都で盗みを働いた男と、怪我をした衛兵がおったそうじゃ」
フローレンスは頬杖のまま言う。
「盗みを働いていた男は貧民街出身の冒険者、モンスターに腕をやられ再起不能とまで言われた。にも拘らず、腕を治した者がおる。さらに、近くに居た衛兵に弓を使うよう言い、本人すらも知らぬ弓の実力を見抜いた。その衛兵のせいで妾の部下が足に矢を受けてしまった」
どうやら、俺のことについては噂以上に調査済みらしい。
フェルスの警戒がさらに強まった。
だが、俺はフローレンスのステータスで状態が【警戒】から変化していないことに気付いていた。
もしフローレンスが戦うつもりであれば、状態は【危険】と表示される。
こちらに対する事実の確認と少しばかりの愚痴だろう。
フローレンスからすれば、俺のせいで仲間が怪我をしたんだ。腹が立つのも筋が通っている。素直に受け止めて、後で治癒すると約束した。
「鑑定スキル持ちの治癒師ニグリス。遅かれ早かれ、うぬを呼ぶつもりでは居た」
ある程度は実力が認められているらしい。
「俺なんかが何か役に立てるとは思えないが」
「謙遜するでない。誠実な男は嫌いではないが好かれぬぞ」
「謙遜ではないんだが……まぁいい」
治癒師が貧民街で必要とされているのだろう、と俺は考えていた。王都の方よりも、こちらは飢餓や病気が蔓延していると聞く。
しかも、表には出せないような犯罪も数多くある。
実は俺は薄々気づいていた。
なぜ治癒師が消えるのか。
先ほどのステータスにあった【深刻な心理状態】
何となく、繋がった。
「つまり、自分を治せそうな治癒師を片っ端から集めて、失敗したら消してるって所か」
「……鑑定(みた)のか。なかなか良いスキルを持っているようじゃな。お主がSランクパーティーを追放された無能とは信じられぬ」
フローレンスも相当の実力の持ち主だ。でなければ盗賊団を従え、貧民街の女帝として君臨することなんて無理だ。
俺の力は、他の治癒師とは違うと何となく分かっていた。
フェルスのおかげでそれに気づいて、ここ数日で確信した。
俺の治癒魔法はかなり優秀だ。だからと言って驕ったりはしない。
もしここで治癒に失敗すれば俺を殺そうと襲ってくるだろう。
失敗は許されない。前に進んだ。
「なら俺が治癒出来たら、ここに住むことを許可してくれ」
「良いじゃろう。許可するどころか、一番良い場所をくれてやろう。ただし、失敗すれば貴様には死んでもらう」
「ニグリス様、そこまで賭ける必要はありません。これは明らかに一方的な────」
「エルフの小娘。貴様には聞いておらぬ」
貧民街の女帝。話こそ聞いたことがあるが、目の前にしてみるとなかなか狡猾な女だ。
自分の巣に閉じ込め、逃げ場を無くす。
拒否権なんてない、か。仕方ない。
「……分かった」
どちらにせよ言質は取れた。
ならばあとはフローレンスを治癒するだけだ。治癒師として、助けを求められているのなら助けよう。
「ニグリス様! この女は危険です!」
「この状況で主人の心配をするとはな。よく出来た奴隷じゃ」
「奴隷じゃない。仲間だ」
一睨みすると「ほう……」とフローレンスが言う。
仲間を奴隷呼ばわりされて、少しだけ苛立ってしまった。
仲間を侮辱されるのが俺は一番嫌いだ。
前のパーティーで俺がそうであったように、同じ扱いは絶対にさせないと誓っていた。
あの辛さをフェルスに味合わせたくない。
「まぁ良い。お主だけ付いて参れ」
「フェルス。少しだけ待っていてくれるか?」
「……に、ニグリス様」
軽く頭を撫でてやり、フローレンスについていく。
そこは奥の寝室だった。
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