第13話 私と時彦さんの出会いと別れ





私の枕元で、スマートフォンが振動している。着信音は鳴らない。今は誰にも構ってほしくないから。


でも、その振動は長いこと二度続いたので、二度目で私は手に取って画面を見た。


「舞依…?」


昨日、舞依は家に来てくれた。でも、それなのにまた電話を掛けてきたってことは、何か重要な用件ってことよね。


「出るかぁ…」






私は、舞依からの電話に出て、「はい」と言った。その声からはまるで気力が抜けているのが分かったけど、もう隠しておくことも辛くてできなかった。


“雪乃!やっと出た!ねえ、わかったよ!時彦さんのこと!私、話したから!”


電話の向こうで舞依は、大喜びしたように勢い込んで話している。私はそれをどこか遠くに聴いている気分だったけど、「話した」というのが引っ掛かった。


「話したって、誰と?」


“時彦さんと話したの!それで、雪乃に説明したいって!”


え?なんですって?


私はそれまでベッドに横向きに寝転んで、片耳の上にスマートフォンを乗せ、部屋にあるぬいぐるみを抱きしめた格好のままだった。でも、舞依が口にしたことに急いで起き上がり、胸を押さえる。


“雪乃が見たのは、時彦さんと、妹さんだって!”


えっ…。



「えええ~!?」







翌朝、私はお母さんに「今日は駅前に出かけてくるね」と話をした。


「まあ、一昨日まで休んでたのに、大丈夫?」


「うん、もうよくなったから。それに、大事なお出かけなの」


「…そう。じゃあ、気を付けて行ってらっしゃい。明日は学校には行けそうなの?」


「うん!あ、それと、この服…変じゃないかな?」


私がそう言うと、お母さんはお皿洗いをしていた両手をタオルで拭いてから、ぐるりと私の周りを一周してみせた。


「…うん!どこから見てもかわいいわ!」


「ありがとう!じゃあ行ってきます!」







待ち合わせはローカル線の終点で、大きな駅の前だ。私が時彦さんと、妹さんらしい女の子を見かけたバス停のある駅。そこには駅ビルの中に喫茶店があったので、私と舞依はそのお店の前で立っていた。


「ねえ、ほんとに来るかな?」


「来る!来なかったら、電話で文句言ってやる!」


「ちょ、ちょっとぉ、大丈夫だってそんなに息まかなくても…」


私がそう言って舞依の方を向いた時、その向こうに見える改札口から、背の高い男性が出てくるのが見えた。私はその瞬間、自由を奪われたように、その人を目で追っていた。


あの時のように。


そして時彦さんは私たちのところまで近寄ってきて、少し距離を取ったところで挨拶をした。


「初めまして。こんなところまで、ごめんね二人とも。君が舞依ちゃんかな?」


時彦さんはスーツ姿でネクタイを締めていた。私はそんな時彦さんは初めて見たから、突然彼が大人になって現れたのを見たかのように、ときめいてドキドキしていた。


いや、元々大人なんだけど…。


「今日は、よろしくお願いします」


先に舞依がそう言って頭を下げる。私もそれに倣って、慌ててお辞儀をした。顔を上げてなんとなく舞依の方を見ると、舞依はどこか厳しい目で時彦さんを見つめていて、時彦さんは困ったように笑っていた。


