第7話 手紙

 翌日。


 朝起きてリビングに行くと、母がソファで眠っていた。テレビには昨日放送のドラマ、「泣くよそれなりに」 の三話が映し出されている。これは以前奏が家でも演じていた江戸時代が舞台のドラマで、母も同じドラマに主演として出演している。因みにドラマでも母は母役で、奏は娘役だ。


 母の名前は、赤井京子(あかいきょうこ)。四十一歳。整った顔立ちに、サラッと長い足、引き締まった二十代の様な体をしている。身長は百七十センチくらいだろうか、俺よりも数センチ高い。少し茶色がかった長い黒髪に、大人っぽい雰囲気が漂う、四十代とは思えないほどの美魔女だ。


 その反面、家事はほとんどできず勉強も苦手だが、中学の頃から演劇部に所属しており、高校生の時に大きな舞台で演技をした事もあるそうだ。そのため、演技に自信があった母は父と離婚した際、「私には演技しかない! 」 と意気込んで大手芸能プロダクションの新人オーディションに応募。千人以上もの応募者の中から見事選ばれ、今では誰もが知る有名女優になっている。


 そんな天才女優の母が、Tシャツ一枚にジャージ姿というだらしない格好でソファに寝転がり、寝息を立てて眠っていた。このままでは風邪を引いてしまうと思い、起こそうと俺は母の肩を揺する。


「母さん、風邪ひくよ」


「ん〜? ああ、おはよう、空」


 母は寝ぼけ眼で体を起こした。目の下には薄くクマができており、昨日も遅くまで仕事があったことがわかる。


「ああ、まだ寝てたい。できれば起きたくない。なんで起こされなきゃならないの……」


「そんな所で寝てたら風邪ひくだろ。ほら、立って」


 そう言って俺は母の両脇に手を入れ、持ち上げようとするが、母はなぜか反抗してくる。


「離してー! 痴漢ー! 」


「やかましいわ! 」


「お兄ちゃん、何してるの? 」


 嫌なタイミングでリビングに訪れたのは、妹の奏だ。


「奏助けて! 今、空に襲われてるの! 」


「お兄ちゃん……童貞だからってそれはちょっと……」


「違うぞ奏! お兄ちゃんはそんな変態じゃないからな! 」


「どうだか」


 俺のことを半目で見つめてくる奏。からかわれている事はわかっているが、万が一俺の事を母を襲う様な変態だと思われているとしたら洒落にならない。というか、二人とも演技が上手すぎて、演技かどうかを見分けるのが難しいのだ。


 俺をからかう事に飽きたのか、母が「久しぶりに空の御飯が食べたい」 と言い出したので、俺はキッチンにて朝食を作り始める事にした。


 現在六時五十分。まだ学校までには余裕がある。そう思った俺は久しぶりに母に手料理を振る舞える事を嬉しく思い、朝食にしては豪華な料理を作る事にした。自家製ドレッシングのシーザーサラダ、豆腐ハンバーグ、目玉焼きなどが、テーブルの上に並べられる。因みに、料理をテーブルまで運んでくれたのは奏だ。


 席について手を合わせ、いただきますをしてから豆腐ハンバーグを口に入れる。豆腐だが肉にも劣らないジューシーな出汁が、口の中いっぱいに広がる。隣で食べている奏も、向かいに座った母も美味しそうに口を綻ばせていた。


「ほんと、空の作った料理は美味しいわ。この間食べた、どこだかわからない名店のハンバーグよりも、空が作ったこの豆腐ハンバーグの方がお母さんは好きよ」


「それは、どこだかわからない名店のハンバーグに失礼だと思うが……」


 そんな事を言いつつも、母の褒め言葉についつい喜んでしまう自分がいた。


 ふと視線を移すと、テレビにはまだ「泣くよそれなり」 が映し出されていた。おそらく何度もリピートして見ているのだろうか、さっきも同じ場面を見た気がする。母が主演のこのドラマでは、母と娘が二人で食事をするシーンがあり、今まさにそのシーンが流れ出した。


 テレビで映し出された二人が実際に目の前にいるという事は今までにも何度かあったのだが、今だに慣れない。というか、二人は恥ずかしくないのだろうか。


 しばらく沈黙が流れた後、母が話し出した。


「このドラマの監督、苦手なのよねぇ」


「わかる。事あるごとに近づいてきて、お尻とか触ろうとしてくるのよあの監督! あー思い出したら寒気がしてきた……」


 監督の愚痴を次々に吐き出す二人。因みに、俺の記憶が正しければこのドラマは大ヒットし、世間に天才女優親子として名を轟かせる事になる、特に奏にとっては出世作になる作品なのだ。その作品の監督の事を、目の前の親子はことごとく変態扱いしているのだった。


