第6話 尼子晴久、決断のとき
明智十兵衛はまず、京の情勢から説き始めた。
「誰も将軍をお
晴久の問いに、十兵衛は頷いた。
「この戦乱の世。将軍の御力になりたいという心は有るにせよ、長期間、領国を空ける事を考えると、上洛に踏み切れる大名は居りません」
「耳が痛い話だな」
晴久は渋い顔で頷いた。彼にしても背後の毛利、大内と敵対したままの状況で、この出雲を離れるなど思いもよらない。
「美濃、尾張にしても同様です。美濃の斎藤家は、道三公と嫡子義龍の不和が表面化して分裂状態となっておりますし、尾張は」
そこで十兵衛はしばらく考え込んだ。
「先代の信秀どのが亡くなり、後を継いだ信長どのは」
言いにくそうに言葉を濁す。
「その、まれに見る……」
「ああ。聞いているぞ。なかなかの『うつけもの』だというではないか」
晴久の言葉に、十兵衛は頷く。
「いずれにせよ上洛など、夢のまた夢なのです」
「そうか。他でもない、細川管領家と並び権勢を誇った山名家も、いまでは因幡(鳥取県東部)一国を保持するのがやっとだ。確かに世の変転は目まぐるしいものだな」
そうして晴久は、現在尼子家が置かれた状況を明智十兵衛と語り合った。明晰な十兵衛の返答に、晴久は何度も膝を打つ。
そうしている間に、やがて日は傾いた。
「明智どの。今日は面白い話を聞かせてもらった。城内に宿舎を用意したので、そこでゆっくりとなされよ」
十兵衛は丁寧に礼を返し、座敷を出て行った。
☆
「山中鹿之助、か」
尼子晴久との会談を終えた明智十兵衛は、同席した少年たちの事を思い出していた。ふふっ、と小さく笑みを浮かべる。
「家臣を見れば主君のうつわが計れるという。そうなると、やはり名君なのだろうな、晴久公は」
山中鹿之助、立原冴名、熊谷新右衛門。いずれも興味深い。
熊谷新右衛門は忍びの者に特有の鋭い観察眼と恐るべき体術を持つが、惜しむらくは家格が低すぎる。身分制度から外れた芸能衆の出身では、いまだ旧弊を残したままの尼子家では、大きな力を持つことは出来ないだろう。
おそらく今後の尼子家を背負って立つのは山中鹿之助という少年に違いない。
どこか茫洋として、隣に座る少女にやり込められていた姿からは想像もつかないほど、迷いなく、大胆な行いを為す。
明智十兵衛にして、思わず羨ましいと感じるほどの真っすぐさである。
「それが身を亡ぼす元にならねばよいが。……いや」
おれが他人に言えた義理ではないか。そう思い十兵衛は苦笑した。斎藤家の家督争いに巻き込まれ、こうやって流浪の身となった自分なのだから。
そしてあの少女。立原冴名。彼女はあの二人を上手く操って尼子家を盛り立てて行きそうな気もする。
いずれにせよ、晴久が健在であれば、尼子家は当分は盤石だという事は間違いなさそうである。
「残るは、
尼子家中のことを話す晴久が、唯一表情を曇らせたのが、富田城の北に位置する新宮谷を拠点とする、通称『新宮党』でなのある。
いつの世も、内乱は一族の力を削ぐものと決まっている。それにどう対処するか、君主の力量が問われる問題である。
「どうする、尼子晴久どの」
☆
先代、尼子経久の次男、
その結果、彼らは尼子家随一の勢力を誇り、威勢と発言力は本家の晴久すら凌ぐものがある。その彼らがいま、晴久の悩みの種になっていた。
まさに傍若無人。その強大な武力を笠に着て、他の家臣を侮蔑する態度はもはや目に余るまでになっている。
そしてそれは、晴久が明智十兵衛を引見した数日後に起きた。
「あの鉢屋の糞餓鬼め。身分を弁えぬ増上慢故に天罰が下ったのよ」
「まったく。
城内で大声で嗤い合っているのは、新宮国久とその息子、
それを耳にした立原久綱は晴久のもとへ急いだ。話を聞いた晴久の顔色が変わる。それは熊谷新右衛門のこと以外にあり得ない。
「今日は新右衛門を見ておらぬ。久綱、冴名に様子を訊いてみてくれ」
久綱は城を出ると、月山の麓に広がる城下町へ下った。
「これは……」
若いながらも胆力に優れる久綱だが、鹿之助の家に横たわる新右衛門を見て絶句した。全身に巻かれた布には血が滲み、顔は痣だらけで、瞼も大きく腫れあがっている。その枕元には鹿之助と冴名が硬い表情で座っていた。
新右衛門は久綱に気付き、身体を起こそうとする。
「いい。動くな新右衛門」
「これはどうした事だ……新宮党か」
鹿之助と冴名の殺気に満ちた視線がすべてを物語っていた。
「あんな奴ら。新右衛門なら簡単に返り討ちに出来たはずなのです」
冴名の双眸から涙が落ちた。
「……ばか。そんな事をしたら私闘になる。俺は晴久さまの命令がなければ、決して戦わない」
かすれた声で新右衛門は言う。だから敢えて何も抵抗せず、やられるままになったのだった。久綱は唇が切れるほど強く歯を食いしばった。
そのままでは叫び声を上げそうだったからだ。
鹿之助と目が合った。怒りを通り越し、凄まじく冷ややかな目だ。
久綱はうなづいた。
「来い、鹿之助。お
「では」
「ああ。新宮党は滅ぼさねばならぬ。奴らこそ、尼子にとって有害無益な存在だと、これではっきりした」
尼子家の中で、獅子身中の虫ともいえる存在になっていた新宮党だったが、ついに晴久は彼らを討つ事を決意した。
これが自らの手足を斬り落とすにも等しい所業であることは、晴久にも十分に分かっていた。
「だが、尼子は今こそ一枚岩にならねばならん」
晴久は立ち上がると、久綱と鹿之助に宣言した。
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