第8話 主人公、空

「ここで、何をしているの? 」


 美琴が威勢を放ってそう言った。


 空を守る為に。


 そして何より、あの時何もできずにいた自分を、誰かに許してもらう為に。


 美琴は責任感が強い。道に自転車が倒れていたら、立て直してあげないと悪い事をした様な気分になるほどに。


 昨日空が京也に絡まれた時、それを見た美琴は心臓が止まりそうな気がしたのだ。もっと自分が上手くやれていたら。そんな事を考えずにはいられなかった。



 ーーだから今、ここに立っている。



「なんでここに美琴が来てんだ? 」


「ここで、貴方がしようとしている事を止める為よ」


「ほう、 」


 顔色一つ変えず、淡々と言葉を発する美琴。その表情には、今までの想いが詰まっていた。


「赤井くんは……来ていないようね」


 空が来ている可能性は少ないと推測していたが、来ていたら面倒になる。そう考えた美琴は、心から安堵した様子だ。


「お前、あいつを助ける為に来たのか? 」


「そうよ。貴方が彼の下駄箱に手紙を入れたのを、私は見ていたもの」


 美琴は嘘をついた。美琴が見たのは空が持っていた手紙の内容だけで、京也が入れた所は見ていないのだ。それでも美琴が京也が下駄箱に手紙を入れたと推測できたのは、京也が気に入らない生徒を手紙で呼びつけ、集団リンチをしている事を知っていたからだった。


「なんだ、見てたのかよ。でも助ける相手は逃げちまったようだが? 」


「そうみたいね。でも、丁度よかったわ」


 美琴が真剣な眼差しで京也を捉える。


 他の三人は、京也の後ろで薄気味悪い笑みを浮かべて立っていた。



「赤井くんに手を出すのは、やめなさい」



 美琴は今回の目的を果たす為、覚悟を決めてそう言った。



「嫌だと言ったら? 」



「私にできる事は、何でもするつもりよ」



 堂々とした態度でその場に立つ美琴。だが、本当は恐怖心に押しつぶされそうになっていた。美琴も、か弱い女の子なのだ。空に対し必要のない罪悪感を感じ、強がりで行動を起こしていなければ、今頃逃げ出している事だろう。


「何でも、か」


「ええ、なんでもよ」


「じゃあ」


 京也が美琴に近づき、それにつられて美琴は後退りする。そのまま後ろに行けば追い詰められる事はないのだが、誤って壁側に追い詰められ、ついには壁ドンまでされた。京也は美琴の耳元にそっと顔を近づけ、



「俺の女になれよ」



ーーーそれは、誰が見ても気持ちの悪い告白だった。



 その証拠に、他の三人が引いている。だが、美琴は拍子抜けしたような顔になっていた。しかし、すぐに真剣な表情に切り替わり、



「私は、私にできることならなんでもするわ」



「……」



 告白の返事を待っていた京也は、思わず言葉が出てこなかった。意外にも緊張している様子で、美琴を見つめている。



「だから私は、こんな事だってするのよ」



 京也から距離をとり、美琴は右ポケットから小さな機械を取り出した。上部に液晶画面がついている、リモコンのような機械だ。その機械を京也に見せびらかすように手に持ち、


「これ、なんだと思う? 」


「なんだ、それ」


 京也は不思議そうにそれを見つめていた。今更美琴がどんな事をしてくるのだろう、と。


「ボイスレコーダーよ。さっきまでの会話、全部録音してたの」


「録音、だと? 」


「そうよ」


 美琴は、勝ち誇った顔でそう言った。否、美琴はもう勝った気になっていた。


「このデータは録音完了と同時に、私のパソコンに転送されるという優れものなの。だから貴方のさっき言った恥ずかしいセリフも全部、私の手の中にあるわ」


「そうか。で、だからなんだ? それをネットにでもアップされたくなければ、言う事を聞けってか? 」


「そうよ」


 好きな女になんでもすると言われて、京也は「俺の女になれよ」 と言ったのだ。誰が見ても恥ずかしいし、誰にも知られたくは無いだろう。美琴はこの時、京也の弱みを握ることができたと、そう確信たのだ。それなのにーー


「ははっ、俺も随分と美琴に舐められているもんだなぁ。こんな事で俺が引き下がると、本気で思っているのか? 」


「ええ、本気よ。だからーー」


「だったら! 」


 美琴の声を遮るように、京也は威圧感のある声を発した。


「俺も美琴の恥ずかしい動画を、撮ればいいだけの話だよなぁ? 」


 京也は、薄気味悪い笑みを浮かべて、そう言った。



 そして数秒後、校舎裏には誰もいなくなった。




✩.*˚




 自販機を後にした俺達は、部室に向かっていた。自販機がある本校舎から長い廊下を抜けた後、旧校舎があり、そこに部室がある。俺が今日呼ばれた校舎裏とは、今向かっている旧校舎は反対方向だ。