 三十分ほど監督の悪口に花を咲かせた後、母が奏の演技について真剣な表情でダメ出しをしていた。お陰様で既に食べ終えていた全員の食器を、俺が洗う羽目になった。


 八時五分。少し余裕を持って家から出た俺は、徒歩で学校へ向かう。家を出る時にはダメ出しは終わっていたようで、半泣きになった奏と、娘を半泣きになるまでダメ出しをした母に「行ってきます」 と言うことができた。やはり、役者の道は険しいらしい。


 六月の朝特有の生暖かい風頬を撫でる。今は衣替えの時期なので、夏服と冬服を選ぶ権利が与えられている。俺は暑いのが苦手なので半袖を着用しているが、周りにはまだ冬服を来ている生徒がちらほら見受けられた。今日の天気は快晴。梅雨はもう終わっているらしく、夜まで降らないとネットニュースで見たので、傘は持ってきていない。


 校門を潜り、下駄箱に着いた。下駄箱を開けると、二つ折りにされた紙が一枚、ヒラヒラと揺れながら地面に落ちた。


 ん? なんだこれ? もしかして、ラブレターか!?


 そう期待に胸を膨らませ、紙をとって開ける。


 内容を見た俺は、絶望することになる。


【放課後、校舎裏に来い】


 手紙には、こう書かれていたからだ。


「なんだ、これ……? 」


 さっきまでの期待感は海深くまで沈み込み、逆に恐怖心が湧き上がってきた。


 昨日の事件を根に持った京也が、俺に復讐をしようとしているに違いない。そう考えると、色々な事が脳裏によぎる。


 もちろん、校舎裏になんて死んでも行きたくはない。だがしかし、俺が行かなかったとして美琴はどうなる。もしかすると、文芸部のみんなに迷惑をかけるかもしれない。


 そんな事を考えていると、聞き慣れた声が、後ろから聞こえてきた。


「どうしたの? 赤井くん」


 美琴だ。


「いや、なんでも」


 俺は、焦って手紙をポケットに隠した。


「なにを隠したの? 」


「な、なんでもないよ」


「嘘よ。何か持っていたでしょ」


「いや、ほんとに! 大丈夫だから」


 必死になって隠そうとする俺に疑惑を抱きながらも美琴は「そう、別にいいのだけれど」 と言って、深く追及してくることはなかった。


「それより、今日は部活来れるのか? 」


「ええ、もちろんよ。昨日はちょっと用事があっただけだから」


「そうか、なら良かった」


「でも、そうね……少し、遅れるわ」


「そうか、わかった。じゃあまたな。みーー」


 美琴。と言いかけて辞め、


「浜寺」


「ええ、また」


 一緒に教室に行く勇気がなかった俺は、颯爽と教室への階段を駆け上がって行くのだった。


 教室に着いた俺は、深呼吸してから扉を開いた。教室には既に生徒が半数以上入っており、さっきまでみんな賑やかに会話を楽しんでいたのだが、俺が入る事により一瞬で静かになった。俺の席には、京也達が座っていたからだ。


 みんな、昨日の様な喧嘩が起きるのではないかと警戒している。中には、廊下に避難する生徒もいるほどだ。俺は覚悟を決め、席に近づいた。俺が自分の席の前まで来ると、京也は立ち上がって俺の肩に手を置き、


「待ってるぜ」


 と耳元で囁いた。


 俺の心臓が、恐怖によって心拍数を早めている。頭が真っ白になって妙な汗をかいているが、それを必死になって隠し、席に座る。自分では普通に座ったつもりだったが、傍から見ればゆっくりと座っている様に見えただろう。緊張で体の震えが止まらない。


 真っ白の頭でなんとかカバンを開け、教科書やノートを机の中に放り込んだ。放課後、自分がどうなるのかを想像すると、泣きそうになった。


 結局、放課後までどうすれば解決するのかもわからず、怯えながら過ごすことしかできなかった。


 そして放課後。


 俺は指定された校舎裏に行く前に、自販機でジュースを購入していた。かなりの緊張で、喉が渇くのだ。


 白先輩に相談しに行くことも考えたのだが、迷惑をかけたくないので辞めておいた。あれだけ強い白先輩でも、相手が十人以上いたとすれば流石に負けるだろう。そんな危険に巻き込むわけにはいかない。そんな事を思っていた矢先、白先輩が現れた。


