第31話 折れた刃~布部山の激闘
吉川元春が来る。それだけで尼子軍は浮足立った。
鹿之助は主要な面々を集め軍議を開いた。
「度々ですまないのだが冴名、どうすればいいか策を聞かせてくれ」
鹿之助は頭を下げた。
「そんな、策といっても」
と、冴名は顔をしかめた。この状況に至っては、もはやとるべき手立ては限られる。というより一つしかない。
「上策は、とにかく一刻も早くここを放棄することです」
じゃあ他には、と鹿之助は、せわしく続きを促した。冴名はそこで言い淀んだ。すぐに次善の案が思いつかなかったのだ。
「中策は、富田城と向かいの京羅木山の様子を伺いながら、夜陰に紛れて逃げること」
「う、うん。なるほど。そして?」
「下策は、見苦しいものが無いように陣中を片付けてから、しずしずと撤退することでしょう」
「結局、全部逃げるのだな」
鹿之助の落胆した問いに、冴名はうなづいた。いったい他に何ができる。
「わたしはもっと他に途があると思う」
言ったのは尼子勝久である。この物静かな少年が軍議に口を出すのは珍しい。
「ですが」
反論しかけた冴名は勝久の表情を見て思いとどまった。
「まさか。戦うおつもりですか、勝久さま」
☆
「わたしたちが生き残るためには、こんな処で逃げては駄目なんだ」
勝久の背後には尼子家の家紋、『
「もしここで敵に怖じ、背中を見せたとなれば、今後、織田どのからの支援も無くなるだろう。みずから闘い勝ち取らなければ、この乱世にわれらの居場所はないのだと思う」
「しかし……」
毅然とした勝久に圧倒され、冴名は口ごもった。しかし、毛利との兵数差はあまりにも大きい。まともに戦えば全滅すら有り得る。
「正面から正々堂々とやり合う必要はないだろうよ」
藪中茨之介が飄々とした口調で言った。
「俺たちが後方から毛利の連中を攪乱する。その隙に本隊であるあんた達は、敵の横っ面を二三発、張り倒してから逃げりゃ……いや、敵の反対方向へ全速で行軍すればいいのさ」
どうだ、と冴名の顔を伺う。
冴名は目を細め黙り込んだ。その頭の中ではこの作戦の可否を高速で計算している。敵の陣立て、それに対する尼子方の配置。戦術案を頭の中で描いては破り捨て、また描いては破り捨ててを、何度も繰り返す。
その結果。
「やってみましょう」
ついに冴名はうなづいた。
「毛利軍は四、五段に分けた方陣を組んで進んで来ます」
冴名は、さらさらと
尼子勢が布陣する布部山の麓は、やや開けているとはいえ、両側を山に挟まれ大軍が展開するのは困難である。必然的に縦陣、または方陣となるが、側面からの攻撃に弱い縦陣を採ることは無いだろう。
「その中で吉川元春は、先陣または第二陣あたりに位置する筈です」
毛利の陣形を表す四角を幾つか書き込むと、そのうちの一つを筆で示した。鹿之助は納得したように何度もうなずく。
「そうだな。前回もかなり陣の前に出て来ていたからな」
「前回? ああ、鹿之助が月山富田城で、こてんぱんにやられちゃった時だね」
「そんな時はないっ」
「そこへ私たちは
冴名は鹿之助に目を止めた。
「山中鹿之助。あなたに頼みます」
「任せておけ」
「藪中茨之介さまは一隊を率いて毛利軍の背後へ。前線で戦闘が始まったら、後方から毛利軍を襲撃してください」
そこで冴名は鹿之助と茨之介を交互に見た。
「ただし、どちらも深入りはしないでね。毛利の陣形が崩れたらすぐに転進するから。絶対にだからね」
真剣な冴名の表情に、二人は苦笑まじりに頷く。
☆
布部山の麓に毛利軍が姿を現した。冴名の予想通り、全軍を五つに分けた方陣である。吉川元春は第二陣にあり、全軍の指揮を執っている。
「逃げずに待っているとは殊勝な連中だな」
物見からの報告を受け、元春は薄く笑った。しかも陣形は紡錘陣。真っ向から向かって来るつもりらしい。
「さすが尼子、と言っておこう」
そして元春は左右に迫る山を見渡して顔をしかめる。木々が生い茂り、森の中の様子が伺えない。なるほど、と呟く。
「左右の森に警戒を怠るな。伏兵をひそめるには丁度いい地形だ」
すでに毛利軍の第四陣と第五陣は更に部隊を小分けにし、側方からの攻撃に即応できるよう配置してあった。
歴戦の吉川元春は、尼子軍の出方を見通しているかのようだった。
「小僧どもの生兵法がこの元春に通用するものかよ」
だが戦端が開かれると、吉川元春の表情は一変した。
「第一陣、中段まで突破されました!」
「児玉弥七郎どの討ち死にっ!」
「
届くのは味方劣勢の報告ばかりだった。
「どういう事か。敵の先鋒は何者だ」