 廊下の半分くらいまで来た頃、白先輩が前を向いたまま俺に話しかけてきた。


「そういえば今日は美琴、部活来るのかな? 」


 昨日美琴が部活を休んだ為、白先輩は今日美琴が来るかを心配しているのだろう。


「今日来るらしいですよ。朝聞きました。あ、でも少し遅れるらしいです」


「そうか」


 安堵した様子で嘆息する白先輩。だが、その後何かに気づいたような顔で唸り、


「んー。美琴が部活に遅れるって言ってたのか? 」


「え? そうですけど? 」


「それ、変じゃないか? 遅れるとして、なんでわざわざ伝える必要がある? いつもなら遅れるとしても言わないだろ? 」


「たしかに、そうですね」


 言われてみればそうだった。美琴は日直であろうと掃除当番であろうと、部活に遅れる事があまりない。というか部活自体始まりの時間なんて決めてないのだから、遅れると言われる事自体が不思議だった。


「俺がわざわざ聞いたからとか? 」


「まぁ、昨日来なかったからな。今日遅れるよって美羽なら律儀に言うだろうが」


「美琴ですもんね」


 俺は言いながら苦笑した。美琴はわざわざそんなこと言わない。だがそれがなんだ? ただそれだけのことじゃないか。


 だが、どうしても引っかかる。


 そういえばあの時、手紙を見られていたような……?



 俺の脳内に、嫌な光景が映った。



「いや、まさか……」


「どうかしたか? 」


 そもそも、美琴がそんなことすると思うか? 「赤の他人を助けるのは間違っている」 みたいな事を白先輩に遠回しに伝えておいて、自分は他人を助けるってそんな事、あるはずがない。


 嫌な事から目を背けてしまう俺の悪い性格が、恐ろしい事が起きている可能性を考えさせないようにしている。



 でも、本当はわかっている。いや、初めから気付いていたんだ。



 だって俺が好きなのは、そういう美琴なのだから。



 優しくて、強がりで、自分よりも他人優先で、責任感が強く、真っ直ぐで、そして不器用な女の子。それが美琴だ。



 だから、恐らくーー



「俺、校舎裏行ってきます! 」


「はぁ? お前、何言ってーー」


「先輩は、部室を守っててください! 」


「おい、空! 」



 心より先に、体が動いていた。



 主人公じゃなくてもいい。ヒーローになんて、なれなくてもいい。



 だけど、今だけは。



 好きな人を守るため、俺は校舎裏まで走っていた。息を切らし、心臓が飛び出しそうになるほど心拍数が上がっている。だが、心は火のように熱く燃え上がっていた。


 三年前、部室に京也達が乗り込んできた時に何もできずただ立ち尽くしていた事を思い出した。このままでは一年半後に美琴と美羽先輩を助けることもできないだろう。だから今日、変わるのだ。


 強い決意を胸に、俺は校舎裏までたどり着いた。だが、


「あれ? 誰もいない」


 荒れている息を整えながら、状況を確認した。美琴はおろか、京也の姿もない。さっきまでの俺の勢いは完全になくなり、熱が冷めていく。


 すると途端にさっきの自分に恥ずかしくなってきた。なにが「主人公になれなくてもいい、ヒーローになんてなれなくていい」だ。悪役もいないじゃないか。


 だが、それでいい。そう安心していた矢先だった。


 ーー離して!


 美琴の叫び声が、どこかから聞こえた気がした。周りを見渡すが、誰もいない。それもそのはず、ここは人気のない校舎裏だ。だとしたら、体育館か? 


 体育館の中を覗き見るが、バスケ部とバレー部が数名練習をしているだけで、美琴の声が聞こえるにしてはおかしい。


 残るはグラウンド。遠くの方にサッカー部が数名でコート整備をしており、美琴の姿はない。この学校はあまり部活動が盛んではないため、そもそも放課後に残る生徒の数が少ないのだ。


 ーーやめて! んんー!