「よっ、空。今から部室か? 」


「あ、白先輩。いや、今日は俺用事があって……」


「そうか。じゃあ未来から来たって事は、来週まで言わないでおくか」


 突然のドタキャンにも怒らず、和やかな表情で白先輩はジュースを買っていた。


「それより大丈夫か? お前顔色悪いぞ」


「大丈夫です。ありがとうございます」


「は? 」


 その瞬間、白先輩は真剣な表情になり、


「お前、何か隠してるだろ」


「え? 」


「わかるんだよ、お前が何か隠してる時は。ほら、早く言え」


「嫌です」


「言えよ、殴るぞ」


「え、殴るんですか? 」


「ああ、本気で殴る」


「ええ、」


 あまりに真剣な表情で言う白先輩にたじろいた俺は、渋々例の手紙を見せる事にした。


 白先輩は手紙をマジマジと見つめた後、低いトーンで


「よし、俺が行ってくる」


「そう言われると思ったから言わなかったんですよ」


「大丈夫だ。俺を信じろ」


「ちょっと待ってください白先輩。また、無期停学になるつもりですか? 」


「それは……仕方ないだろ」


 この学校では、いくら大人数対一人の場合でも 【喧嘩をした】 と言うだけで悪者扱いされる事が多いのだ。


「それに、相手は何人かわかりません。一人で行ってもやられるのは目に見えてます」


「じゃあ、どうするんだ? 」


「俺もさっきまで一人で行く気だったんですけど気が変わりました。無視しようと思います」


「それ、大丈夫か? 明日、教室とかでお前がリンチされるかもしれないぞ? 」


「多分、大丈夫だと思います。それなら今日、されてるでしょうし。それより文芸部に来られた時が一番厄介ですね」


「それなら大丈夫だろ。部室の鍵は絶対に開けないように、今日みんなに言っておけば」


「それもそうですね」


 話が一通りまとまったと見て、白先輩が買ったジュースを一気に飲み干した。飲んでいたのはオレンジの缶ジュースだった。俺もさっき買った葡萄のジュースを飲み干す。


「それと、もしもまたこういう事があったら、すぐに相談しろ。わかったか? 」


「はい、わかりました。」


 俺は叱られた子犬のようにしゅんとなり、そう返事した。白先輩は一時は怖い顔をしたものの、俺の顔を見るなり「分かればよろしい」 と言って安心した様な顔を見せた。


 こうして、京也からの呼び出しに無視する事を決めた俺たちは、文芸部室に向かうのだった




 そして後で後悔する事になるのだ。


 この時すぐに校舎裏に行っておけば良かった、と。




✩.*˚




 空達が自販機で話していた頃。


 京也は仲間を三人連れ、校舎裏で座って待機していた。メンバーは、デブで強面の男と、猿の様な顔のチビと、眼鏡をかけているがヤンキー感が否めない奴と、京也の四人だ。


 一週目の過去で文芸部に乗り込んだ奴らと、同じメンバーである。因みに、クラスは違うが全員同い年だ。


 校舎裏は体育館の側にあるが人は全く寄り付かず、最高の喧嘩スポットとなっている。フェンス越しに外が見えるが、木が邪魔になってあまり見えない様にもなっている。


 細い校舎裏だが、三人で屯するには十分だ。休み時間にはよく三人でここにきてタバコを吸ったりもしている。


 悪い笑みを浮かべた猿が、笑いながら京也に話しかける。


「来るかなぁ? あいつ」


「さぁ、どうだか」


「こねぇだろ、普通に考えて」 とデブがハンバーガーを食べながら言っている。


「普通なら、そうだな。でも恐怖心のあまり、逆に来る可能性もあり得る」 と眼鏡。


 それぞれ来るか来ないかの議論をしていると、不意に足音が聞こえた。


「きたぁ……」


 ニタァと笑って猿が興奮している。


 全員が一斉に立ち上がり、校舎側に視線を向ける。そこに現れたのはーー


「ここで、何をしているの? 」


 凛とした顔立ちの美少女。


 本来なら空が最も守らなければならない存在。だが今は空を守る為、ここにやってきている。



「なんでここに美琴が来てんだ? 」




 ーー浜寺美琴の姿が、そこにはあった。

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