叱咤された伝令は、その恐怖を思い出したように、顔を引き攣らせた。
「兜は三日月と鹿角の前立て。漆黒の鎧を着けた長身の男。十文字槍を揮い、我が陣をまるで人無きかのように切り裂いていきますっ!」
悲鳴のような声で叫ぶ。
元春はぎりっと歯ぎしりした。
「山中鹿之助、貴様かっ!」
毛利軍の第一陣を粉砕した鹿之助の前に、新たな軍団が展開している。吉川元春の率いる第二陣である。その中心には吉川家の家紋の入った幟が立ち並んでいる。
「冴名の言った通りだ。見つけたぞ、吉川元春!」
「前に出るぞ。続け!」
吉川元春は馬腹を蹴ると、郎党と共に最前線へ向かう。
その目に、漆黒の鎧を身に着けた男が猛然と突進してくるのが見えた。急速に迫る尼子軍の騎馬。その先頭に立つのはやはり鹿之助だった。
「端武者の首など打つ必要はない。狙うは吉川元春、只ひとりだ!」
鹿之助は槍を揮いながら叫ぶ。
毛利の第二陣も鹿之助の前に脆くも崩れるかと見えた、その時。
「小僧が。遊びはここまでだ」
他を圧倒する闘気を纏った男が最前線にその姿を現した。猛進を続けていた尼子の騎馬が揃って怯えを見せ、その場でたたらを踏む。
「また会ったな、山中鹿之助」
吉川元春は鹿之助の胸板を狙い、鋭く槍を突き出した。
毛利と尼子の激戦が展開されるなか、吉川元春と鹿之助の周りには誰もいなかった。唸りをあげる槍の応酬に近付く事すら出来なかったのだ。
「こいつ、出来るようになった」
元春は唇をかんだ。鹿之助の槍が何度も身体をかすめ、幾つもの傷を負っている。
もちろん同程度に鹿之助も負傷している。しかしまさかここまで互角とは思ってもみなかった。
(月山富田城の落城からまだ数年、この腕の上がり様はどうだ……)
目の前の男はかつて元春が叩きのめした時の鹿之助ではなかった。あれからどれだけ鍛錬を積んだものか元春にも想像がつく。その壮絶さに思わず戦慄した。
「あの時に貴様を殺しておけば良かったぞ。山中鹿之助!」
自嘲ぎみに元春が呼び掛ける。
鹿之助は答えず、更に槍を繰り出す。
「ぐっ」
元春が呻く。ついに鹿之助の槍が元春の甲冑越しに左肩に突き刺さる。だが大きくしなった槍の柄は鈍い音と共に裂け、鹿之助の槍は真っ二つに折れ飛んだ。
深手は与えられなかったと見た鹿之助はすぐに太刀を引き抜く。
元春も槍を捨て太刀を抜いた。
剣技のみならず馬の扱いにおいては、やはり元春に一日の長がある。元春の太刀が一閃するたびに鹿之助の身体から血飛沫があがった。
鹿之助の身体が馬上で揺らぐ。
その時。
「こっちだ、吉川元春っ!」
横合いを襲ったのは藪中茨之介だった。通常の太刀に長柄を付けた
陣の後方が固められていると知った茨之介の手勢はすぐに目標を変えたのだ。まさに神出鬼没、山間の戦いにおいては彼らに勝るものはいない。
「ちっ、次から次へと」
元春は吐き捨てた。だが第二陣は特に精強な者を集めている。すぐに茨之介の手勢は押し戻された。
疲労と出血のために一瞬意識が薄れた鹿之助だったが、茨之介が割り込んできたおかげで、どうにか息を吹き返していた。
だが意識を取り戻した鹿之助は自分の目を疑った。なぜか元春の動きが緩慢に見えるのだ。ゆっくりと太刀を振り上げ、斬りかかってくる。
それを鹿之助は難なく躱す。
(なんだこれは。夢でもみているのか)
鹿之助は頭の片隅で思った。
この現象は運動競技においても起こる事がある。極度に集中した結果、認識速度が限界を超え跳ね上がるのである。いわゆる『ゾーンに入る』という状態である。
元春が太刀を構え直すその一瞬。
電光のような鋭さで鹿之助の太刀は元春の兜へ叩きつけられていた。
その形状から『
元春はゆっくりと馬から転げ落ちた。
やや遅れて、兜を叩き割った甲高い金属音が鹿之助の耳に届く。そこで鹿之助はやっと我に返った。
戦場の騒めきが一斉に耳に流れ込んできた。
「おれは、いったい」
鹿之助は手にした太刀に目をやる。その刀身は中ほどで折れていた。
馬上から転落した元春は郎党に助けられ退いている。第二陣まで崩したものの、ついに吉川元春を討つことは出来なかった。
「刀が……」
鹿之助は折れた太刀を見て茫然と呟いた。
尼子の陣の後方で激しく
「早く、下がって鹿之助」
冴名が駆け寄り、鹿之助の馬の手綱を引く。
「田部長右衛門様に頂いた太刀が……」
「今はいいからっ!」
☆
毛利軍が混乱に陥っている間に、尼子勢は中海を目指し転進した。
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