 また聞こえた気がした。だが、さっきよりも声が小さく、はっきりとは聞こえない。


 辺り数十メートルのグラウンドに、人影はない。体育館は締め切られていて、中からの声はあまり届いてこない。


 とすると、残りはグラウンドの隅にある体育館倉庫しかなかった。


 恐怖心を押し殺しながら、走って体育館倉庫に向かう。倉庫から『ガタンッ』という音が聞こえ、より恐怖心が増していった。だが、もう止まらない。


 俺は勢いをつけて倉庫の扉を開こうとしたが、鍵がかかっていて開かない。だが、どうやら外側の鍵らしく、内側に人がいるとしたらおかしい。


 そんな事を考えていると、倉庫の死角から人が出てきていたが、その事に俺は気付かなかった。


「おらぁ! 」


 いきなり金属バットで背中を殴られ、俺は気を失いかけた。嗚咽感とともに、「うっ」 と言う声が漏れる。


「ははっ、気持ちいいねぇ」


 そこに立っていたのは、猿のような顔をしたチビだった。俺は扉に手をつき、痛みに悶える事しかできない。


「もういっちょ! 」


 今度は、バッドで頭を殴られた。幸い反応して避ける事ができたので、頭のてっぺんから直撃ではなく、前頭葉がある位置に少し当たる程度で済んだのだが、それでも当たったのは事実だ。頭から血が流れており、今にも倒れそうになってしまう。


 猿は俺の髪を持ち上げ、俺を後ろに投げようとした。だが俺はなんとか大地を踏みしめて立ち、痛みを堪えて腹に力を入れ、


「おまっ! 」


「っっっっざけるな! 」


 俺は悲痛な叫びと共に、正拳突きを猿の腹に直撃させた。後ろに吹っ飛んだ猿は、そのまま意識を失って動かなくなった。


 猿が吹き飛んだ際、ポケットから光を反射させながらカランカランと音を立てて、鍵が地面に転がった。


 ふらつきながら鍵を手にし、今度こそ倉庫の扉を勢いよく開ける。



 ーー俺は倉庫の中の光景に、言葉を失った。



 この狭い倉庫には、体育館で使うものがずらりと並んでいるのだが、俺の真正面の奥には跳び箱台が置かれており、そこに制服姿の美琴が口にティッシュを詰められ、縄で縛られ、涙目で必死に抵抗しながら座っていた。京也が美琴のスカートを捲し上げ、パンツに手を掛けて引き剥がそうとし、デブの男が縛った縄を美琴の頭の上で持ち、眼鏡の男がそれを撮影しているという、レイプ現場に足を踏み込んでしまったのだ。


 男三人が手を止め、こちらに注目している。京也は狂った目をしてにやけているが、他の二人は焦った表情をしていた。


 今にも泣きそうな顔で羞恥に悶えていた美琴と、目があった。ティッシュを口に詰められているのでなんて言っているのかわからなかったが、「助けて」 と言っているような気がした。


「よく来れたなぁお前。でもその体で何ができるんだ? 」


 京也が挑発的な態度で、ニヤけながら言ってきた。目は血走り、正常な状態ではなくなっている事が見てとれる。


 俺は何も言い返さなかった。言い返す、余裕がなかったからだ。意識が朦朧とし、視界はぼやけ、もはや何も考える事ができない、そんな中、



 ーー頭の中で、何かが切れる音がした。




「うあああああ!!!! 」  




 空は叫んだ。痛みで叫んだのではなく、怒りで叫んでいたのだ。


 両手をぶら下げ、まるでゾンビのような体勢になる空。そのまま動きがない。


 空の叫びに、固まる三人。驚きに固まったのではなく、空の威圧感に思わず恐怖したのだ。



 一瞬、時が止まったような気がした。



 再び時が動き出したのは、空が動いた時だった。


 目にも留まらぬ速さで、まずは京也の顔面をぶん殴る。その間、僅か二秒。


 その後、空を捕まえようとしたデブの手を掴み、手首を曲がらない方向に折り曲げた後、痛みで顔が歪んだデブの顎をアッパーで殴り、体を宙に浮かせた。その間僅か十秒。


 デブが落ちると同時に、メガネの持っていたカメラを取り上げて地面に叩きつけ、逃げようとしたメガネの足を引っ掛けて転かせ、背中を踏みつける。


 三人の男の意識が無くなるまで、二十秒もかからなかった。


 ここで力尽きた空は、その場で倒れてしまい、意識を失った。



 ーーその姿はまるで、物語の主人公のようだと美琴は思った。



 その後、口に詰められたティッシュを吐き出し、自力で縄を解いた美琴が空に駆け寄って血をティッシュで拭いていた所を、偶然通り掛かった先生に見つかり、空は病院に運ばれたのだった。


 因みにヤンキー四人は気を失っていたが大した怪我ではなかったので保健室送りになった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る