58. 転機
それから一年ちょっと経った頃だったな。俺も編集者として少しは仕事を覚えて面白いとも思ってた時期だった。
『先生、次の作品はどんな感じで書かれるのですか?』
『男が作家になるのを反対されて実家を出て、それから絶縁状態のまま両親と死別する話だ』
『え? そんなドラマでも使い古されたありふれたネタで大丈夫なんですか?』
『こら谷沢!』
この後、ありふれた
小説家を目指す盲目の青年が両親の反対を押し切って恋人と駆け落ちする話で、結局彼は挫折してしまい親の死に目にも会えないで次第に落ちぶれて行き、最後は恋人にも裏切られると言う内容だったなあ。
初版五千部限りで絶版。古本屋探し回ったら見つかるかもね。
あとこんなこともあったぞ。俺が棘川書店を辞めることを伝えに行ったときのことだ。あれも夏真っ盛りだったなあ。
『こんにちは先生、何されてるんですか?』
『おお谷沢きたか。お前も嗅ぐか?』
『いえいえ、遠慮しときます』
『そうか。塩素の混じったこの生臭さが格別なのだがなあ』
『…………』
孫娘のスクール水着だもんな。本物の変態作家先生様だと思い知ったよ。
『処で谷沢、今日は何の用だ。執筆依頼か?』
『あいえ、俺会社辞めるんです』
『ふむ。そうか漸く辞めるか』
『えっ、ようやくってどう言う意味です?』
『お前には大きな会社は似合わぬ。自ら出版社を作る気であろう』
『ええっ! どうしてわかったんですか!?』
先生にまだ話したことなかったのに……。
『吾輩にはお前の考えておる事など何でも判るのだ。今もボインちゃんのおっぱい揉み揉みぃ~などと考えておるのであろう。むふぉふぉ』
『いやいや全然違いますって』
でも俺の考え見抜いてたなんて、ただ者じゃない作家だと思い知らされたよ。
『だがこの不況のなかで新参の小出版社は厳しいぞ。それはお前の方が好く知っておるであろうがな。まあ、困る事があれば吾輩に何でも云うと好い』
『え!?』
『文章なら幾らでも書いてやろう。金が必要なら出そう。吾輩の小説は最近売れてはおらぬがな、まあ少し位の金ならある。息子からの仕送りもあるのでなあ』
『せ、先生! うっ……』
『こら谷沢泣くな。お前の晴れの門出であろう』
『くっ……は、はぁい先生!』
いやあ、あんときはホント嬉しかった。俺、会社辞めるのみんなに反対されて、出版社やるっつっても「バカな真似はよせ」だの「諦めた方がいい」だとか言われて、最愛の妻・カラコさえもあまりいい顔してくれなかったんだよ。
先生だけが背中押してくれたんだ。そうでなかったら俺、あんとき引き返してたかもしれないんだよな。
「ホント落花傘先生には感謝だよな……」
「ふむ。そうであろうて。高く高く空よりも高く感謝せねばなあ谷沢」
「はぁい、ってえええっ――っ! 先生なんでいるんすか? えっええぇもしかして幽霊!?」
えっとこう言う場合は、ほっぺつねるんだっけ――むぎゅうって、痛ぇー!
「こら谷沢、そんなありふれた芸のない反動的表現はよせ。品格が下がる。それに吾輩を幽霊扱いにするとは無礼千万、幽霊会社資本金一千万円――その様な物は存在せぬのであるからなあ」
「はあ、あのでも――」
「まあお前が驚くのも無理はないなあ。実は吾輩はな、今回はるばると冥王星から戻ってきたのだ。カラコさんが吾輩の遺志を継いで、
へー冥王星からねえ、そう言うことだったのか。納得納得♪
「あでも、先生」
「何だ、執筆依頼か?」
「あいえその、そんなに簡単に地球までこれるんですか? 冥王星ってかなり遠いんでしょ?」
「ふむ。それがなあ、ひとっ飛びなのだ。吾輩も驚いておる」
なんだひとっ飛びか、納得納得♪
「それじゃ先生、死んだ人は誰でも地球に戻ってこれるんですか?」
「何を云っておる。地球帰省規約があるのだ。多人駁論の連載第十一回目をちゃあんと読んだのかお前は!」
「えっ、そんな話ありましたっけ?」
「ありましたっけではないぞ谷沢。あーやれやれ。まあ、仕方がないので少しだけ引用する事にしよう」
冥王星では良い子にしておれば、一年に一回だけ一時間程度じゃが、魂を地球に戻してもらえる。じゃからこうして地球にやってくることができたのじゃ。
「あーあーありましたねこれ。確か
「そうだ、思い出した様だな」
「はいはい思いだしましたよ」
「そうかそうか。好かった好かった、あーかっぽれかっぽれ」
「ですが先生、まだ一年と言うか一か月も経ってませんよねぇ?」
「ふむ。それがなあ、何と云うか規制緩和とかでな、冥王星へいらっしゃい啓蒙・宣伝活動と云うのが始まっておってな。今年から冥王星到着後三か月までの者は、その期間に三回まで地球に戻して貰える事になっておるのだ。冥王星も随分と景気の好い事だな。ふぉふぉふぉ」
ふーんそうなのかってあれ確か冥王星は破綻寸前だって書いてあったぞぉ!?
「でも先生、冥王星ってかなり危ないんじゃなかったんですか?」
「今はそうでもない」
「持ち直してるんですか?」
「そうだ。ホットケーキミックス戦略が軌道に乗ってきてなあ」
「ホットケーキミックス戦略!? なんですかそれ?」
「ホットケーキ・イノチ首相が頑張っておる政策の俗称だ」
「えっホントですか?」
「ふむ。以前は冷めたホットケーキなどと揶揄されておったそうだが、最近は無闇やたらと張り切っておる様だ」
「へええ偉い人なんですね。そんな人だったら冥王星も助かりますね」
よかったよかった、あーかっぽれかっぽれ。
「実は冗談だ」
「はあ?」
「ふむ。幾ら冥王星と云えども、そんなふざけた名前の総理大臣がおる訳ないであろう。仮におったとしても、簡単に景気が好くなる訳はないからなあ。儲かるのは大企業と一部の投資家だけだ」
「ですよね」
て言うより、ホットケーキミックス戦略とかってそんなありふれたベタなギャクはやめた方がいいのになあ、品格が下がるよたぶん。
「それでなあ、冥王星政府は今度消費税を80パーセントから100パーセントに上げるつもりらしいのだ」
「ええぇー、100パーはきついですね。あいえ80パーでもかなりですけど」
「ふむ。そうであろう。低所得者が泣いておる。しかも馬鹿野郎の総理大臣は、米ないなら麦食えなどと抜かしておるのだ。全くけしからん。少なくとも生活必需品だけでも非課税にするべきだ。即刻解散総選挙だ!」
「はあい。俺もそう思いますよ」
「ふむ」
100パーだなんて桁違いだもんなあ。でも結局、冥王星は今景気いいのか悪いのかどっちなんだ?
「五百兆円の一億倍だとか言う借金なんてそんなにすぐには返せないですしね。やっぱいつかは破綻するんだろうなあ……先生はどう思います?」
「ふにゃ」
「あれれ先生寝ちゃってるよ」
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