恋は嘘の色。

於菟

嘘の色

 黄緑のカーテンが夕焼けに染められ黄赤色に靡いている。彼女はもう帰っただろうか。17時半の図書室、外からは運動部の熱気のこもった声が聞こえてくる。

 本棚の無い空間に置かれた6つのテーブル、窓際の席が僕の指定席、僕の背後の席が彼女の指定席のようだった。

   

 古くからの幼馴染、一緒に遊ぶのが気恥ずかしくなったのはいつからだったか。


 人気のない図書室、本が好きだという建前。今ではこの時間だけが二人でいられる空間だった。

 そしていつからか、昔のように会話をすることが増えてきた。ただの独り言だという言い訳、傍から見れば滑稽かもしれないがそんな名目が僕たちには大事なものだった。


 そして今日もやや強引に、彼女に向けた独り言を始めるのだった。


「言葉に味や色を感じるという共感覚を持つ人の目には、この灰色の世界はどう映っているんだろう。昨日の夜、眠りに落ちる前のほどけていくような瞬間に、そんなことを考えていた気がする」


「ただの独り言?触れない方がいいのかしら」


 そう言いつつも反応をしてくれる、早くなっていた鼓動が落ち着いていくのを感じる。いつまで立っても顔を見ずに会話を始めるのは慣れないものだ。


「君だって分かる部分はあるだろう? 恋と言えばピンク色、死と言えば黒色」


「さながら物騒な乙女のようね」


 乙女。そう、彼女は乙女という言葉がよく似合う女性だった。艶やかな長い髪は彼女の淑やかさを如実に表しているし、幼い頃の活発さを潜めた大きな眼も歳相応に大人びた魅力を帯びている。端正な顔立ちは上品な佇まいと相まってどこかのお嬢様かのような気品を漂わせている。


「だとしたら嘘って何色なんだろうって思ってさ」


「そんなとりとめのない話題で私の大切な時間を奪うつもり?」


 言葉とは裏腹に楽し気にからかうような声だった。


「ああ、次第に君も気になって気になって、夜も眠れなくなるよ」


「それは困るわね。私は繊細なの」


 僕たちは不器用なのだろう。不必要に障害を作り、乗り越え安堵する。


「なら、君も独り言で返してくれればいいさ。

ちなみに僕は、嘘も黒色なんじゃないかって思うんだ」


「ネガティブな言葉には暗い印象が付き物だけれど、そう安直なものかしら」


「じゃあ君はどう思うんだい、感覚の話なんだから直感って大事だと思うんだけどな」


「そうね、私はピンクかしら。恋に嘘はつきものだもの」


 彼女が恋を口にするなんて想像もしなかった。僕は動揺して心にもないことを言ってしまった。


「嘘が前提な恋愛か、お前とは付き合いたくないな」


「そうやって本心とは真逆のことを言ってしまうのも嘘の一種じゃなくて?」


 見透かしたような態度に少し腹が立った、彼女はどこか僕を見下しているような気がしていた。


「随分自己評価が高いみたいだが、彼氏のいない今の君の姿が全てを表してるんじゃないか?」


「嘘つきな誰かさんが私の周りにうろついているのが原因よ、自覚はあるのかしらね?」


 別に僕は彼女に迫る男の邪魔をしたりなんてしていない。彼女が男子たちに好意を持たれないのはその近寄りがたい高飛車な雰囲気に依るものだろう。


「嘘なんて吐いた覚えないんだけどな」


「子供の頃から私にブスと言うのが口癖になってる人のセリフとは思えないわね」


 ……随分も昔のことを根に持っていたらしい。小学生の頃のことなんて思い出せないが、きっとその頃から彼女のことを好きだったんだろう、確かに今思えば嘘以外の何物でもない。童心故の嘘か。


「都合の良い解釈だな、僕は真実を告げているだけなのに」


「いいえ、幼い男子の拙い嘘ってことくらい誰でも分かるわよ。だって私可愛いもの」


 冗談か、はたまた真剣なのか、彼女の言葉はたまに本質が分からないものがある。


「じゃあ僕にはそう見えてたってことだろう。容姿なんてものは人によって評価が変わるものさ」


「そうって、どう? 私の容姿についてどう思っているのか、今言ってみてもらってもいいかしら?」


 今の君にブスだと言える男子はきっといない。それが分かっていて言っているのだろうか、何故だか彼女は僕に対してだけいじわるになるような気がする。


「繊細な君にはとてもじゃないが言えないな」


「あら、優しいのね」


「僕は紳士だからな。君と違って子供の頃のことなんてとっくに忘れてるよ」


「どうしてそういう嘘を吐くのかしら。男のプライドってやつ?

なんにせよ先に嘘を吐いた貴方の負けね。それじゃあ明日のお昼ご飯は貴方の奢りということでよろしくね」


 彼女にはいつも見透かされている。いったい僕の心のどこまでを知っているんだろう。


「嘘かどうかなんて君の匙加減じゃないか……」


「大丈夫。貴方よりも貴方に詳しい自信あるもの」


 そう言うと彼女は図書室を後にした。暗く静まりかえる部屋とは裏腹に、一人残された僕の心は熱く高鳴っている。

 僕よりも僕に詳しいという彼女は、この抑えられない胸のざわめきにも気付いているのだろうか。そんなことを頭の中で考えながら、一人で帰ろうとする彼女の後を早足で追いかけた。


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