「じゃあ、お店に入って早く休もう」


時彦さんがそう言った時、彼の目は、私を見ていた。







私たちは喫茶店に入って、私と舞依は紅茶、時彦さんはコーヒーを頼んでいた。


「お砂糖とミルクはお持ちいたししましょうか?」


そう聞いた店員さんに、時彦さんは「僕は無くて大丈夫です」と返事をしていた。


私はそれを聞いていても、「やっぱり大人なんだなあ…」と思っていた。




「それで…久しぶり、雪乃ちゃん」


舞依の前に座った時彦さんがこちらを見つめる。


一緒に生活していたに等しいんだから、緊張しなくてもいいくらいかもしれないけど、こうして会うのはやっぱり初めてだと思ったから、緊張する。


「お久しぶりです…」


そう言って私はうつむいてしまった。その時、こう思ってしまった。



舞依…心配してついてきてくれたのは嬉しいけど、できたら、時彦さんと二人きりで話してみたかったな…。



本当にそう言ったら、舞依にはすごく怒られるんだろうなと思って紅茶をひと口飲もうとすると、私の隣にあったティーカップが、かたんと少し大きな音を立てて置かれた。


見ると、舞依は顔を真っ赤にしていて、ティーカップに両手を添えてもじもじしていた。


「舞依?どうしたの?」


私はそう聞いたのに、舞依は私を見ずに、時彦さんをきっと睨みつける。


「時彦さん」


舞依の声は厳しく刺々しくて、私は不安になった。


「なに?」


時彦さんは手に持っていたコーヒーカップを置いて話を聴く。私もなんとなくカップをソーサーに戻した。


すると雪乃はあろうことか、こんなことを言い出したのだ。



「雪乃は…雪乃はまだ中学生なんだからね!手を出そうったってそうはいかないんだから!わかった?」



私はもうびっくりしてしまって、慌てて舞依の右肩を掴む。


「ちょっと舞依!何言い出すのこんなとこで!それに、声が大きいよ!」


私が必死に焦って、舞依がまだ時彦さんを睨んでいると、不意に時彦さんのくすくす笑いが聴こえてきた。


それを追いかけると、時彦さんはちょっとだけ肩を震わせて、口元を押さえていた。その手を除けると、ちょっと首を傾けてから、彼はこう言う。


「これはまいったな。…わかってるよ。全然そんなつもりじゃない」



その言葉に私はいくらかのショックを受けて、舞依の肩を掴んだまま、動けなくなってしまった。それを見て、時彦さんはちょっと申し訳なさそうな顔をする。



ああ。私、フラれた。



「じゃあ、話そうか。僕と雪乃ちゃんがいつ会ったのか」


「えっ?」


私はまたびっくりした。


「会った…?って、どういうこと?」


舞依も驚いたのか、先を聴きたがった。


そんな私たちを見つめてから、時彦さんは前に下ろした両手の中に目を落とし、遠く優しい思い出を見つめているような目をした。



「僕は、二十歳の時に、飼い犬の散歩に出かけた。でも、途中で僕の犬はケガをしてしまって…動けなくなってしまったんだ。家に連れ帰るために抱きかかえようとすると、体がひどく痛むのか、茶々丸は吠えて逃げようとする。それで困り果てていたところに、近くの家から飛び出して来てくれた女の子がいた…。その子はお母さんをすぐに連れてきてくれて、その子のお母さんは、自分から車を出してまで、なんとか動物病院に茶々丸と僕を連れて行ってくれた…さて、誰のことだろう?」



そこまでを話して時彦さんは顔を上げ、私を見つめた。とても優しい目だった。



そういえば…小さな時、外からキャンキャン鳴いてる犬の声が聴こえてきて、あんまりにもかわいそうになってきて、ちょっと怖いけど行ってみたことがあったような…。



「あれ、時彦さんだったんですか…?」


「そう。…後日のお礼には、僕はアルバイトの予定があって行けなかったから、ずっと、君にお礼を言えなかった…。それが多分心残りで…事故に遭ったあと、君の家に現れたんじゃないかな」


私はそれを聞いて、胸がじんと熱くなった。それに、なんだか泣きそう。



「あの時は、茶々丸のために、どうもありがとう。本当に、お礼が遅くなってごめん」


そう言って、時彦さんはにこっと笑ってから頭を下げた。その姿に私も舞依も驚いていた。






紅茶とコーヒーを飲んだら、もうお別れの時間が来てしまった。私たちは断ったけど、時彦さんは三人分の会計を自分で済ませて、私たちのところに戻ってくる。


「すみません。ごちそうさまです」


「ごちそうさまでした」


「いえいえ。それじゃあ二人とも、気を付けてね」



私は、そのまま別れてしまったら、これっきりになってしまうと分かっていた。


私たちは、連絡先を交換していない。だからもう会えないし、話せない。そう思うと、その場で泣いてしまいそうな気分だった。


私がそう思って脇を見たまま歩き出せないでいると、時彦さんが一歩こちらに近寄ってきてくれた。そして、顔を上げた私を見つめながら、こう言う。



「僕はもう大人だけど、君はまだまだこの先、大事な人にたくさん会うよ。だから、大人になってからまた出会えたら、その時初めて話をしよう。それじゃあ二人とも気を付けて。舞依ちゃん、ありがとう」


「え、いえ…こちらこそ、ありがとうございました」


私は、舞依がそう言っているのを聴きながら、もう私に背を向けて改札に向かって歩いていく彼の後ろ姿を、見つめ続けていた。









Continue.

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